史記 / 晋世家
二月辛丑,咎犯與秦晉大夫盟于郇。壬寅,重耳入于晉師。丙午,入于曲沃。丁未,朝于武宮,卽位爲晉君,是爲文公。群臣皆往。懷公圉奔髙梁。戊申,使人殺懷公。懷公故大臣呂省、郤芮本不附文公,文公立,恐誅,乃欲與其徒謀燒公宮,殺文公。文公不知。始嘗欲殺文公宦者履鞮知其謀,欲以告文公,解前罪,求見文公。文公不見,使人讓曰:「蒲城之事,女斬予袪。其後我從狄君獵,女爲惠公來求殺我。惠公與女期三日至,而女一日至,何速也?女其念之。」宦者曰:「臣刀鋸之餘,不敢以二心事君倍主,故得罪於君。君已反國,其毋蒲、翟乎?且管仲射鉤,桓公以霸。今刑餘之人以事告而君不見,禍又且及矣。」於是見之,遂以呂、郤等告文公。文公欲召呂、郤,呂、郤等黨多,文公恐初入國,國人賣己,乃爲微行,會秦繆公於王城,國人莫知。三月己丑,呂、郤等果反,焚公宮,不得文公。文公之衞徒與戰,呂、郤等引兵欲奔,秦繆公誘呂、郤等,殺之河上,晉國復而文公得歸。夏,迎夫人於秦,秦所與文公妻者卒爲夫人。秦送三千人爲衞,以備晉亂。文公修政,施惠百姓。賞從亡者及功臣,大者封邑,小者尊爵。未盡行賞,周襄王以弟帶難出居鄭地,來告急晉。晉初定,欲發兵,恐他亂起,是以賞從亡未至隱者介子推。推亦不言祿,祿亦不及。
新字:二月辛丑,咎犯与秦晋大夫盟于郇。壬寅,重耳入于晋師。丙午,入于曲沃。丁未,朝于武宮,即位為晋君,是為文公。群臣皆往。懐公圉奔高梁。戊申,使人殺懐公。懐公故大臣呂省、郤芮本不附文公,文公立,恐誅,乃欲与其徒謀焼公宮,殺文公。文公不知。始嘗欲殺文公宦者履鞮知其謀,欲以告文公,解前罪,求見文公。文公不見,使人譲曰:「蒲城之事,女斬予袪。其後我従狄君猟,女為恵公来求殺我。恵公与女期三日至,而女一日至,何速也?女其念之。」宦者曰:「臣刀鋸之余,不敢以二心事君倍主,故得罪於君。君已反国,其毋蒲、翟乎?且管仲射鉤,桓公以覇。今刑余之人以事告而君不見,禍又且及矣。」於是見之,遂以呂、郤等告文公。文公欲召呂、郤,呂、郤等党多,文公恐初入国,国人売己,乃為微行,会秦繆公於王城,国人莫知。三月己丑,呂、郤等果反,焚公宮,不得文公。文公之衛徒与戦,呂、郤等引兵欲奔,秦繆公誘呂、郤等,殺之河上,晋国復而文公得帰。夏,迎夫人於秦,秦所与文公妻者卒為夫人。秦送三千人為衛,以備晋乱。文公修政,施恵百姓。賞従亡者及功臣,大者封邑,小者尊爵。未尽行賞,周襄王以弟帯難出居鄭地,来告急晋。晋初定,欲発兵,恐他乱起,是以賞従亡未至隠者介子推。推亦不言禄,禄亦不及。
書き下し
二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。
現代語訳
二月辛丑の日、咎犯は秦と晋の大夫たちと郇で盟約を結んだ。壬寅の日、重耳は晋の軍中に入った。丙午の日、曲沃に入った。丁未の日、祖父武公の廟に参拝し、即位して晋の君主となった。これが文公である。群臣はみな文公のもとへ赴いた。懐公圉は高梁に逃れた。戊申の日、文公は人を送って懐公を殺させた。懐公の旧臣の呂省と郤芮は、もともと文公に従っていなかった。文公が即位すると、誅殺されるのを恐れ、仲間と謀って宮殿に火を放ち、文公を殺そうとした。文公はそれを知らなかった。かつて文公を殺そうとした宦官の履鞮がこの謀りごとを知り、文公に告げて以前の罪を許してもらおうと、面会を求めた。文公は会おうとせず、人をやって責めさせた。「蒲の城でのことでは、おまえは私の袖を斬った。その後、私が狄の君に従って狩りをしていたとき、おまえは恵公のために私を殺しに来た。恵公はおまえに三日で着けと命じたのに、おまえは一日で着いた。