酔古堂剣掃 / 集醒・時時に檢點し得到る
無事便思有閒雜念頭否,有事便思有粗浮意氣否;得意便思有驕矜辭色否,失意便思有怨望情懷否。時時檢點得到,從多入少。從有入無,才是學問的真消息。
新字:無事便思有閒雑念頭否,有事便思有粗浮意気否;得意便思有驕矜辞色否,失意便思有怨望情懐否。時時検点得到,従多入少。従有入無,才是学問的真消息。
書き下し
事無ければ便ち閒雜の念頭有りや否やを思ひ、事有れば便ち粗浮の意氣有りや否やを思ふ。意を得れば便ち驕矜の辭色有りや否やを思ひ、意を失へば便ち怨望の情懷有りや否やを思ふ。時時に檢點し得到りて、多より少に入り、有より無に入る、才かに是れ學問の真消息なり。
現代語訳
用事のないときは、余計な雑念が浮かんでいないかを考えます。用事のあるときは、粗雑でうわついた気持ちになっていないかを考えます。思いどおりになったときは、驕り高ぶった言葉や顔つきになっていないかを考えます。思いどおりにならないときは、恨みがましい気持ちを抱いていないかを考えます。いつもこのように点検を行き届かせて、多いところから少ないところへ、有るところから無いところへと入っていくことこそ、学問の本当の手応えです。
解説
四つの場面ごとに、自分の心を点検する方法を具体的に示した一則です。暇なときは雑念、忙しいときは粗雑さ、得意なときは驕り、失意のときは恨みと、それぞれの場面で陥りやすい心の癖が挙げられています。この点検を時時、つまりいつも欠かさず行い、悪い念を多から少へ、有から無へと減らしていくことが、学問の真消息、本当の成果だというのです。ここでの学問は、知識を増やすことではなく、心を磨くことを指しています。四つの問いは、そのまま一日の終わりの振り返りに使えます。今日は暇な時間に何を考えていたか、忙しい時に雑になっていなかったか、自分に問いかける習慣をつけたいものです。
この章句が説くこと
自省学問修身検点謙虚
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