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翁問答 / 上卷之末

かの病人惡寒發熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分數極まりぬれば、必らず惡人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盜跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる樣なれども、おのれと六極の剛惡におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、萬世不朽の惡名をながしぬれば、六極の報應さだかならずやまた顏子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、眞樂の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、萬世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、

新字:かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、

書き下し

かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、

現代語訳

あの病人も、悪寒発熱の病勢が衰えて本復すれば、常の人のように暑さ寒さを感じるものである。そのように運命の勢いが衰えてその分数が極まれば、必ず悪人は六極を逃れがたく、善人は五福を受けるものである。それゆえ盗跖は無病息災で難なく長生きして暮らしたようであるが、自ら六極の剛悪に陥って、至誠無息の神理を失い、万世不朽の悪名を流したのだから、六極の報いは明らかではないか。また顔子は箪瓢陋巷で不幸短命であったが、五福の攸好徳を受け、真の楽しみという大いなる福がめでたく、長く在って滅びない神理が明らかで、万世に極まりなく、公爵を追贈され四配の祭祀を受けなさったのだから、五福がもたらされたことは明らかではないか。運命の勢いによって、いったん見かけは福善禍淫の常に違うようであっても、つまるところ真実の端的は、ついには天命本然の常に立ち返るものである。

解説

病が癒えれば季節の暑さ寒さを感じるように、運命の勢いが尽きれば天の賞罰は必ず現れると藤樹は説く。盗跖は長生きしたが悪名を万世に残し、顔回は短命でも徳を好む楽しみを得て、後世には公爵を追贈され孔子廟の四配として祀られた。四配とは顔回・曾子・子思・孟子の四人である。報いを一生の損得だけでなく、人格の充実と後世の評価まで含めて見る長い時間軸がここにある。短期の成果で一喜一憂せず、長い目で自分の仕事の値打ちを見るための支えとなる考え方である。

この章句が説くこと

天命五福六極顔回盗跖至誠

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