弁名 / 義
何則仁者大德也。非義之倫也。禮義皆道也。非德也。仁義竝言。則比其非倫而遺乎禮。故古之敎不然。然至於論說道藝。則有時乎以仁義竝言。如禮運說卦之言焉。禮運之所論說者在禮也。故以仁義贊禮之德已。先王之禮雖繁乎。莫不歸於安民者。則仁其統也。經禮三百。威儀三千。皆有義存焉。是仁統其全。而義分其細。故曰藝之分。仁之節也。集衆義而禮立焉仁成焉。故曰協於藝。講於仁。講如講若畫一之講。說卦之所論說者在易也。故亦以贊易之德已。陽大而莫不統焉。故喩以仁。陰小而有所別焉。故喩以義。陰陽相須。不可得而離。渾渾淪淪。何往非仁。差差別別。何往非義。是易禮運皆雖以仁義竝言。然未嘗岐仁義以二之。其所以不盭於道也。
新字:何則仁者大徳也。非義之倫也。礼義皆道也。非徳也。仁義並言。則比其非倫而遺乎礼。故古之教不然。然至於論説道芸。則有時乎以仁義並言。如礼運説卦之言焉。礼運之所論説者在礼也。故以仁義賛礼之徳已。先王之礼雖繁乎。莫不帰於安民者。則仁其統也。経礼三百。威儀三千。皆有義存焉。是仁統其全。而義分其細。故曰芸之分。仁之節也。集衆義而礼立焉仁成焉。故曰協於芸。講於仁。講如講若画一之講。説卦之所論説者在易也。故亦以賛易之徳已。陽大而莫不統焉。故喩以仁。陰小而有所別焉。故喩以義。陰陽相須。不可得而離。渾渾淪淪。何往非仁。差差別別。何往非義。是易礼運皆雖以仁義並言。然未嘗岐仁義以二之。其所以不盭於道也。
書き下し
何となれば則ち仁は大徳なり、義の倫に非ず。礼義は皆道なり、徳に非ず。仁義並べ言へば、則ち其の倫に非ざるを比べて礼を遺る。故に古の教は然らず。然れども道芸を論説するに至りては、則ち時有りてか仁義を以て並べ言ふ。礼運・説卦の言の如し。礼運の論説する所の者は礼に在り。故に仁義を以て礼の徳を賛するのみ。先王の礼は繁しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。則ち仁は其の統なり。経礼三百、威儀三千、皆義の存する有り。是れ仁は其の全を統べ、義は其の細を分かつ。故に曰く、「芸の分、仁の節なり」と。衆義を集めて礼立ち仁成る。故に曰く、「芸に協ひ、仁に講す」と。講は「講して一を画くが若し」の講の如し。説卦の論説する所の者は易に在り。故に亦た以て易の徳を賛するのみ。陽は大にして統べざる莫し。故に喩ふるに仁を以てす。陰は小にして別かつ所有り。故に喩ふるに義を以てす。陰陽相須ちて、得て離るべからず。渾渾淪淪として、何くに往くとして仁に非ざらん。差差別別として、何くに往くとして義に非ざらん。是れ易・礼運皆仁義を以て並べ言ふと雖も、然れども未だ嘗て仁義を岐ちて以て之を二つにせず。其の道に盭らざる所以なり。
現代語訳
なぜなら、仁は大いなる徳であって、義と同列のものではない。礼と義はどちらも道であって、徳ではない。仁と義を並べて言えば、同列でないものを並べ、しかも礼を落とすことになる。だから古の教えはそうしなかった。しかし道と芸を論じるようになると、時には仁と義を並べて言うこともあった。礼運や説卦の言葉がそうである。礼運が論じているのは礼であり、だから仁と義で礼の徳をたたえたにすぎない。先王の礼は繁雑だが、民を安んじることに帰着しないものはない。つまり仁がその統括である。経礼三百、威儀三千には、みな義が含まれている。つまり仁は全体を統べ、義は細部を分ける。だから「芸を分けたもの、仁の節度」と言う。多くの義を集めて礼が立ち、仁が成る。だから「芸に合い、仁において整えられる」と言う。「講」は「講じて一を画くように(整える)」の講と同じである。説卦が論じているのは易であり、これも易の徳をたたえたにすぎない。陽は大きく、統べないものはないので仁にたとえ、陰は小さく、区別するところがあるので義にたとえる。陰と陽は互いに頼り合い、離すことはできない。渾然と一体であるところ、どこへ行っても仁でないものはなく、細かく区別されるところ、どこへ行っても義でないものはない。このように易も礼運も仁と義を並べて言ってはいるが、仁と義を二つに分けたことは一度もない。それが道に背かない理由である。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷上問ふ、平生論孟を熟読すと雖も、然れども未だ其の要領を得ず。