なんと素早かったことか。そのことをよく考えてみよ」。宦官は言った。「私は宮刑を受けた身の者で、二心を抱いて君に仕えたり主に背いたりはしない。だからこそ、あなたに対して罪を犯すことになったのだ。君はすでに国に戻られた。この国にも蒲や狄のような(君を狙う)ことがないとでも言えようか。それに、管仲は桓公の帯の留め金を射たが、桓公は管仲を用いて覇者となった。いま刑を受けた身の者が大事を告げに来たのに君が会われなければ、災いがまた君に及ぶだろう」。そこで文公は履鞮に会い、履鞮は呂省・郤芮らの企みを文公に告げた。文公は呂・郤を呼び出そうとしたが、彼らには仲間が多かった。文公は国に入ったばかりで、国の人々に裏切られるのを恐れ、ひそかに身をやつして出かけ、王城で秦の繆公と会った。国の人々は誰もそれを知らなかった。三月己丑の日、呂・郤らははたして反乱を起こし、宮殿を焼いたが、文公を捕らえることはできなかった。文公の護衛兵が彼らと戦い、呂・郤らは兵を率いて逃げようとした。秦の繆公は呂・郤らを誘い出して、黄河のほとりで殺した。晋の国は元に戻り、文公は帰ることができた。夏、文公は秦から夫人を迎えた。秦が文公に嫁がせた女性が、最終的に正夫人となった。秦は三千人の兵を送って護衛とし、晋の乱に備えさせた。文公は政治を整え、民に恵みを施した。亡命に従った者や功臣に恩賞を与え、功の大きな者には領地を封じ、小さな者には爵位を上げた。まだすべての恩賞を行き渡らせないうちに、周の襄王が弟の帯の乱によって都を出て鄭の地に住み、晋に急を告げてきた。晋は国内が落ち着いたばかりで、兵を出そうとしても、ほかに乱が起こるのではないかと心配した。そのため、亡命に従った者への恩賞は、身を隠した介子推にまでは及ばなかった。介子推も自分から禄を求めず、禄も彼には及ばなかった。
解説
関連する章句
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史記 晋世家子圉遂に亡げて晋に帰る。十四年九月、恵公卒し、太子圉立つ。是を懐公と為す。子圉の亡ぐるや、秦之を怨み、乃ち公子重耳を求め、之を内れんと欲す。子圉の立つや、秦の伐たんことを畏る。乃ち国中の諸々の重耳に従ひて亡げし者に令して与に期し、期尽きて到らざる者は尽く其の家を滅ぼさんとす。狐突の子毛及び偃重耳に従ひて秦に在り。召すを肯ぜず。懐公怒り、狐突を囚ふ。突曰く、「臣の子重耳に事ふること年数有り。今之を召すは、是れ之に君に反くことを教ふるなり。何を以て之を教へん」と。懐公卒に狐突を殺す。秦の繆公乃ち兵を発して送りて重耳を内れ、人をして欒・郤の党に告げて内応を為さしめ、懐公を高梁に殺し、重耳を入る。重耳立つ。是を文公と為す。晋の文公重耳は、晋の献公の子なり。少きより士を好み、年十七にして、賢士五人有り。趙衰と曰ひ、狐偃咎犯、文公の舅なり、賈佗、先軫、魏武子なり。献公の太子為りし時より、重耳固より已に成人たり。献公即位するとき、重耳年二十一なり。献公の十三年、驪姫の故を以て、重耳蒲城に備へて秦を守る。献公の二十一年、献公太子申生を殺す。驪姫之を讒す。恐れて、献公に辞せずして蒲城を守る。献公の二十二年、献公宦者履鞮をして趣(すみ)やかに重耳を殺さしむ。重耳垣を踰ゆ。宦者逐ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に狄に奔る。狄は、其の母の国なり。是の時重耳年四十三なり。此の五士に従ひ、其の余の名あらざる者数十人、狄に至る。狄咎如を伐ち、二女を得たり。長女を以て重耳に妻し、伯鯈・叔劉を生む。少女を以て趙衰に妻し、盾を生む。狄に居ること五歳にして晋の献公卒す。里克已に奚斉・悼子を殺し、乃ち人をして迎へしめ、重耳を立てんと欲す。重耳殺されんことを畏れ、因りて固く謝し、敢て入らず。已にして晋更に其の弟夷吾を迎へて之を立つ。是を恵公と為す。
