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近思録 / 巻2 為学

若往來憧憧然、用其私心以感物、則思之所及者、有能感而動、所不及者不能感也。以有係之私心、既主於一隅一事、豈能廓然無所不通乎?君子之遇艱阻、必自省於身、有失而致之乎?有所未善則改之。無歉於心則加勉。乃自脩其德也。非明則動無所之、非動則明無所用。習、重習也。時復思繹、浹洽於中、則說也。以善及人而信從者衆、故可樂也。雖樂於及人、不見是而無悶、乃所謂君子。

新字:若往来憧憧然、用其私心以感物、則思之所及者、有能感而動、所不及者不能感也。以有係之私心、既主於一隅一事、豈能廓然無所不通乎?君子之遇艱阻、必自省於身、有失而致之乎?有所未善則改之。無歉於心則加勉。乃自脩其徳也。非明則動無所之、非動則明無所用。習、重習也。時復思繹、浹洽於中、則説也。以善及人而信従者衆、故可楽也。雖楽於及人、不見是而無悶、乃所謂君子。

書き下し

若し往来憧憧然として、其の私心を用ひて以て物に感ずれば、則ち思ひの及ぶ所の者は、能く感じて動く有るも、及ばざる所の者は感ずること能はざるなり。係る有るの私心を以て、既に一隅一事に主たれば、豈に能く廓然として通ぜざる所無からんや。君子の艱阻に遇ふや、必ず自ら身を省みて、失有りて之を致すかと。未だ善ならざる所有れば則ち之を改む。心に歉(あきた)らざる無ければ則ち勉めを加ふ。乃ち自ら其の徳を修むるなり。明に非ざれば則ち動くも之く所無く、動に非ざれば則ち明も用ふる所無し。習は、重ねて習ふなり。時に復た思ひ繹ねて、中に浹洽すれば、則ち説ぶなり。善を以て人に及ぼして信従する者衆し、故に楽しむべきなり。人に及ぼすことを楽しむと雖も、是とせられずして悶ゆる無きは、乃ち所謂君子なり。

現代語訳

もし心が揺れ動いて行ったり来たりし、私心を用いて物に感じようとするなら、思いの及ぶところには感じて動くものがあっても、思いの及ばないところには感じることができない。何かに結びついた私心で、一つの片隅、一つの事柄にとらわれてしまえば、どうしてからりと開けてどこにでも通じることができようか。君子は困難や障害に出会うと、必ず自分自身を省みて、自分に過失があってこれを招いたのではないかと考える。まだ善くないところがあれば改める。心に恥じるところがなければ、いっそう努める。これが自分の徳を修めるということである。明らかな知がなければ動いても行き先がなく、動きがなければ明らかな知も使いどころがない。『論語』の「習う」とは、重ねて習うことである。時おり繰り返し思いをめぐらして、心の中にしみ通れば、よろこばしいのである。善を人に及ぼして、信じ従う者が多くなるので、楽しいのである。人に及ぼすことを楽しみとしながらも、認められなくても悶々としない。それがいわゆる君子である。

解説

程頤の『易伝』と『論語解』からの抜粋である。前半は咸の卦の続きで、私心で物に感じようとすれば思いの届く範囲にしか通じないと説く。次に蹇の卦に基づき、困難に遭えばまず自分を省み、非があれば改め、なければさらに努めよとする。豊の卦からは、知と行は互いを要するという一句が引かれる。後半は『論語』冒頭の「学びて時に之を習ふ」の解で、習を繰り返しの学びとし、心に染みこむ喜び、人に善を及ぼす楽しみ、認められなくても悶えない君子の姿を順に説く。困難をまず環境のせいにしがちな私たちにとって、自分を省みることから始めるという姿勢は耳が痛い。一方で、恥じることがなければさらに努めよという後半は、自分を責めすぎないための支えにもなる。

この章句が説くこと

自省修徳明と動学而君子

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