山鹿語類 / 士道・詳事物
治世に政をたすけ、君を輔佐して天下の儀刑を立、勳猷を万代にてらさん事、詳事物にするにありぬべし。况や戰國に生れて、大義の變に處し、仁義の兵を擧て湯武の一擧に比し、不戰して彼が兵を屈せしめ、謀を好んで人なきの地に入なん事、事物の理を詳にせずしては、何を以て其自由を可得や。彼の晋陰飴生が秦伯に王城に盟て、秦伯の問答をよくして、晋侯を國にかへし、吳の蹶由が楚に執はれて借凶爲吉、宋の富弼公が契丹に使して、北朝の兵をやめしめし類、各其才に逞からずしては、君命を辱かしむるに可至也。子の父母につかふるも亦如此。事物の理を詳にせざらんには、其孝に於て全かるべからざる也。然れども廣く事物にわたらんとせば、博文にして約禮をかくべし。此間學者尤も意味深長なる處也。具に其理を不盡しては、一向才に走て其本大にたがひ、利口辨侫を專にするにも可至也。大丈夫志を立て才を逞し、君に仕父に仕へて、事物の間無不通に至らんは、尤度量の廣大にして器識せばからずと可云也。
新字:治世に政をたすけ、君を輔佐して天下の儀刑を立、勲猷を万代にてらさん事、詳事物にするにありぬべし。況や戦国に生れて、大義の変に処し、仁義の兵を挙て湯武の一挙に比し、不戦して彼が兵を屈せしめ、謀を好んで人なきの地に入なん事、事物の理を詳にせずしては、何を以て其自由を可得や。彼の晋陰飴生が秦伯に王城に盟て、秦伯の問答をよくして、晋侯を国にかへし、呉の蹶由が楚に執はれて借凶為吉、宋の富弼公が契丹に使して、北朝の兵をやめしめし類、各其才に逞からずしては、君命を辱かしむるに可至也。子の父母につかふるも亦如此。事物の理を詳にせざらんには、其孝に於て全かるべからざる也。然れども広く事物にわたらんとせば、博文にして約礼をかくべし。此間学者尤も意味深長なる処也。具に其理を不尽しては、一向才に走て其本大にたがひ、利口弁侫を専にするにも可至也。大丈夫志を立て才を逞し、君に仕父に仕へて、事物の間無不通に至らんは、尤度量の広大にして器識せばからずと可云也。
書き下し
治世に政をたすけ、君を輔佐して天下の儀刑を立、勲猷を万代にてらさん事、詳事物にするにありぬべし。況や戦国に生れて、大義の変に処し、仁義の兵を挙て湯武の一挙に比し、不戦して彼が兵を屈せしめ、謀を好んで人なきの地に入なん事、事物の理を詳にせずしては、何を以て其自由を可得や。彼の晋陰飴生が秦伯に王城に盟て、秦伯の問答をよくして、晋侯を国にかへし、呉の蹶由が楚に執はれて借凶為吉、宋の富弼公が契丹に使して、北朝の兵をやめしめし類、各其才に逞からずしては、君命を辱かしむるに可至也。子の父母につかふるも亦如此。事物の理を詳にせざらんには、其孝に於て全かるべからざる也。然れども広く事物にわたらんとせば、博文にして約礼をかくべし。此間学者尤も意味深長なる処也。具に其理を不尽しては、一向才に走て其本大にたがひ、利口弁侫を専にするにも可至也。大丈夫志を立て才を逞し、君に仕父に仕へて、事物の間無不通に至らんは、尤度量の広大にして器識せばからずと可云也。
現代語訳
治まった世に政を助け、主君を補佐して天下の手本を立て、勲功を万代に照らすことは、事物を詳しくすることにあるはずだ。まして戦国の世に生まれて大義の変事に処し、仁義の兵を挙げて殷の湯王・周の武王の一挙に比べられるような働きをし、戦わずに敵の兵を屈服させ、謀をよくして人のいない地に入るようなことは、事物の理を詳しくしなければ、どうしてその自由を得られようか。あの晋の陰飴甥は秦伯と王城で盟約し、秦伯との問答をうまくこなして晋侯を国に帰らせ、呉の蹶由は楚に捕らえられて凶を吉に転じ、宋の富弼公は契丹に使いして北朝の兵をやめさせた。このような類は、それぞれその才がたくましくなければ、主君の命をはずかしめることになるところであった。子が父母に仕えるのもまた同じである。事物の理を詳しくしなければ、その孝において全うできない。しかし広く事物にわたろうとするなら、博く文を学び礼によって要約することを欠いてはならない。この点は学ぶ者にとって最も意味深長なところである。詳しくその理を尽くさなければ、ひたすら才に走ってその本を大きく違え、口先の巧みさやへつらいを専らにすることにも至るであろう。男子が志を立てて才をたくましくし、主君と父に仕えて、事物の間に通じないところがないようになるのは、まことに度量が広大で、器量と見識が狭くないといってよい。
解説
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