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史記 晋世家楚に居ること数月、而して晋の太子圉秦より亡ぐ。秦之を怨む。重耳の楚に在るを聞き、乃ち之を召す。成王曰く、「楚は遠く、数国を更て乃ち晋に至る。秦・晋は境を接し、秦君は賢なり。子其れ勉めて行け」と。厚く重耳を送る。重耳秦に至る。繆公宗女五人を以て重耳に妻す。故の子圉の妻も与に往く。重耳受くるを欲せず。司空季子曰く、「其の国すら且に伐たんとす。況んや其の故の妻をや。且つ受けて以て秦の親を結びて入らんことを求む。子乃ち小礼に拘はりて、大醜を忘れんか」と。遂に受く。繆公大いに歓び、重耳と飲む。趙衰黍苗の詩を歌ふ。繆公曰く、「子の急ぎ国に反らんと欲するを知る」と。趙衰重耳と下り、再拝して曰く、「孤臣の君を仰ぐは、百穀の時雨を望むが如し」と。是の時晋の恵公の十四年の秋なり。恵公九月を以て卒し、子圉立つ。十一月、恵公を葬る。十二月、晋国の大夫欒・郤等重耳の秦に在るを聞き、皆陰かに来たりて重耳・趙衰等に国に反らんことを勧む。内応を為す者甚だ衆し。是に於て秦の繆公乃ち兵を発して重耳と晋に帰る。晋秦の兵の来たるを聞き、亦た兵を発して之を拒む。然れども皆陰かに公子重耳の入るを知る。唯だ恵公の故の貴臣呂・郤の属のみ重耳を立つるを欲せず。重耳出亡すること凡そ十九歳にして入るを得たり。時に年六十二なり。晋人多く焉に附く。文公の元年春、秦重耳を送りて河に至る。咎犯曰く、「臣君に従ひて天下を周旋し、過ちも亦た多し。臣すら猶ほ之を知る。況んや君に於てをや。請ふ此より去らん」と。重耳曰く、「若し国に反りて、子犯と共にせざる所の者は、河伯之を視よ」と。乃ち璧を河中に投じ、以て子犯と盟ふ。是の時介子推従ひて、船中に在り。乃ち笑ひて曰く、「天実に公子を開く。而して子犯以て己の功と為して君に要市す。固より羞づるに足る。吾同位するに忍びず」と。乃ち自ら隠れて河を渡る。秦の兵令狐を囲み、晋廬柳に軍す。
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史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。
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史記 鄭世家文公の弟叔詹曰く、「重耳は賢なり。且つ又同姓なり。窮して君に過る。礼無かるべからず」と。文公曰く、「諸侯の亡公子の過る者多し。安んぞ能く尽く之を礼せん」と。詹曰く、「君如し礼せずんば、遂に之を殺せ。殺さずして、即し国に反らしめば、鄭の憂ひと為らん」と。文公聴かず。三十七年春、晋の公子重耳国に反りて立つ、是を文公と為す。秋、鄭滑に入る。滑命を聴き、已にして反りて衛に与す。是に於て鄭滑を伐つ。周の襄王、伯服をして滑の為に請はしむ。鄭の文公、恵王の亡げて櫟に在りしとき、文公の父厲公之を入れしに、恵王厲公に爵禄を賜はざるを怨み、又襄王の衛・滑に与するを怨む。故に襄王の請ひを聴かずして伯服を囚ふ。王怒り、翟人と鄭を伐つも、克たず。冬、翟、襄王を攻伐す。襄王出でて鄭に奔る。