弁名 / 性情才
仁義禮智爲性。昉於漢儒。而成於宋儒。緣五行之說也。然孟子亦曰。君子所性。仁義禮智根於心。又曰。口之於味也。目之於色也。耳之於聲也。鼻之於臭也。四肢之於安佚也。性也。有命焉。君子不謂性也。仁之於父子也。義之於君臣也。禮之於賓主也。智之於賢者也。聖人之於天道也。有性焉。君子不謂命也。是其所祖述也。
新字:仁義礼智為性。昉於漢儒。而成於宋儒。縁五行之説也。然孟子亦曰。君子所性。仁義礼智根於心。又曰。口之於味也。目之於色也。耳之於声也。鼻之於臭也。四肢之於安佚也。性也。有命焉。君子不謂性也。仁之於父子也。義之於君臣也。礼之於賓主也。智之於賢者也。聖人之於天道也。有性焉。君子不謂命也。是其所祖述也。
書き下し
仁義礼智を性と為すは、漢儒に昉まりて、宋儒に成る。五行の説に縁るなり。然れども孟子も亦た曰く、「君子の性とする所、仁義礼智心に根ざす」と。又た曰く、「口の味に於ける、目の色に於ける、耳の声に於ける、鼻の臭に於ける、四肢の安佚に於けるは、性なり。命有り、君子は性と謂はず。仁の父子に於ける、義の君臣に於ける、礼の賓主に於ける、智の賢者に於ける、聖人の天道に於けるは、命なり。性有り、君子は命と謂はず」と。是れ其の祖述する所なり。
現代語訳
仁義礼智を性とする考えは、漢の儒者に始まり、宋の儒者で完成した。五行の説によったものである。しかし孟子もまた「君子が性とするものは、仁義礼智が心に根ざしていることである」と言い、さらに「口が味を、目が色を、耳が音を、鼻が匂いを、手足が安楽を求めるのは性である。しかし命(天の定め)があるので、君子はそれを性とは言わない。仁が父子に、義が君臣に、礼が賓客と主人に、智が賢者に、聖人が天道に対するのは命である。しかし性があるので、君子はそれを命とは言わない」と言った。これが漢儒・宋儒の祖述した元である。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷上問ふ、平生論孟を熟読すと雖も、然れども未だ其の要領を得ず。願はくは詳らかに教へられんことを。曰く、可なり。聖門学問の第一字は是れ仁なり。義以て配と為し、礼以て輔と為し、忠信以て之が地と為す。仁の義に与けるや、猶ほ陰の陽に与けるがごとし。故に曰く、義以て配と為すと。相離るることを得ざるを言ふなり。礼は防閑の在る所なり。故に曰く、礼以て輔と為すと。礼に非ざれば則ち以て仁を存すること無きを言ふなり。己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ。乃ち学問の基本なり。故に曰く、忠信以て之が地と為すと。猶ほ屋を造るに基址有るがごとし。是れ其の総要なり。皆夫の仁の徳を成す所以なり。
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『弁名』義仁義の並称は、六経・論語に是の言有ること莫し。行を主とするが故なり。七十子よりして後、道芸を論説するを以て務と為す。論説すること已まず、日に其の趣を見し、愈〻益〻自ら憙びて以て之を言ふ。亦た自ら其の先王の道を玩ぶに流るるを覚らざるなり。是れ勢の必ず至る所にして、道の汚隆焉に繫る。是に於てか仁義を以て並べ言ひ、遂に以て先王の道に命ずるに至る。然れども其の初めは聖人を去ること未だ遠からず。故に其の言も亦た道に盭らず。礼運の如き、曰く、「義は芸の分、仁の節なり。芸に協ひ、仁に講す。之を得る者は強し。仁は義の本なり、順の体なり。之を得る者は尊し」と。説卦伝に曰く、「人の道を立つ、曰く仁と義と」と。是れなり。夫れ先王の道は博しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。是れ所謂仁なり。然れども仁は言を以て尽くすべからず。故に礼楽を作りて以て之を教ふ。是れ所謂芸なり。義も亦た先王の立つる所、詩書の載する所是れなり。先王の教は、礼義を立てて以て人の大端と為す。故に書・論語・中庸は皆礼義を以て並べ言ひて、仁義を以て並べ言はず。
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『五常訓』巻之一・総論五常の性は体なり。其理説きがたし。用にあらはれて、見えやすきを以て、其字義をいはば、愛を仁と云ふ。愛はあはれみなり。宜を義と云ふ。宜とは事物に相応するを云ふ。各其事につきて理に当るなり。理を礼と云ふ。理とは人をうやまひ、事に則ありて、正しくすぢめ有るを云ふ。通ずるを智と云ふ。道理に通じ、是非を知るを云ふ。守るを信と云ふ。偽なくして、道をかたく守りて、変ぜざるを云ふ。此字義は、周子の説なり。韓子曰く、人の性とする所の者は五、曰く仁義礼智信。是人の性に、此五の者そなはれる事をいへり。故に又五性とも云ふ。此五性をすべていへば仁なり。故に孔子は、唯仁の一字を以て教とし給ふ。是易に天地の大徳を生と曰ふといへる意に本づけり。
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