山鹿語類 / 士道・正直
師曰。大丈夫の世に立、正直ならずんば不可有也。其義有處は、守て更に不變の謂也。其親踈貴賤に不因、其可改所を改め、可糾事をたゞして、不諛人不從世の謂也。世間に身を立つることは、世にまかせ人に不從しては、理のまゝに立こと有がたしと云へる輩、俸祿を得ながら、君の非を不糾、父兄の惡を不諫して、時とともに追從し、大祿大官に預て、當世にへつらひ、時節を以て君を諫むべきと云の內に、光陰ついに空しくして、一生一事をなすことなし。尤可耻、尤可笑。豈大丈夫の心存せるならんや。唯祿により官にさへられて、本心こゝに放失し、世の弄臣となれるなるべし。孟子曰。豪傑之士。雖無文王起と也。人のたすけをまち、人のうくるを喜て、諫を入非をたゞす事は、正直の士に非ずといへども、猶これをなすべし。彼大丈夫に至ては、一毫の助をまつ處有らざるべし。松到天而不屈。蘭無人而亦香。是則大丈夫正直の立處と云べし。直方大は易の重んずる言なれば、君父につかへて世に立つことは、つとによはに唯正大直方を本とし、世俗の名譽にかゝはらず、仁義に非らずしては君の前に不陳、大節に臨て凛然として四海にまたがる、是正直の心を存する所以也。
新字:師曰。大丈夫の世に立、正直ならずんば不可有也。其義有処は、守て更に不変の謂也。其親疎貴賤に不因、其可改所を改め、可糾事をたゞして、不諛人不従世の謂也。世間に身を立つることは、世にまかせ人に不従しては、理のまゝに立こと有がたしと云へる輩、俸禄を得ながら、君の非を不糾、父兄の悪を不諫して、時とともに追従し、大禄大官に預て、当世にへつらひ、時節を以て君を諫むべきと云の内に、光陰ついに空しくして、一生一事をなすことなし。尤可耻、尤可笑。豈大丈夫の心存せるならんや。唯禄により官にさへられて、本心こゝに放失し、世の弄臣となれるなるべし。孟子曰。豪傑之士。雖無文王起と也。人のたすけをまち、人のうくるを喜て、諫を入非をたゞす事は、正直の士に非ずといへども、猶これをなすべし。彼大丈夫に至ては、一毫の助をまつ処有らざるべし。松到天而不屈。蘭無人而亦香。是則大丈夫正直の立処と云べし。直方大は易の重んずる言なれば、君父につかへて世に立つことは、つとによはに唯正大直方を本とし、世俗の名誉にかゝはらず、仁義に非らずしては君の前に不陳、大節に臨て凛然として四海にまたがる、是正直の心を存する所以也。
書き下し
師曰。大丈夫の世に立、正直ならずんば不可有也。其義有処は、守て更に不変の謂也。其親疎貴賤に不因、其可改所を改め、可糾事をたゞして、不諛人不従世の謂也。世間に身を立つることは、世にまかせ人に不従しては、理のまゝに立こと有がたしと云へる輩、俸禄を得ながら、君の非を不糾、父兄の悪を不諫して、時とともに追従し、大禄大官に預て、当世にへつらひ、時節を以て君を諫むべきと云の内に、光陰ついに空しくして、一生一事をなすことなし。尤可耻、尤可笑。豈大丈夫の心存せるならんや。唯禄により官にさへられて、本心こゝに放失し、世の弄臣となれるなるべし。孟子曰。豪傑之士。雖無文王起と也。人のたすけをまち、人のうくるを喜て、諫を入非をたゞす事は、正直の士に非ずといへども、猶これをなすべし。彼大丈夫に至ては、一毫の助をまつ処有らざるべし。松到天而不屈。蘭無人而亦香。是則大丈夫正直の立処と云べし。直方大は易の重んずる言なれば、君父につかへて世に立つことは、つとによはに唯正大直方を本とし、世俗の名誉にかゝはらず、仁義に非らずしては君の前に不陳、大節に臨て凛然として四海にまたがる、是正直の心を存する所以也。
現代語訳
先生はこう言われた。大丈夫が世に立つには、正直でなければならない。義のあるところは、守って少しも変えないことを言う。親しい疎い、貴い賤しいによらず、改めるべきところを改め、糾すべきことを糾して、人にへつらわず世に従わないことを言う。世間で身を立てるには、世に任せ人に従わなければ、理のままに立つことは難しいと言う者たちは、俸禄を得ながら主君の非を糾さず、父兄の悪を諫めず、時とともに追従して、大きな禄や高い官を授かり、当世にへつらって、時機を見て主君を諫めようと言っているうちに、月日はついに空しく過ぎて、一生何一つ成し遂げることがない。もっとも恥ずべく、もっとも笑うべきことである。どうして大丈夫の心が保たれていると言えようか。ただ禄によって官に妨げられて、本心がそこで放たれ失われ、世の弄臣(もてあそばれる家来)となったのであろう。孟子は「豪傑の士は文王がいなくても奮い立つ」(『孟子』尽心上)と言った。人の助けを待ち、人が受け入れてくれるのを喜んで諫めを入れ非を糾すことは、正直の士とは言えないけれども、それでもなおこれはすべきである。かの大丈夫に至っては、少しの助けも待つところがないはずである。「松は天に届いても曲がらず、蘭は人がいなくてもなお香る」。これがすなわち大丈夫の正直の立ちどころと言うべきである。「直・方・大」は『易』が重んじる言葉であるから、主君や父に仕えて世に立つには、朝から夜までただ正大・直方を根本とし、世俗の名誉にこだわらず、仁義でなければ主君の前で申し述べず、大節に臨んでは凛然として四海にまたがるように立つ、これが正直の心を保つ所以である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五中華の俗、振古君を諫めて命を致す者、相踵ぎて絶えず。刀鋸前に在り、鼎鑊後に在りと雖も、敢へて其の死を畏れざる者は、何ぞや。其の俗義を尚び、且つ文学有りて、諫諍の方を知ればなり。本邦の俗、古来戦死を軽んずる者多し。鋒鏑羅列し、元を喪ふこと須臾に在りと雖も、敢へて其の身を惜しまざる者は、何ぞや。其の俗勇を好みて、名節を尚べばなり。倭漢気概を尚びて、其の死を惜しまざることは同じくして、死する所の地の異なる者は、他無し。俗尚の義を好みて学有ると、勇を好みて気を尚ぶとの同じからざるに因るなり。
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『長短経』量才忠正にして強く諫めて姦詐有ること無く、私を去り公を立てて言に法度有り。是くの如き者は、挙げて以て列士と為す。故に列士の事は常に義に在るなり。故に道徳仁義定まりて天下正し。
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
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