願はくは詳らかに教へられんことを。曰く、可なり。聖門学問の第一字は是れ仁なり。義以て配と為し、礼以て輔と為し、忠信以て之が地と為す。仁の義に与けるや、猶ほ陰の陽に与けるがごとし。故に曰く、義以て配と為すと。相離るることを得ざるを言ふなり。礼は防閑の在る所なり。故に曰く、礼以て輔と為すと。礼に非ざれば則ち以て仁を存すること無きを言ふなり。己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ。乃ち学問の基本なり。故に曰く、忠信以て之が地と為すと。猶ほ屋を造るに基址有るがごとし。是れ其の総要なり。皆夫の仁の徳を成す所以なり。
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『弁名』義仁義の並称は、六経・論語に是の言有ること莫し。行を主とするが故なり。七十子よりして後、道芸を論説するを以て務と為す。論説すること已まず、日に其の趣を見し、愈〻益〻自ら憙びて以て之を言ふ。亦た自ら其の先王の道を玩ぶに流るるを覚らざるなり。是れ勢の必ず至る所にして、道の汚隆焉に繫る。是に於てか仁義を以て並べ言ひ、遂に以て先王の道に命ずるに至る。然れども其の初めは聖人を去ること未だ遠からず。故に其の言も亦た道に盭らず。礼運の如き、曰く、「義は芸の分、仁の節なり。芸に協ひ、仁に講す。之を得る者は強し。仁は義の本なり、順の体なり。之を得る者は尊し」と。説卦伝に曰く、「人の道を立つ、曰く仁と義と」と。是れなり。夫れ先王の道は博しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。是れ所謂仁なり。然れども仁は言を以て尽くすべからず。故に礼楽を作りて以て之を教ふ。是れ所謂芸なり。義も亦た先王の立つる所、詩書の載する所是れなり。先王の教は、礼義を立てて以て人の大端と為す。故に書・論語・中庸は皆礼義を以て並べ言ひて、仁義を以て並べ言はず。
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『五常訓』巻之一・総論五常の性は体なり。其理説きがたし。用にあらはれて、見えやすきを以て、其字義をいはば、愛を仁と云ふ。愛はあはれみなり。宜を義と云ふ。宜とは事物に相応するを云ふ。各其事につきて理に当るなり。理を礼と云ふ。理とは人をうやまひ、事に則ありて、正しくすぢめ有るを云ふ。通ずるを智と云ふ。道理に通じ、是非を知るを云ふ。守るを信と云ふ。偽なくして、道をかたく守りて、変ぜざるを云ふ。此字義は、周子の説なり。韓子曰く、人の性とする所の者は五、曰く仁義礼智信。是人の性に、此五の者そなはれる事をいへり。故に又五性とも云ふ。此五性をすべていへば仁なり。故に孔子は、唯仁の一字を以て教とし給ふ。是易に天地の大徳を生と曰ふといへる意に本づけり。
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『五常訓』巻之二・仁之上一仁は義礼智信を兼ねて其中にあれども、五の者をならべ云ふ時は、各一理ありて、仁を相助くべし。仁の理、義を得ざれば宜しく行はれず。礼を得ざれば節分なくして立たず。智を得ざれば善悪を明かに知らず。信を得ざれば偽りありて守りがたし。四の者皆そなはりて、仁の道行はる。然れば義礼智信は、もと仁より出でて、仁をたすくる理なり。
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『弁名』性情才仁義礼智を性と為すは、漢儒に昉まりて、宋儒に成る。五行の説に縁るなり。然れども孟子も亦た曰く、「君子の性とする所、仁義礼智心に根ざす」と。又た曰く、「口の味に於ける、目の色に於ける、耳の声に於ける、鼻の臭に於ける、四肢の安佚に於けるは、性なり。命有り、君子は性と謂はず。仁の父子に於ける、義の君臣に於ける、礼の賓主に於ける、智の賢者に於ける、聖人の天道に於けるは、命なり。性有り、君子は命と謂はず」と。是れ其の祖述する所なり。
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