鄭の文公、王を氾に居らしむ。三十八年、晋の文公、襄王を成周に入る。四十一年、楚を助けて晋を撃つ。晋の文公の過りしとき礼無かりしより、故に晋に背きて楚を助く。四十三年、晋の文公、秦の穆公と共に鄭を囲む。其の楚を助けて晋を攻めし者、及び文公の過りし時の無礼を討つなり。初め、鄭の文公に三夫人有り、寵子五人、皆罪を以て蚤く死す。公怒り、溉く群公子を逐ふ。子蘭晋に奔り、晋の文公に従ひて鄭を囲む。時に蘭、晋の文公に事ふること甚だ謹み、之を愛幸す。乃ち私かに晋に於てし、以て鄭に入りて太子と為らんことを求む。晋是に於て叔詹を得て僇と為さんと欲す。鄭の文公恐れ、敢へて叔詹に謂ひて言はず。詹聞き、鄭君に言ひて曰く、「臣君に謂ふも、君臣に聴かず、晋卒に患ひと為る。然れども晋の鄭を囲む所以は、詹を以てなり。詹死して鄭国を赦さば、詹の願ひなり」と。乃ち自殺す。鄭人、詹の尸を以て晋に与ふ。晋の文公曰く、「必ず一たび鄭君を見て、之を辱めて去らんと欲す」と。鄭人之を患ひ、乃ち人をして私かに秦に言はしめて曰く、「鄭を破りて晋を益すは、秦の利に非ざるなり」と。秦の兵罷む。
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説苑・復恩晋の文公亡ぐるの時、陶叔狐従ふ、文公国に反り、三たび賞を行ひて陶叔狐に及ばず、陶叔狐咎犯に見えて曰く、「吾君に従ひて亡ぐること十有三年、顔色黎黒、手足胼胝せり、今君国に反りて三たび賞を行ふも我に及ばず、意ふに君我を忘れたるか、我大故有るか、子試みに我が為に之を君に言へ」と。咎犯之を文公に言ふ、文公曰く、「嘻、我豈に是の子を忘れんや。夫れ高明至賢、徳行全誠、我を道を以て耽しませ、我を仁を以て説ばしめ、我が行ひを暴かに浣ひ、我が名を昭明にし、我をして成人為らしめし者は、吾以て上賞と為さん。我を礼を以て防ぎ、我を誼を以て諫め、我を蕃援して我をして非を為すを得ざらしめ、数々我を賢人の門に引きて請ひし者は、吾以て次賞と為さん。夫れ勇壮強禦、難前に在れば則ち前に居り、難後に在れば則ち後に居り、我を患難の中より免れしめし者は、吾又以て之が次と為さん。且つ子独り聞かざるか、人を死せしむる者は、人の身を存するに如かず、人を亡ぼす者は、人の国を存するに如かず、三行の賞の後にして、労苦の士之に次ぐ、夫れ労苦の士は、是れ子固に首為り、豈に敢へて子を忘れんや」と。周の内史叔輿之を聞きて曰く、「文公其れ霸たらんか。昔聖王は徳を先にして力を後にす、文公其れ之に当れり、詩に云く、『率履越えず』とは、此を之れ謂ふなり」と。晋の文公国に入るに、河に至り、籩豆茵席を棄てしめ、顔色黎黒、手足胼胝せる者を後に在らしむ、咎犯之を聞き、中夜にして哭す、文公曰く、「吾亡ぐること十有九年なり、今将に国に反らんとするに、夫子喜ばずして哭するは、何ぞや、其れ吾が国に反るを欲せざるか」と。対へて曰く、「籩豆茵席は、官する所以なるに、之を棄て、顔色黎黒、手足胼胝せるは、労苦を執る所以なるに、皆之を後にす、臣聞く、国君士を蔽へば、忠臣を取る所無く、大夫遊を蔽へば、忠友を取る所無し、と。今国に至るに、臣蔽ふ所の中に在り、其の哀しみに勝へず、故に哭するなり」と。文公曰く、「禍福利害咎氏と之を同じくせざれば、白水有るが如し」と、之を祝して、璧を刀にて沈めて盟す。介子推曰く、「献公の子九人、唯だ君のみ在るのみ、天未だ晋を絶たず、必ず主有らん、晋祀を主る者君に非ずして何ぞや、唯だ二三子の者以て己が力と為すは、亦た誣ならずや」と。