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山鹿語類 / 士道・清廉

此間自然に義を存する味あり。人の氣質に因て、天性清廉にして、聊の貪なきものなり。是又其質人にすぐるゝ處ありといへども、學びつとめて此質を清廉に至るが如く致して、此に存心にあらざれば、廣く推して物に及ぼす事能はざる也。清廉の器あらんには、利害にをいて更に放心することあるべからざれば、大丈夫のつとめ尤も爰にありぬべし。古の伯夷叔齊が言行、殆んど清廉の至極と云べし。孟子曰。伯夷目不視惡色。耳不聽惡聲。非其君不事。非其民不使。治則進。亂則退。橫政之所出。橫民之所止。不忍居也。思與鄕人處。如以朝衣朝冠坐於塗炭也。當紂之時。居北海之濱。以待天下之清也。故聞伯夷之風者。頑夫廉。懦夫有立志といへり。されば伯夷は聖之清なる者とは、無所雜謂なれば也。

新字:此間自然に義を存する味あり。人の気質に因て、天性清廉にして、聊の貪なきものなり。是又其質人にすぐるゝ処ありといへども、学びつとめて此質を清廉に至るが如く致して、此に存心にあらざれば、広く推して物に及ぼす事能はざる也。清廉の器あらんには、利害にをいて更に放心することあるべからざれば、大丈夫のつとめ尤も爰にありぬべし。古の伯夷叔斉が言行、殆んど清廉の至極と云べし。孟子曰。伯夷目不視悪色。耳不聴悪声。非其君不事。非其民不使。治則進。乱則退。横政之所出。横民之所止。不忍居也。思与郷人処。如以朝衣朝冠坐於塗炭也。当紂之時。居北海之浜。以待天下之清也。故聞伯夷之風者。頑夫廉。懦夫有立志といへり。されば伯夷は聖之清なる者とは、無所雑謂なれば也。

書き下し

此間自然に義を存する味あり。人の気質に因て、天性清廉にして、聊の貪なきものなり。是又其質人にすぐるゝ処ありといへども、学びつとめて此質を清廉に至るが如く致して、此に存心にあらざれば、広く推して物に及ぼす事能はざる也。清廉の器あらんには、利害にをいて更に放心することあるべからざれば、大丈夫のつとめ尤も爰にありぬべし。古の伯夷叔斉が言行、殆んど清廉の至極と云べし。孟子曰。伯夷目不視悪色。耳不聴悪声。非其君不事。非其民不使。治則進。乱則退。横政之所出。横民之所止。不忍居也。思与郷人処。如以朝衣朝冠坐於塗炭也。当紂之時。居北海之浜。以待天下之清也。故聞伯夷之風者。頑夫廉。懦夫有立志といへり。されば伯夷は聖之清なる者とは、無所雑謂なれば也。

現代語訳

この間には自然に義を保つ味わいがある。人の気質によっては、生まれつき清廉で、少しの貪りもない者がいる。これもまたその質が人よりすぐれたところがあるとはいえ、学び努めてこの質を清廉に至るようにして、ここに心を保つのでなければ、広く推し及ぼして物に及ぼすことはできない。清廉の器があれば、利害において少しも心を放つことはないので、大丈夫の勤めはもっともここにあるはずである。昔の伯夷・叔斉の言行は、ほとんど清廉の極みと言うべきである。孟子は「伯夷は目に悪い色を見ず、耳に悪い声を聞かなかった。正しい君でなければ仕えず、正しい民でなければ使わなかった。治まれば進み、乱れれば退いた。横暴な政治の出るところ、横暴な民の住むところには、居るに忍びなかった。郷里の人と共にいることを思うと、朝廷の衣冠を着けて泥や炭の上に座るようだと感じた。殷の紂王の時には、北海の浜に住んで天下が清まるのを待った。だから伯夷の風を聞く者は、頑なな者も廉潔になり、気弱な者も志を立てる」(『孟子』万章下)と言った。それゆえ伯夷が聖人のうちの清なる者だというのは、雑じるところがないという意味だからである。

解説

生まれつき清廉な人もいるが、学んで努めなければ広く物に推し及ぼすことはできない、と素行は言う。天性に頼らず修養で清廉を確かなものにせよというのである。そのうえで清廉の極みとして伯夷・叔斉を挙げ、『孟子』万章下の長い一節を引く。伯夷の風を聞けば頑なな者も廉潔になるという言葉は、清廉が個人の美徳にとどまらず周囲を感化する力を持つことを示している。組織の空気を変えるのは規則より、一人の潔い人の存在であることも多い。

この章句が説くこと

士道清廉存心伯夷孟子感化

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