山鹿語類 / 士道・據仁義
師嘗曰。人心の德仁義を不出。是即天の命ずる處の性その情に從て更に造作する處なきときは、唯滿腔子仁義のみ也。故に大丈夫自ら身を守るの間、仁義を以て所據とすべし。所謂仁は天地生々の心にして、惻隱の情發而中節、愛之用也。義は事に處して羞惡の情あつて內に耻る處あるを推して中節の名なり。然れば仁の心あらざれば、寛容大度のかたちあらはれずして、其好惡に陷溺す。是仁を以て聖人の源とするゆゑん也。義の心あらざれば、物に處するに節あらざるを以て、截斷果敢することなし。仁をつとむるときは禮こゝに立、義をつとむれば智こゝに明也。是仁義は禮智の源也。水火を以て五行の本とするにことならず。聖人の人に敎ゆる處、仁義の二に不出。仁を以て德の本とし、義を以て事をいたすの用とす。大丈夫の志さす道、仁義を據として內の德を不練ば、何を以てか其實を可得や。
新字:師嘗曰。人心の徳仁義を不出。是即天の命ずる処の性その情に従て更に造作する処なきときは、唯満腔子仁義のみ也。故に大丈夫自ら身を守るの間、仁義を以て所拠とすべし。所謂仁は天地生々の心にして、惻隠の情発而中節、愛之用也。義は事に処して羞悪の情あつて内に耻る処あるを推して中節の名なり。然れば仁の心あらざれば、寛容大度のかたちあらはれずして、其好悪に陥溺す。是仁を以て聖人の源とするゆゑん也。義の心あらざれば、物に処するに節あらざるを以て、截断果敢することなし。仁をつとむるときは礼こゝに立、義をつとむれば智こゝに明也。是仁義は礼智の源也。水火を以て五行の本とするにことならず。聖人の人に教ゆる処、仁義の二に不出。仁を以て徳の本とし、義を以て事をいたすの用とす。大丈夫の志さす道、仁義を拠として内の徳を不練ば、何を以てか其実を可得や。
書き下し
師嘗曰。人心の徳仁義を不出。是即天の命ずる処の性その情に従て更に造作する処なきときは、唯満腔子仁義のみ也。故に大丈夫自ら身を守るの間、仁義を以て所拠とすべし。所謂仁は天地生々の心にして、惻隠の情発而中節、愛之用也。義は事に処して羞悪の情あつて内に耻る処あるを推して中節の名なり。然れば仁の心あらざれば、寛容大度のかたちあらはれずして、其好悪に陥溺す。是仁を以て聖人の源とするゆゑん也。義の心あらざれば、物に処するに節あらざるを以て、截断果敢することなし。仁をつとむるときは礼こゝに立、義をつとむれば智こゝに明也。是仁義は礼智の源也。水火を以て五行の本とするにことならず。聖人の人に教ゆる処、仁義の二に不出。仁を以て徳の本とし、義を以て事をいたすの用とす。大丈夫の志さす道、仁義を拠として内の徳を不練ば、何を以てか其実を可得や。
現代語訳
先生はかつてこう言われた。人の心の徳は仁と義を出ない。これはすなわち天が命じた性が、その情に従って少しも作為するところがないとき、ただ胸いっぱいに仁義があるのみである。だから男子が自ら身を守っていく間は、仁義をよりどころとすべきである。いわゆる仁とは、天地が万物を生み育てる心であって、あわれみいたむ情が発して節度にかなったもの、愛の働きである。義とは、事に処するとき、悪を恥じ憎む情があって内に恥じるところがあるのを推し広げ、節度にかなったものの名である。だから仁の心がなければ、寛容でおおらかな姿は現れず、自分の好き嫌いにおぼれてしまう。これが仁を聖人の源とする理由である。義の心がなければ、物事に処するのに節度がないので、きっぱりと決断することがない。仁に努めれば礼がここに立ち、義に努めれば智がここに明らかになる。これが仁義は礼智の源だということである。水と火を五行の根本とするのと異ならない。聖人が人に教えるところは、仁と義の二つを出ない。仁を徳の根本とし、義を事をなす働きとする。男子の志す道は、仁義をよりどころとして内の徳を練らなければ、どうしてその実を得られようか。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷上問ふ、平生論孟を熟読すと雖も、然れども未だ其の要領を得ず。願はくは詳らかに教へられんことを。曰く、可なり。聖門学問の第一字は是れ仁なり。義以て配と為し、礼以て輔と為し、忠信以て之が地と為す。仁の義に与けるや、猶ほ陰の陽に与けるがごとし。故に曰く、義以て配と為すと。相離るることを得ざるを言ふなり。礼は防閑の在る所なり。故に曰く、礼以て輔と為すと。礼に非ざれば則ち以て仁を存すること無きを言ふなり。己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ。乃ち学問の基本なり。故に曰く、忠信以て之が地と為すと。猶ほ屋を造るに基址有るがごとし。是れ其の総要なり。皆夫の仁の徳を成す所以なり。
