慎思録 / 巻之五
中華之俗。振古諫君而致命者。相踵不絕。雖刀鋸在前。鼎鑊在後。不敢畏其死者。何也。其俗尙義。且有文學。而知諫諍之方也。本邦之俗。古來輕戰死者多矣。雖鋒鏑羅列。喪元在須臾。不敢惜其身者。何也。其俗好勇。而尙名節也。倭漢尙氣槩。而不惜其死同。而所死之地異者。無他。因俗尙之好義而有學。與好勇而尙氣之不同也。
新字:中華之俗。振古諫君而致命者。相踵不絶。雖刀鋸在前。鼎鑊在後。不敢畏其死者。何也。其俗尚義。且有文学。而知諫諍之方也。本邦之俗。古来軽戦死者多矣。雖鋒鏑羅列。喪元在須臾。不敢惜其身者。何也。其俗好勇。而尚名節也。倭漢尚気槩。而不惜其死同。而所死之地異者。無他。因俗尚之好義而有学。与好勇而尚気之不同也。
書き下し
中華の俗、振古君を諫めて命を致す者、相踵ぎて絶えず。刀鋸前に在り、鼎鑊後に在りと雖も、敢へて其の死を畏れざる者は、何ぞや。其の俗義を尚び、且つ文学有りて、諫諍の方を知ればなり。本邦の俗、古来戦死を軽んずる者多し。鋒鏑羅列し、元を喪ふこと須臾に在りと雖も、敢へて其の身を惜しまざる者は、何ぞや。其の俗勇を好みて、名節を尚べばなり。倭漢気概を尚びて、其の死を惜しまざることは同じくして、死する所の地の異なる者は、他無し。俗尚の義を好みて学有ると、勇を好みて気を尚ぶとの同じからざるに因るなり。
現代語訳
中国の風俗では、昔から君を諫めて命を捧げる者が次々と絶えません。刀やのこぎりが目の前にあり、煮殺す鼎や釜が後ろにあっても、あえて死を恐れないのはなぜでしょうか。その風俗が義を尊び、しかも学問があって、諫める方法を知っているからです。わが国の風俗では、昔から戦で死ぬことを軽く見る者が多いのです。刃や矢じりが並び、首を失うのが一瞬のうちにあっても、あえて身を惜しまないのはなぜでしょうか。その風俗が勇を好み、名誉と節操を尊ぶからです。日本と中国はともに気概を尊び、死を惜しまないことは同じですが、死ぬ場所が異なるのは、ほかでもありません。風俗が義を好んで学問があるのと、勇を好んで気を尊ぶのとの違いによるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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論語・陽貨篇子曰く、唯だ上知と下愚とは移らざるなり。
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『慎思録』巻之四用兵の道は、義以て質と為し、術以て之を行ひ、勇以て之を出だし、知以て之を成す。良将なるかな。苟も義以て質と為すに非ざれば、勇智良術有りと雖も、是れ賊兵為るのみ。天地の道は、開闢より以来、万古を歴と雖も、常にして変ぜず。故に古今一般なり。人心には私有り、民俗漸く澆薄なり。時世に随ひて、日日変遷して未だ休まず。故に人道の興廃は古今同じからず。天地の道と相似ざる所以なり。
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呂氏春秋・決勝①夫れ兵には本幹有り。必ず義、必ず智、必ず勇なり。義なれば則ち敵孤獨に、敵孤獨なれば則ち上下虚しく、民解落す。孤獨なれば則ち父兄怨み、賢者誹り、亂內に作こる。智なれば則ち時化を知る。時化を知れば、則ち虚實盛衰の變を知り、先後遠近縱舍の數を知る。勇なれば則ち能く決斷し、能く決斷すれば則ち能く雷電飄風暴雨の若く、能く崩山破潰し、別辨霣墜するが若し。鷙鳥の撃つや、搏攫すれば則ち殪し、木に中れば則ち碎くるが若し。此れ義智勇を以て得るなり。
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孔子家語・好生孔子子路に謂いて曰わく、「君子は心を以て耳目を導き、義を立てて以て勇と為す。小人は耳目を以て心を導き、愻ならざるを以て勇と為す。故に曰わく、之を退けられて怨みず、之に先んずれば斯れ従う可きのみと。」