山鹿語類 / 士道・據仁義
而して大丈夫日用の間、外君父につかへ內自ら修るにすぎず。君父につかふるの道こゝに立ときは、臣子の行明にして、朋友の交り、兄弟のついで、夫婦の別、自然にとゝのふべし。君父は人倫の大綱也とは、こゝを以ていへり。內自をさむること仁義を以て本とするときは、日用万差の用こゝに明にして、本躰にうらむ處有るべからざる也。古來の學者自修身の要法書々に品多く出たりといへども、唯末學の異見を不可用。聖人明に其敎を論ず。其說仁義の間のみ也。仁義の用にをいて能自躰認して、天地不得已のゆゑんを味得ば、聖學の淵源此に於て明なるべし。更に言說に不可渡して、言說又仁義のみ也。しかれども古今の儒者蛇の足をえがき、身に贅疣を出して、心にとめざることを口に說くがゆゑに、仁義の註解万卷に滿て、而して仁にあらず義にあらず。殆可歎息也。大丈夫卓爾としてこゝに心を不措乎。
新字:而して大丈夫日用の間、外君父につかへ内自ら修るにすぎず。君父につかふるの道こゝに立ときは、臣子の行明にして、朋友の交り、兄弟のついで、夫婦の別、自然にとゝのふべし。君父は人倫の大綱也とは、こゝを以ていへり。内自をさむること仁義を以て本とするときは、日用万差の用こゝに明にして、本体にうらむ処有るべからざる也。古来の学者自修身の要法書々に品多く出たりといへども、唯末学の異見を不可用。聖人明に其教を論ず。其説仁義の間のみ也。仁義の用にをいて能自体認して、天地不得已のゆゑんを味得ば、聖学の淵源此に於て明なるべし。更に言説に不可渡して、言説又仁義のみ也。しかれども古今の儒者蛇の足をえがき、身に贅疣を出して、心にとめざることを口に説くがゆゑに、仁義の註解万巻に満て、而して仁にあらず義にあらず。殆可嘆息也。大丈夫卓爾としてこゝに心を不措乎。
書き下し
而して大丈夫日用の間、外君父につかへ内自ら修るにすぎず。君父につかふるの道こゝに立ときは、臣子の行明にして、朋友の交り、兄弟のついで、夫婦の別、自然にとゝのふべし。君父は人倫の大綱也とは、こゝを以ていへり。内自をさむること仁義を以て本とするときは、日用万差の用こゝに明にして、本体にうらむ処有るべからざる也。古来の学者自修身の要法書々に品多く出たりといへども、唯末学の異見を不可用。聖人明に其教を論ず。其説仁義の間のみ也。仁義の用にをいて能自体認して、天地不得已のゆゑんを味得ば、聖学の淵源此に於て明なるべし。更に言説に不可渡して、言説又仁義のみ也。しかれども古今の儒者蛇の足をえがき、身に贅疣を出して、心にとめざることを口に説くがゆゑに、仁義の註解万巻に満て、而して仁にあらず義にあらず。殆可嘆息也。大丈夫卓爾としてこゝに心を不措乎。
現代語訳
そして男子の日々の営みは、外では主君と父に仕え、内では自ら身を修めることにすぎない。主君と父に仕える道がここに立てば、臣と子の行いは明らかで、友との交わり、兄弟の順序、夫婦の区別も自然にととのうはずである。主君と父は人の道の大綱だというのは、このことを言ったのである。内に自ら修めることが仁義を根本とするならば、日々のさまざまな働きがここに明らかになり、本体に悔いの残るところはないはずである。古来、学者が自ら身を修める要法は、多くの書にさまざまに出ているが、ただ末流の学者の異見を用いてはならない。聖人ははっきりとその教えを論じており、その説は仁義の間のことだけである。仁義の働きについてよく自分の身で体認し、天地がそうせずにはいられない理由を味わい得るならば、聖人の学の源はここで明らかになるであろう。そのうえ言葉の説明に移すべきではなく、言葉にしてもまた仁義だけである。しかし古今の儒者は蛇に足を描き、身にこぶやいぼを出すように余計なことを付け加え、心に留めてもいないことを口で説くので、仁義の注釈は万巻に満ちても、それは仁でもなく義でもない。まことに嘆かわしいことである。男子はここにきっぱりと心を置かないでよいだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『山鹿語類』士道・據仁義師嘗曰。人心の徳仁義を不出。是即天の命ずる処の性その情に従て更に造作する処なきときは、唯満腔子仁義のみ也。故に大丈夫自ら身を守るの間、仁義を以て所拠とすべし。所謂仁は天地生々の心にして、惻隠の情発而中節、愛之用也。義は事に処して羞悪の情あつて内に耻る処あるを推して中節の名なり。然れば仁の心あらざれば、寛容大度のかたちあらはれずして、其好悪に陥溺す。是仁を以て聖人の源とするゆゑん也。義の心あらざれば、物に処するに節あらざるを以て、截断果敢することなし。仁をつとむるときは礼こゝに立、義をつとむれば智こゝに明也。是仁義は礼智の源也。水火を以て五行の本とするにことならず。聖人の人に教ゆる処、仁義の二に不出。仁を以て徳の本とし、義を以て事をいたすの用とす。大丈夫の志さす道、仁義を拠として内の徳を不練ば、何を以てか其実を可得や。