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『弁名』義仁義の並称は、六経・論語に是の言有ること莫し。行を主とするが故なり。七十子よりして後、道芸を論説するを以て務と為す。論説すること已まず、日に其の趣を見し、愈〻益〻自ら憙びて以て之を言ふ。亦た自ら其の先王の道を玩ぶに流るるを覚らざるなり。是れ勢の必ず至る所にして、道の汚隆焉に繫る。是に於てか仁義を以て並べ言ひ、遂に以て先王の道に命ずるに至る。然れども其の初めは聖人を去ること未だ遠からず。故に其の言も亦た道に盭らず。礼運の如き、曰く、「義は芸の分、仁の節なり。芸に協ひ、仁に講す。之を得る者は強し。仁は義の本なり、順の体なり。之を得る者は尊し」と。説卦伝に曰く、「人の道を立つ、曰く仁と義と」と。是れなり。夫れ先王の道は博しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。是れ所謂仁なり。然れども仁は言を以て尽くすべからず。故に礼楽を作りて以て之を教ふ。是れ所謂芸なり。義も亦た先王の立つる所、詩書の載する所是れなり。先王の教は、礼義を立てて以て人の大端と為す。故に書・論語・中庸は皆礼義を以て並べ言ひて、仁義を以て並べ言はず。
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『五常訓』巻之一・総論五常の性は体なり。其理説きがたし。用にあらはれて、見えやすきを以て、其字義をいはば、愛を仁と云ふ。愛はあはれみなり。宜を義と云ふ。宜とは事物に相応するを云ふ。各其事につきて理に当るなり。理を礼と云ふ。理とは人をうやまひ、事に則ありて、正しくすぢめ有るを云ふ。通ずるを智と云ふ。道理に通じ、是非を知るを云ふ。守るを信と云ふ。偽なくして、道をかたく守りて、変ぜざるを云ふ。此字義は、周子の説なり。韓子曰く、人の性とする所の者は五、曰く仁義礼智信。是人の性に、此五の者そなはれる事をいへり。故に又五性とも云ふ。此五性をすべていへば仁なり。故に孔子は、唯仁の一字を以て教とし給ふ。是易に天地の大徳を生と曰ふといへる意に本づけり。
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『五常訓』巻之二・仁之上一仁は義礼智信を兼ねて其中にあれども、五の者をならべ云ふ時は、各一理ありて、仁を相助くべし。仁の理、義を得ざれば宜しく行はれず。礼を得ざれば節分なくして立たず。智を得ざれば善悪を明かに知らず。信を得ざれば偽りありて守りがたし。四の者皆そなはりて、仁の道行はる。然れば義礼智信は、もと仁より出でて、仁をたすくる理なり。
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『弁名』義何となれば則ち仁は大徳なり、義の倫に非ず。礼義は皆道なり、徳に非ず。仁義並べ言へば、則ち其の倫に非ざるを比べて礼を遺る。故に古の教は然らず。然れども道芸を論説するに至りては、則ち時有りてか仁義を以て並べ言ふ。礼運・説卦の言の如し。礼運の論説する所の者は礼に在り。故に仁義を以て礼の徳を賛するのみ。先王の礼は繁しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。則ち仁は其の統なり。経礼三百、威儀三千、皆義の存する有り。是れ仁は其の全を統べ、義は其の細を分かつ。故に曰く、「芸の分、仁の節なり」と。衆義を集めて礼立ち仁成る。故に曰く、「芸に協ひ、仁に講す」と。講は「講して一を画くが若し」の講の如し。説卦の論説する所の者は易に在り。故に亦た以て易の徳を賛するのみ。陽は大にして統べざる莫し。故に喩ふるに仁を以てす。陰は小にして別かつ所有り。故に喩ふるに義を以てす。陰陽相須ちて、得て離るべからず。渾渾淪淪として、何くに往くとして仁に非ざらん。差差別別として、何くに往くとして義に非ざらん。是れ易・礼運皆仁義を以て並べ言ふと雖も、然れども未だ嘗て仁義を岐ちて以て之を二つにせず。其の道に盭らざる所以なり。
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