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弁名 / 義

仁義竝稱。六經論語。莫有是言矣。主行之故也。七十子而後。以論說道藝爲務。論說之弗已。日見其趣。愈益自憙以言之。亦自不覺其流於玩先王之道也。是勢之所必至。道之汚隆繫焉。於是乎以仁義竝言。遂至於以命先王之道已。然其初去聖人未遠。故其言亦不盭於道。如禮運。曰義者藝之分。仁之節也協於藝。講於仁。得之者强。仁者義之本也。順之體也。得之者尊。說卦傳曰。立人之道曰。仁與義。是也。夫先王之道雖博乎。莫不歸於安民者。是所謂仁也。然仁不可以言盡焉。故作禮樂以敎之。是所謂藝也。義亦先王所立。詩書所載是也。先王之敎。立禮義以爲人之大端。故書論語中庸皆以禮義竝言。而不以仁義竝言。

新字:仁義並称。六経論語。莫有是言矣。主行之故也。七十子而後。以論説道芸為務。論説之弗已。日見其趣。愈益自憙以言之。亦自不覚其流於玩先王之道也。是勢之所必至。道之汚隆繋焉。於是乎以仁義並言。遂至於以命先王之道已。然其初去聖人未遠。故其言亦不盭於道。如礼運。曰義者芸之分。仁之節也協於芸。講於仁。得之者強。仁者義之本也。順之体也。得之者尊。説卦伝曰。立人之道曰。仁与義。是也。夫先王之道雖博乎。莫不帰於安民者。是所謂仁也。然仁不可以言尽焉。故作礼楽以教之。是所謂芸也。義亦先王所立。詩書所載是也。先王之教。立礼義以為人之大端。故書論語中庸皆以礼義並言。而不以仁義並言。

書き下し

仁義の並称は、六経・論語に是の言有ること莫し。行を主とするが故なり。七十子よりして後、道芸を論説するを以て務と為す。論説すること已まず、日に其の趣を見し、愈〻益〻自ら憙びて以て之を言ふ。亦た自ら其の先王の道を玩ぶに流るるを覚らざるなり。是れ勢の必ず至る所にして、道の汚隆焉に繫る。是に於てか仁義を以て並べ言ひ、遂に以て先王の道に命ずるに至る。然れども其の初めは聖人を去ること未だ遠からず。故に其の言も亦た道に盭らず。礼運の如き、曰く、「義は芸の分、仁の節なり。芸に協ひ、仁に講す。之を得る者は強し。仁は義の本なり、順の体なり。之を得る者は尊し」と。説卦伝に曰く、「人の道を立つ、曰く仁と義と」と。是れなり。夫れ先王の道は博しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。是れ所謂仁なり。然れども仁は言を以て尽くすべからず。故に礼楽を作りて以て之を教ふ。是れ所謂芸なり。義も亦た先王の立つる所、詩書の載する所是れなり。先王の教は、礼義を立てて以て人の大端と為す。故に書・論語・中庸は皆礼義を以て並べ言ひて、仁義を以て並べ言はず。

現代語訳

仁と義を並べて呼ぶことは、六経にも『論語』にもない。行うことを主としたからである。七十人の弟子より後、道と芸を論じることを務めとするようになった。論じることが止まず、日ごとにその面白さを見出し、ますます喜んで語るようになり、自分でも気づかないうちに先王の道をもてあそぶことに流れた。これは勢いとして必ずそうなるもので、道の盛衰がそこにかかっている。こうして仁と義を並べて言い、ついにはそれで先王の道を呼ぶようになった。しかし初めのうちは聖人からまだ遠くなかったので、その言葉も道に背いてはいなかった。『礼記』礼運に「義は芸を分けたもの、仁の節度である。芸に合い、仁において整えられる。これを得る者は強い。仁は義の根本であり、従順の本体である。これを得る者は尊い」とあり、『易』説卦伝に「人の道を立てて、仁と義という」とあるのがそれである。そもそも先王の道は広いが、民を安んじることに帰着しないものはない。これがいわゆる仁である。しかし仁は言葉で言い尽くせない。だから礼楽を作って教えた。これがいわゆる芸である。義もまた先王が立てたもので、詩・書に載っているのがそれである。先王の教えは、礼と義を立てて人の大本とした。だから『書経』『論語』『中庸』はみな礼と義を並べて言い、仁と義を並べては言わない。

解説

儒教といえば「仁義」と誰もが思うが、徂徠は六経にも『論語』にも仁義の並称はないと指摘する。古典が並べるのは「礼義」である。仁義の並称は、孔子の弟子以後に道を論じることが面白くなり、行うより語ることが主になった流れの中で生まれた。それでも『礼運』『説卦伝』の初期の用法は道に背いていないと公平に認める。先王の道の目的は民を安んじる仁であり、それを教える手段が礼楽、判断の基準が義である。当たり前の標語の出自を疑う姿勢に学ぶところが多い。

この章句が説くこと

仁義礼先王安民古文辞

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