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『山鹿語類』士道・勵忠孝師嘗曰。大丈夫世に在り、出ては君に仕へ朝廷に交り、入ては父兄につかへ家を斉ふ。故に天下の政事を助け、万民の憂を救ふ。不順の逆臣あるときは、自将として閫外の任をうけ、籌を帷幄の裏に廻して、功を万代の上に立、或は使を奉じて大事を決し、君命をはづかしめず、或は死を致し命を軽くして、百年の寿を一刄の下に棄。是君につかへて忠を励む也。而して父母にをいて力を竭し、色養永慕て、死を致して不顧は、是内にをいて尽す処の孝にあらずや。大丈夫の責め、甚以て重し。此にをいて論ずる時は、常に養気て安静ならしめ、心を存して義理を味へ、是を君父に移して忠孝の実を詳ならしむる、是士の勤也。
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『山鹿語類』士道・勵忠孝出て君に仕ふるに徳を不以、入て父兄に仕へて其孝弟に誠あらざらんには、養気存心の用更にあらはれず。抑徳と云は、内に養ひ存する処を、外に用ひて其誠を尽して無不究理、是をなづけて徳とす。養気存心すと云とも、君父にをいて其誠たらずんば、何ぞ其下に及ばん。然れば所養所存、唯空談にして実なし。凡そ聖人の道は普く天下に施し、大小精粗ともに其用足りて、四海其化に及ぶにをいて、初めて道々たり。わづかに一己にてらし一身を清くせんことは、碌々たる小人、言必信じ行必果すの輩也。されば君父につかへ、其可致のつとめ聊不怠して、しかも其理にかなひ、四海安寧に、家内無事にして、常に変に更に滞る処なきときは、天地の覆て無外、のせて無棄にことならず。是大徳に非ずや。故に徳を練る事は、先づ忠孝を励まして其誠を尽し、君父に事る間、天性にしたがひ守て、更に不違を以て本とすべきなり。
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『山鹿語類』士道・惣論日用之事されば身を顧るに、形に耳目鼻口四支百体あり。其内に性心情意血気の差別あり。此一身を用に、行住座臥視聴言動の用あり。此身を奉ずるに、衣服居宅用器用物あり。飲食情欲のわかちあり。此身の相接る処に、君臣父子夫婦長幼朋友の交際あり。其間に吉凶軍賓嘉の礼出来る。是我一身を顧りみるに、悉く此事物はなるべからず。身に貴賤貧福の差別ありといへども、右の品々は一つとして欠ること不可有也。此身を持ち此心を得て、此事を去りなんと云は、死して而して後に止みぬべし。此間其理を詳に究めて、一事をなし一物を制し一人と交接し、独坐すと云へども、皆天地の準則を守て不可離の道に相叶ひ、天地を仁の体として万物を制せんこと、是君子日用の工夫と云べし。我所説の理更に不遠不可離。因人々皆日用之間、而其心に快きを号して道と云、其内にやましきを人欲と云。唯此両般のみ也。日用の事豈に可忽乎。
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『山鹿語類』士道附錄・先生子弟警戒凡そ身は、心の寓居する所なり。行住座臥、顔色辞気、面の向かふ所、足の蹈む所、其の礼容を思ひて、漫りに挙動せざれば、則ち心茲に正し。礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言ふこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。爾子弟、君臣父子夫婦は、人倫の大綱なり。大綱紊るれば、則ち其の才四海を括ると雖も、其の実天地の間に容るるを須ゐず。三綱惟れ挙がれば、則ち其の本正しく、其の俗厚くして、仁道惟れ存す。
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『山鹿語類』士道・知己職分人の教にしたがひ、当坐の心にまかせんことは、譬ば暫く其事をなすといへども、実と難成。今云らん処に深く立志て自我職分を糾明し得んには、士たる職こゝに明なるべきなり。凡そ士の職と云は、其身を顧み、主人を得て奉公の忠を尽し、朋輩に交て信を厚くし、身の独りを慎て義を専とするにあり。而して己れが身に父子兄弟夫婦の不得已交接あり。是又天下の万民各なくんば不可有の人倫也といへども、農工商は其職業に暇あらざるを以て、常住相従て其道を不得尽。士は農工商の業をさし置き、此道を専として、三民の間苟くも人倫をみだらん輩をば速に罰して、以て天下に天倫の正しきを待つ。是士に文武之徳知不備ばあるべからず。されば形には劒戟弓馬の用をたらしめ、内には君臣朋友父子兄弟夫婦の道をつとめて、文道心にたり武備外に調て、三民自ら是を師とし是を貴んで、其教にしたがひ其本末をしるにたれり。こゝにをいて士の道たつて、衣食居をつくのい、以て心易かるべく、主君の恩、父母の恵、しばらく報ずるにたりぬべし。此つとめあらざらんには、父母のめぐみを盗、主君の禄を貪て、一生の間唯盗賊の命を全くするに同じ。甚以て嘆息するにたへたり。
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