山鹿語類 / 士道・清廉
師曰。大丈夫內清廉を守らざれば、公につかへ父兄にしたがつて、利害此に萠して、天性の心を放し失つべし。清廉と云は、外の賄賂內の財貨さらに心に不付して、世人の難行所に卓爾と立て更に不屈、これを清廉と云へり。內に清廉なる處あらざれば、外少しの利害に奪はれて、其守りを失ひ、心こゝに放失すべし。されば孔子は忍渴於盜泉之水、曾參は回車於勝母之閭と云へる、是清廉の云に非ずや。さしも万鍾の祿を辭するばかり高尙なる行跡ある人も、一紙半錢の事の至てわづかなる處に、內に驚吝の情生ずるは、清廉の心薄くして、鄙吝の情こゝに生ずれば也。
新字:師曰。大丈夫内清廉を守らざれば、公につかへ父兄にしたがつて、利害此に萠して、天性の心を放し失つべし。清廉と云は、外の賄賂内の財貨さらに心に不付して、世人の難行所に卓爾と立て更に不屈、これを清廉と云へり。内に清廉なる処あらざれば、外少しの利害に奪はれて、其守りを失ひ、心こゝに放失すべし。されば孔子は忍渇於盗泉之水、曽参は回車於勝母之閭と云へる、是清廉の云に非ずや。さしも万鍾の禄を辞するばかり高尚なる行跡ある人も、一紙半銭の事の至てわづかなる処に、内に驚吝の情生ずるは、清廉の心薄くして、鄙吝の情こゝに生ずれば也。
書き下し
師曰。大丈夫内清廉を守らざれば、公につかへ父兄にしたがつて、利害此に萠して、天性の心を放し失つべし。清廉と云は、外の賄賂内の財貨さらに心に不付して、世人の難行所に卓爾と立て更に不屈、これを清廉と云へり。内に清廉なる処あらざれば、外少しの利害に奪はれて、其守りを失ひ、心こゝに放失すべし。されば孔子は忍渇於盗泉之水、曽参は回車於勝母之閭と云へる、是清廉の云に非ずや。さしも万鍾の禄を辞するばかり高尚なる行跡ある人も、一紙半銭の事の至てわづかなる処に、内に驚吝の情生ずるは、清廉の心薄くして、鄙吝の情こゝに生ずれば也。
現代語訳
先生はこう言われた。大丈夫が内に清廉を守らなければ、公に仕え父兄に従ううちに、利害がそこに芽生えて、天性の心を放し失ってしまうだろう。清廉というのは、外からの賄賂も内の財貨もまったく心に掛けず、世の人が行いがたいところに卓然と立って少しも屈しない、これを清廉と言う。内に清廉なところがなければ、外の少しの利害に奪われて、その守りを失い、心がそこで放たれ失われるだろう。それゆえ、孔子は盗泉という名の泉の水を渇きを忍んで飲まず、曾参は勝母(母に勝つ)という名の村の門で車を引き返したと言われるのは、清廉のことを言ったものではないか。あれほど万鍾の禄を辞退するほど高尚な行いのある人でも、一枚の紙や半銭ほどのきわめてわずかなことに、内に惜しみ吝む情が生じるのは、清廉の心が薄くて、卑しく吝い情がそこに生じるからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二十三年 叔孫、冠を二つ与う士彌牟韓宣子に謂ひて曰く、「子良く圖らずして、叔孫を以って其の讎に與へば、叔孫必ず之に死せん。魯叔孫を亡はば、必ず邾を亡ぼさん。邾君國を亡はば、將に焉くにか歸せん。子之を悔ゆと雖も、何ぞ及ばん。所謂盟主とは、命に違ふを討ずるなり。若し皆相執へば、焉んぞ盟主を用ゐん」と。乃ち與へず。各々一館に居らしむ。士伯其の辭を聽きて、諸を宣子に愬へ、乃ち皆之を執ふ。士伯叔孫に御す。從者四人。邾の館を過ぎて以って吏に如く。先づ邾子を歸す。士伯曰く、「芻蕘の難、從者の病を以って、將に子を都に館せんとす」と。叔孫旦にして立ち、期(ま)つ。乃ち諸を箕に館す。子服昭伯を他邑に舍す。范獻子貨を叔孫に求め、使ひして冠を請はしむ。其の冠の法を取りて、之に兩冠を與へて曰く、「盡きたり」と。叔孫の故の為に、申豐貨を以って晉に如く。叔孫曰く、「我に見えよ。吾女(なんぢ)に貨を行ふ所を告げん」と。見えて出ださず。吏人の叔孫と箕に居る者、其の吠狗を請ふ。與へず。將に歸らんとするに及び、殺して之に與へて之を食はしむ。叔孫の館する所は、一日と雖も、必ず其の牆屋を葺き、之を去ること始めて至るが如し。
