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山鹿語類 / 士道・安命

師曰。人の苦しむ所は、死亡禍難貧賤孤獨也。人の樂む所は此うら也。苦しむときは、是が爲めに心不安、樂時は是がために又心變ず。故に憂喜に當て其所志變じ、心こゝに不存は尋常の情也。大丈夫此時にをいて心を存する、是富貴貧賤にうつらざるの謂也。易曰。澤無水困也。君子以致命遂志。又曰。山上有水蹇也。君子以反身修德といへる、是困究の時にあたり、艱難之事に遇て、君子安命の心得也。凡そ命と指處は、人の造爲して不叶、天自然に其形をなし、其理其事あらしむる、是を命と云へり。天生蒸民、有物有則と云は、是物々各其命ある事を云へるにも可叶也。されば命は朱子註して天命と號す。命は猶令と云へり。程子曰。君子當困究之時。盡其防慮之道。而不得免。則命也といへる。各天の所爲にして、人の不能のゆへん也。孔子曰。五十而知天命。又曰。不知命。無以爲君子也。孟子曰。莫非命也。順受其正とある事、人として天命に安んずる處あらざれば、此妄動妄作して實地を蹈む事不能と云へる也。

新字:師曰。人の苦しむ所は、死亡禍難貧賤孤独也。人の楽む所は此うら也。苦しむときは、是が為めに心不安、楽時は是がために又心変ず。故に憂喜に当て其所志変じ、心こゝに不存は尋常の情也。大丈夫此時にをいて心を存する、是富貴貧賤にうつらざるの謂也。易曰。沢無水困也。君子以致命遂志。又曰。山上有水蹇也。君子以反身修徳といへる、是困究の時にあたり、艱難之事に遇て、君子安命の心得也。凡そ命と指処は、人の造為して不叶、天自然に其形をなし、其理其事あらしむる、是を命と云へり。天生蒸民、有物有則と云は、是物々各其命ある事を云へるにも可叶也。されば命は朱子註して天命と号す。命は猶令と云へり。程子曰。君子当困究之時。尽其防慮之道。而不得免。則命也といへる。各天の所為にして、人の不能のゆへん也。孔子曰。五十而知天命。又曰。不知命。無以為君子也。孟子曰。莫非命也。順受其正とある事、人として天命に安んずる処あらざれば、此妄動妄作して実地を蹈む事不能と云へる也。

書き下し

師曰。人の苦しむ所は、死亡禍難貧賤孤独也。人の楽む所は此うら也。苦しむときは、是が為めに心不安、楽時は是がために又心変ず。故に憂喜に当て其所志変じ、心こゝに不存は尋常の情也。大丈夫此時にをいて心を存する、是富貴貧賤にうつらざるの謂也。易曰。沢無水困也。君子以致命遂志。又曰。山上有水蹇也。君子以反身修徳といへる、是困究の時にあたり、艱難之事に遇て、君子安命の心得也。凡そ命と指処は、人の造為して不叶、天自然に其形をなし、其理其事あらしむる、是を命と云へり。天生蒸民、有物有則と云は、是物々各其命ある事を云へるにも可叶也。されば命は朱子註して天命と号す。命は猶令と云へり。程子曰。君子当困究之時。尽其防慮之道。而不得免。則命也といへる。各天の所為にして、人の不能のゆへん也。孔子曰。五十而知天命。又曰。不知命。無以為君子也。孟子曰。莫非命也。順受其正とある事、人として天命に安んずる処あらざれば、此妄動妄作して実地を蹈む事不能と云へる也。

現代語訳

先生はこう言われた。人が苦しむところは、死亡・災難・貧賤・孤独である。人が楽しむところはその裏である。苦しむときはそのために心が安らかでなく、楽しむときはそのためにまた心が変わる。だから憂いや喜びに当たってその志すところが変わり、心がそこに保たれないのは、普通の人情である。大丈夫がこういう時において心を保つこと、それが富貴や貧賤に移されないということである。『易』に「沢に水がないのが困である。君子はそれによって命を投げ出して志を遂げる」(困卦)とあり、また「山の上に水があるのが蹇である。君子はそれによって身に立ち返って徳を修める」(蹇卦)とある。これは困窮の時に当たり、艱難の事に遭って、君子が命に安んじる心得である。およそ命と指すところは、人が作り為そうとしてもかなわず、天が自然にその形をなし、その理とその事をあらしめる、これを命と言う。「天が多くの民を生み、物があれば則(のり)がある」(『詩経』大雅・烝民)と言うのは、物それぞれにその命があることを言ったものとも合うであろう。そして命は、朱子が注して天命と名づける。命はなお令(いいつけ)のようなものだと言う。程子は「君子が困窮の時に当たり、その防ぎ慮る道を尽くしても免れることができないなら、それは命である」と言った。いずれも天のなすところで、人にはできないわけである。孔子は「五十にして天命を知る」と言われ、また「命を知らなければ君子であることはできない」と言われた。孟子は「命でないものはない。その正しいものを順に受けよ」と言った。人として天命に安んじるところがなければ、妄りに動き妄りに作為して、実地を踏むことができないと言ったのである。

解説

安命は、死亡・禍難・貧賤・孤独といった人の苦しみに直面したとき、心を保つ工夫である。素行は『易』の困卦・蹇卦の象伝を引き、困窮の時こそ君子は命を致して志を遂げ、身に返って徳を修めるとする。命とは人の作為ではどうにもならず、天が自然に定めるものであり、朱子・程子・孔子・孟子の言葉を重ねてその意味を確かめる。命を知らなければ妄動するというのは、運命論ではなく、自分の手の届かない範囲を見極めて力の向け先を定めよという実践の知恵である。

この章句が説くこと

士道安命天命困窮易経孔子

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