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山鹿語類 / 士道・辨義利

義利の辨を詳にする時は、存心して不放、義利の辨を不知時は、情欲一たび動くとき、我好惡にうばはれて、心爰に不存也。さるによつて、存心の工夫は敬の一字にありと、古人これを論ず。敬は聖人の禮を制する本にして、毋不敬といへり。今云處は人々の必ず所惑此間にあれば、此辨を詳にせば心は常に存すべきなり。敬計り存すと云とも、其わきまへ詳ならず、究理分明にあらざれば、是は義とせんや、是は利とせんや。兩般の間ついに不分して、道こゝにくらし。故に以辨義利間爲存心之要にありぬべしと也。孔子曰。君子喩於義。小人喩於利。孟子曰。鷄鳴而起。孳々爲善者。舜之徒也。鷄鳴而起。孳々爲利者。跖之徒也。欲知舜與跖之分。無他利與善之間也。

新字:義利の弁を詳にする時は、存心して不放、義利の弁を不知時は、情欲一たび動くとき、我好悪にうばはれて、心爰に不存也。さるによつて、存心の工夫は敬の一字にありと、古人これを論ず。敬は聖人の礼を制する本にして、毋不敬といへり。今云処は人々の必ず所惑此間にあれば、此弁を詳にせば心は常に存すべきなり。敬計り存すと云とも、其わきまへ詳ならず、究理分明にあらざれば、是は義とせんや、是は利とせんや。両般の間ついに不分して、道こゝにくらし。故に以弁義利間為存心之要にありぬべしと也。孔子曰。君子喩於義。小人喩於利。孟子曰。鶏鳴而起。孳々為善者。舜之徒也。鶏鳴而起。孳々為利者。跖之徒也。欲知舜与跖之分。無他利与善之間也。

書き下し

義利の弁を詳にする時は、存心して不放、義利の弁を不知時は、情欲一たび動くとき、我好悪にうばはれて、心爰に不存也。さるによつて、存心の工夫は敬の一字にありと、古人これを論ず。敬は聖人の礼を制する本にして、毋不敬といへり。今云処は人々の必ず所惑此間にあれば、此弁を詳にせば心は常に存すべきなり。敬計り存すと云とも、其わきまへ詳ならず、究理分明にあらざれば、是は義とせんや、是は利とせんや。両般の間ついに不分して、道こゝにくらし。故に以弁義利間為存心之要にありぬべしと也。孔子曰。君子喩於義。小人喩於利。孟子曰。鶏鳴而起。孳々為善者。舜之徒也。鶏鳴而起。孳々為利者。跖之徒也。欲知舜与跖之分。無他利与善之間也。

現代語訳

義利の弁を詳しくするときは、心を保って放さない。義利の弁を知らないときは、情欲が一度動くと、自分の好き嫌いに奪われて、心がそこに保たれない。それゆえ、心を保つ工夫は敬の一字にあると古人はこれを論じた。敬は聖人が礼を定める根本であって、「敬まざることなかれ」(『礼記』曲礼)と言っている。いま言うところは、人々が必ず惑うところがこの間にあるのだから、この弁を詳しくすれば心は常に保たれるはずである。敬だけで心を保つといっても、そのわきまえが詳しくなく、究理がはっきりしていなければ、これは義とすべきか、これは利とすべきか、二つの間がついに分かれず、道はここで暗くなる。だから義利の間を弁ずることを心を保つ要とすべきだというのである。孔子は「君子は義に明るく、小人は利に明るい」(『論語』里仁篇)と言われた。孟子は「鶏が鳴くと起きて、せっせと善を行う者は、舜の仲間である。鶏が鳴くと起きて、せっせと利を求める者は、盗跖の仲間である。舜と跖の分かれ目を知りたいなら、ほかでもない、利と善の間にある」(『孟子』尽心上)と言った。

解説

結びで素行は、宋学が存心の工夫として重んじた敬の一字に言及する。敬は礼の根本だと認めつつ、敬だけで義と利の区別がはっきりしなければ、何が義で何が利か分からず道は暗くなると言う。だから存心の要は義利の弁にあるとする。朱子学の居敬を相対化し、具体的な判断の弁別を重んじる素行の立場がうかがえる。孟子の舜と盗跖の対比は、同じ早起きの勤勉でも向かう先が善か利かで人が分かれることを示し、熱心さだけでは足りないと教える。

この章句が説くこと

士道義利存心敬論語孟子

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