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『呻吟語』内篇・應務・交際を禁ずるに非ず或るひと問ふ、「士大夫の交際は禮か」と。曰く、「禮なり。古者、鄰國を睦むに享禮有り、私覿有り。士大夫相見るに各おの贄する所有り」と。曰く、「近者之を嚴禁するは、何ぞや」と。曰く、「交際を禁ずるに非ず、交際を以て賄賂を行ふ者を禁ずるなり。夫れ緣無くして交はり、處無くして饋る。其の饋るや情に過ぐれば、之を賄と謂ひて可なり。豈に惟だ嚴禁するのみならんや、即ち禁ぜざるも、君子は受けず。乃ち宿に交はり在り、情を知ること猶ほ骨肉のごとく、數年見えざるに、一飯も相留めざるは、人情ならんや。余謂へらく大政を秉る者は平を持するを貴び、一切を貴ばず。平を持すれば則ち節有り、一切なれば則ち愈いよ潰ゆ」と。
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『春秋左氏伝』昭公十三年 羹を受けて錦を反す秋、晉侯吳子に良に會せんとす。水道可ならず、吳子辭す。乃ち還る。七月丙寅、兵を邾の南に治む、甲車四千乘。羊舌鮒司馬を攝す。遂に諸侯を平丘に合す。子產・子大叔、鄭伯に相として以って會す。子產幄幕九張を以って行く。子大叔四十を以ってす。既にして之を悔い、舍する每に焉を損ず。會に及びて亦た之の如くす。衛の地に次る。叔鮒貨を衛に求め、芻蕘する者を淫にす。衛人屠伯をして叔向に羹と一篋の錦とを饋らしめて曰く、「諸侯晉に事へて、未だ敢へて攜貳せず。況んや衛は君の宇下に在り、而して敢へて異志有らんや。芻蕘する者他日に異なれり。敢へて之を請ふ」と。叔向羹を受け、錦を反して曰く、「晉に羊舌鮒なる者有り、貨を瀆して厭く無し。亦た將に及ばんとす。此の役を為すや、子若し君命を以って之に賜はば、其れ已まん」と。客之に從ふ。未だ退かざるに之を禁ず。晉人將に盟を尋めんとす。齊人可とせず。晉侯叔向をして劉獻公に告げしめて曰く、「抑齊人盟はず、之を若何せん」と。對へて曰く、「盟は以って信を厎す。
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国語・晋語九梗陽(こうよう)の人に獄有り。将に勝たざらんとす。賂(まいない)を魏献子(ぎけんし)に納れんと請う。献子将に之を許さんとす。閻没(えんぼつ)、叔寛(しゅくかん)に謂いて曰く、「子と与(とも)に諫めんか。吾が主は賄せざるを以て諸侯に聞こゆ。今梗陽の賄を以て之を殃(そこな)うは、不可なり」と。二人朝して退かず。献子将に食せんとし、誰か庭に於けると問う。曰く、「閻明・叔褒(しゅくほう)在り」と。之を召して食を佐(すす)めしむ。食し已(おわ)るに比(およ)びて、三たび歎ず。既に飽き、献子焉(これ)に問いて曰く、「人言える有り、曰く、唯だ食のみ以て憂いを忘るべし、と。吾子一食の間にして三たび歎ずるは何ぞや」と。辞を同じうして対えて曰く、「吾は小人なり、貪る。饋(き)の始めて至るや、其の足らざるを懼る。故に歎ず。中食にして自ら咎めて曰く、豈に主の食にして足らざること有らんや、と。是を以て再び歎ず。主の既已に食するや、願わくは小人の腹を以て君子の心と為し、饜(あ)くに属(いた)りて已(や)まんことを。是を以て三たび歎ず」と。献子曰く、「善し」と。乃ち梗陽の人を辞す。
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『秘本玉くしげ』下 使う者を罰すこれを止る法は、まづ賄を取者を禁むるのみならず、これをつかふ者をきびしくいましめて、何事によらずいささかにても賄をつかふ者相しるるに於ては、急度曲事に申付べしとの旨をつねづねふれおかれて、もし犯す者あらんには、一人二人きびしく咎められなどせば、つかふ者は勿論にて、とる人もおのづからきみわろかるべし。上の制禁ならんには、これをつかはぬを怒ることも得せじ。そもそも賄は、つかふ者にはとがなくして、罪は取者にある事なれ共、取者をのみ制しては止がたければ、つかふ者をいましむるも一つの権道なるべきにや。
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『甲陽軍鑑』品第四十一国の仕置武士までの事にいろはせ給へば、其家老必らず賄賂にふけり、礼物をもつて諸役者に諸奉公人共なるにより、彼役者どもの存分我立身したることわざをば、死するまでもよきことと存ずるに付、いはんや存生さかんの時、我に音信つかふ人をば善悪の弁もなく、これはよき人と存じ、御大将へ出頭よく取成て、礼物つかふ人ばかり立身して本のよき者はおし付られ、心いさむ事なく、さながら其大将へ無沙汰申し、ゆく〳〵用にも立まじきと思ふなり、
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