導師導古典を学びたいすべての人に

山鹿語類 / 士道・清廉

古人云。彼清廉之士。一榻白雲。半窓明月。金穴百丈。而不操。銅山万仞。而不瞬と云へり。若し清廉の志あらざれば、人の不知不見、取ても害あらざらん處においては、自然に吝嗇の心生じつべし。昔し延陵の季子出てあそぶ。道にをいて人の遺せる金あり。是を見て傍に柴を負へる人あるに云けるは、是をひろつて利せよと。此人大に怒て曰。何ぞ汝位高く其詞いやしきや。我薪を負ふの雜人たりと云へども、人のおとせる金を拾て利するの心なしといへり。季子大に驚て其姓名を問けれども、ついに不答と也。負薪はわづかの利にして、おとしてある處の黄金は甚重しといへども、清廉の志あらん大丈夫は、不可得ものをうる處なし。

新字:古人云。彼清廉之士。一榻白雲。半窓明月。金穴百丈。而不操。銅山万仞。而不瞬と云へり。若し清廉の志あらざれば、人の不知不見、取ても害あらざらん処においては、自然に吝嗇の心生じつべし。昔し延陵の季子出てあそぶ。道にをいて人の遺せる金あり。是を見て傍に柴を負へる人あるに云けるは、是をひろつて利せよと。此人大に怒て曰。何ぞ汝位高く其詞いやしきや。我薪を負ふの雑人たりと云へども、人のおとせる金を拾て利するの心なしといへり。季子大に驚て其姓名を問けれども、ついに不答と也。負薪はわづかの利にして、おとしてある処の黄金は甚重しといへども、清廉の志あらん大丈夫は、不可得ものをうる処なし。

書き下し

古人云。彼清廉之士。一榻白雲。半窓明月。金穴百丈。而不操。銅山万仞。而不瞬と云へり。若し清廉の志あらざれば、人の不知不見、取ても害あらざらん処においては、自然に吝嗇の心生じつべし。昔し延陵の季子出てあそぶ。道にをいて人の遺せる金あり。是を見て傍に柴を負へる人あるに云けるは、是をひろつて利せよと。此人大に怒て曰。何ぞ汝位高く其詞いやしきや。我薪を負ふの雑人たりと云へども、人のおとせる金を拾て利するの心なしといへり。季子大に驚て其姓名を問けれども、ついに不答と也。負薪はわづかの利にして、おとしてある処の黄金は甚重しといへども、清廉の志あらん大丈夫は、不可得ものをうる処なし。

現代語訳

古人は「かの清廉の士は、一つの腰掛けに白雲、半分の窓に明月を友とし、百丈の金の穴があってもつかまず、万仞の銅の山があっても瞬きもしない」と言った。もし清廉の志がなければ、人が知らず見ず、取っても害がないようなところでは、自然に吝い心が生じるだろう。昔、延陵の季子(呉の季札)が外に出て遊んだ。道に人が落とした金があった。これを見て、そばに柴を背負っている人がいたので、「これを拾って得をしなさい」と言った。この人は大いに怒って、「どうしてあなたは位が高いのに言葉が卑しいのか。わたしは薪を背負う雑人ではあるが、人の落とした金を拾って得をしようという心はない」と言った。季子は大いに驚いてその姓名を尋ねたが、ついに答えなかったという。薪を負う稼ぎはわずかな利であり、落ちている黄金ははなはだ重いけれども、清廉の志のある大丈夫は、得るべきでないものを得ることがない。

解説

清廉が試されるのは、人が知らず見ず、取っても害がない場面である。素行は呉の賢人延陵季子の逸話を引く。道に落ちた金を拾えと勧めた季子を、薪を背負う男が「位が高いのに言葉が卑しい」と叱り、名も告げずに去った。身分の低い者がかえって清廉の手本になるという話の運びに、素行が身分ではなく心の在り方を問うていることが表れている。誰も見ていない場面での振る舞いこそ、その人の本当の倫理である。現代のコンプライアンスの根もここにある。

この章句が説くこと

士道清廉義利慎独節度延陵季子

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る