文公即位するも、賞推に及ばず、推が母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる」と。推曰く、「尤めて之に效はば、罪又甚し、且つ怨言を出だせば、其の食を食らはず」と。其の母曰く、「亦た知らしめよ」と。推曰く、「言は身の文なり、身将に隠れんとす、安んぞ文を用ゐん」と。其の母曰く、「能く是の如くんば、若と俱に隠れん」と。死に至るまで復た推に見えず。従者之を憐みて、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍有り矯矯たり、頃其の所を失ふ、五蛇之に従ひ、天下を周遍す、龍飢ゑて食無し、一蛇股を割く、龍其の淵に反り、其の壤土に安んず、四蛇穴に入り、皆処る所有り、一蛇穴無く、中野に号す」と。文公出でて書を見て曰く、「嗟此れ介子推なり、吾方に王室を憂ひて其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるに則ち亡ぐ、遂に其の在る所を求む、其の綿上山中に入るを聞く。是に於て文公綿上山中を表して之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ。
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史記 晋世家繆公の壮士冒して晋の軍を敗る。晋の軍敗れ、遂に秦の繆公を失ひ、反って晋公を獲て以て帰る。秦将に以て上帝を祀らんとす。晋君の姊は繆公の夫人為り。衰絰して涕泣す。公曰く、「晋侯を得て将に以て楽しみと為さんとす。今乃ち此の如し。且つ吾聞く、箕子唐叔の初めて封ぜらるるを見て曰く、『其の後必ず当に大なるべし』と。晋庸(なん)ぞ滅ぼすべけんや」と。乃ち晋侯と王城に盟ひて之が帰るを許す。晋侯も亦た呂省等をして国人に報ぜしめて曰く、「孤帰るを得と雖も、社稷に見ゆる面目毋し。日を卜して子圉を立てよ」と。晋人之を聞き、皆哭す。秦の繆公呂省に問ふ、「晋国和するか」と。対へて曰く、「和せず。小人は君を失ひ親を亡ふを懼れ、子圉を立つるを憚らず。曰く『必ず讎に報いん。寧ろ戎・狄に事へん』と。其の君子は則ち君を愛して罪を知り、以て秦の命を待つ。曰く『必ず徳に報いん』と。此の二つの故有り、和せず」と。是に於て秦の繆公更に晋の恵公を舎(やど)らしめ、之に七牢を餽る。十一月、晋侯を帰す。晋侯国に至り、慶鄭を誅し、政教を修む。謀りて曰く、「重耳外に在り。諸侯多く之を内るるを利とす」と。人をして重耳を狄に殺さしめんと欲す。重耳之を聞き、斉に如く。八年、太子圉をして秦に質たらしむ。初め、恵公亡げて梁に在るや、梁伯其の女を以て之に妻す。一男一女を生む。梁伯之を卜す。男は人の臣と為り、女は人の妾と為る。故に男に名づけて圉と為し、女を妾と為す。十年、秦梁を滅ぼす。梁伯土功を好み、城溝を治め、民力罷れて怨み、其の衆数々相驚きて「秦の寇至る」と曰ふ。民恐れ惑ふ。秦竟に之を滅ぼす。十三年、晋の恵公病む。内に数子有り。太子圉曰く、「吾が母の家は梁に在り。梁今秦之を滅ぼす。我外は秦に軽んぜられ、内は国に援け無し。君即し起たずんば、大夫を病ましめ軽んぜられ、更に他の公子を立てん」と。乃ち其の妻と倶に亡げ帰らんことを謀る。秦の女曰く、「子は一国の太子にして、辱めて此に在り。秦婢子をして侍らしむるは、以て子の心を固めんとてなり。子亡げよ。我子に従はず、亦た敢て言はず」と。
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