尚書 / 康誥
惟命不于常
書き下し
惟れ命は常には于いてせず。
現代語訳
天命は、常に同じところにとどまるものではない。
解説
地位や役割、あるいは物事の巡り合わせは、いつまでも同じ場所にとどまっているとは限らないという警句である。今の立場や順調な状況がこの先も当然のように続くと思い込んだ瞬間に、油断や慢心はそっと忍び込んでくる。仕事上の役割にせよ、人間関係の安定にせよ、それが変わりうるものだと日頃から自覚しておくことが、地道な努力を続けるための静かな支えになる。
この章句が説くこと
天命無常慢心への戒め
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論語 堯曰篇堯曰わく、咨(ああ)!爾(なんじ)舜、天の暦数、爾の躬に在り。允(まこと)にその中を執れ。四海困窮せば、天祿永く終らん。舜もまた禹に命ず。曰わく、予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて皇皇后帝に昭告す。有罪あらば敢えて赦さず、帝臣を蔽わず。簡(えら)ぶること帝の心に在り。朕躬に罪あらば、万方に及ぼすこと無かれ。万方に罪あらば、罪は朕躬に在り。
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
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二宮翁夜話・巻之二小田原藩にて報徳仕法の儀は、良法には相違無しといへども、故障(こしょう)の次第有て、今般畳置(たたみお)くと云布達(ふたつ)出づ、領民の内、是を憂(うれ)ひて、翁(おきな)の許(もと)に来り歎(なげ)く者あり、手作の芋(いも)を持来て呈せり、翁諭(さと)して曰く、夫(それ)此芋の如きは、口腹を養ひ、必用の美菜なれば、是を弘(ひろ)く植(うえ)て、其実法(みの)りを施(ほどこ)さんと願ふは尤(もっとも)なれども、天運冬に向ひ、雪霜降り、地の氷るを如何せん、強(し)て植なば凍(いて)に損じ霜に痛み、種をも失ふに至るべし、是非もなき事なり、是人の口腹を養ふ徳ある美物なるが故に、寒気雪霜を凌(しの)ぐ力なし、食料にもならざる麁物(そぶつ)は、却(かえ)て寒気雪霜にも、痛(いた)まぬ物なり、是自然の勢(いきおい)、如何とも仕方なし、今日は寒気雪中なり、早く芋種(いもたね)は土中に埋め、藁(わら)にて囲(かこ)ひ、深く納めて、来陽(らいよう)雪霜の消(きゆ)るを待べし、山谷原野一円、雪降り水氷り寒威(かんい)烈(はげ)しき時は、最早(もはや)是切り暖(あたたか)には成らぬかと思ふ様なれども、雪消え氷解けて、草木の芽(め)ばる時も又必あるべし、其時に至て囲ひ置し芋種を取出し、植る時は忽(たちま)ち其種田甫(でんぽ)に満て、繁茂(はんも)する疑(うたが)ひなし、かゝる春陽に逢(あ)ふとも種を納め囲はざれば、植殖(うえふや)す事あたはず、夫農事は春陽立帰(たちかえ)り、草木芽立(めだ)たんとするを見て種を植ゑ、秋風吹(ふき)すさみ草木枯落(こらく)する時は、未(いま)だ雪霜の降らざるに、芋種は土中に埋めて、此処に埋ると云、心覚(こころおぼ)えをし、深く隠(かく)して来陽を待べし、道の行るる行れざるは天なり、人力を以て如何とも為し難し、此時に至ては、才智も益(えき)なし、弁舌も益なし、勇あるも又益なし、芋種を土中に埋るにしかず、夫小田原の仕法は、先君の命に依て開き、当君の命に依て畳(たた)む、皆是までなり、凡(およ)そ天地間の万物の生滅する、皆天地の令命による、私(わたくし)に生滅するにはあらず、春風に万物生じ、秋風に枯落する、皆天地の命令なり、豈(あに)私ならんや、曾子死に臨(のぞ)んで、予が手を開け、予が足を開け云々、と云り、予も又然り、予が日記を見よ、予が書翰留(しょかんどめ)を見よ、戦々競々(せんせんきょうきょう)深淵(しんえん)に臨むが如く、薄氷を蹈(ふ)むが如し、畳置に成て予免(まぬか)るゝ事を知る哉(かな)と云べし、汝等早く帰りて芋種を囲ひ置き、来陽春暖を待て又植弘(うえひろ)むべし、決して心得違ひする事なかれ、慎(つつし)めや慎めや
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二宮翁夜話・巻之五或(あるひと)問ひて曰(いわ)く、因果(いんが)と天命との差別如何(いかん)、翁(おきな)曰く、因果の道理の尤(もっと)も見易(みやす)きは、蒔種(まくたね)の生(お)ふるなり、故に予(よ)人に諭(さと)すに「米蒔けば米の草はへ米の花咲つゝ米の実(み)のる世の中」の歌を以てす、仏は、種に因(よ)りて生ずる方より見て、因果と云へり、然(しか)りといへども、之を地に蒔かざれば生ぜず、蒔くといへども、天気を受けざれば育せず、されば種ありといへ共(ども)、天地の令命(れいめい)に依らざれば生育せず、花咲き実のらざる也、儒(じゅ)は、此方(このほう)より見て天命と云へるなり、夫(それ)天命とは、天の下知(げち)と云ふが如し、悪人の刑を免(まぬか)れたるを見て、仏は因縁未(いま)だ熟せずと云ひ、儒は天命未だ降(くだ)らずと云ふ、皆米を蒔きて未だ実らざるを云ふなり、此悪人捕縛(ほばく)に就(つ)くを見て、仏は因縁熟せりと云ひ、儒は天命到れりと云ふ、而(しか)して之を捕縛する者は上意(じょうい)と云へり、此上意則(すなわ)ち天命と云ふに同じ、夫借りたる物を約定(やくじょう)の通り返すは、世上の通則なり、されば規則の通りふむべきは定理なるを、履(ふ)まざる時は、貸方(かしかた)之を請求して、上命を以て此規則を履ましむ、爰(ここ)に至りて身代限(しんだいかぎ)りとなる、仏は之を見て、借りたる因によりて、身代限りとなるは果也と云ひ、儒は借りて返さゞる故に身代限りの上命降れりと云ふなり、共に言語上に聊(いささ)かの違ひあるのみ、其理に於ては違ひなし、又問ふ、因縁とは如何、翁曰く、因は譬(たと)へば蒔きたる種也、之を耕耘培養(こううんばいよう)するは縁なり、種を蒔きたる因と、培養したる縁とに依りて、秋の実のりを得る、之を果と云ふなり。
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葉隠・聞書第一盛衰(せいすい)を以て、人の善悪は、沙汰(さた)されぬ事なり。盛衰は天然(てんねん)の事、善悪は人の道なり。されど、教訓の為には、盛衰を以て云うなり。