都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
答、其一家一門ノ議ハ、皆々法ヲ知ラザルユヘナリ、道有テ聚金銀ハ天命ナリ、天ノ賜ル財ヲ不舍、天ノ命ニソムカズ、約ヲ以テ禮ノ本ヲ守レリ、又道ヲ行フ者ハ、他ノソシリハ、有ナラヒナリ、孟子曰、無傷士憎茲多口、詩云憂心悄悄、慍于群小孔子也ト、聖人ノ行ハ、小人ノ行ニ違ヘル故、衆ノ口ノ爲ニ、孔子モ譏ニ逢玉ヘリ、又美食ヲ好ザルハ、身ノ分限ナリ、二汁五菜七菜抔ト云重キ料理ハ、下々ノコトニアラズ、御上ヨリ品ヲ分テ見バ、汝ノ親方ノ料理ハ、今少シ奢ニテモ有ベシ、ソレヲ一門衆ハ、箸ヲ取初ル計トハ、分ヲ知ラザル奢者ナリ、先飢饉年ニハ、飯米ノ調代ヲ借リ、汝ノ親方ノ惠ニヨリ飢ニ及バズ、ソレヲ忘レ、身ノ分ヲ不知、
新字:答、其一家一門ノ議ハ、皆々法ヲ知ラザルユヘナリ、道有テ聚金銀ハ天命ナリ、天ノ賜ル財ヲ不舎、天ノ命ニソムカズ、約ヲ以テ礼ノ本ヲ守レリ、又道ヲ行フ者ハ、他ノソシリハ、有ナラヒナリ、孟子曰、無傷士憎茲多口、詩云憂心悄悄、慍于群小孔子也ト、聖人ノ行ハ、小人ノ行ニ違ヘル故、衆ノ口ノ為ニ、孔子モ譏ニ逢玉ヘリ、又美食ヲ好ザルハ、身ノ分限ナリ、二汁五菜七菜抔ト云重キ料理ハ、下々ノコトニアラズ、御上ヨリ品ヲ分テ見バ、汝ノ親方ノ料理ハ、今少シ奢ニテモ有ベシ、ソレヲ一門衆ハ、箸ヲ取初ル計トハ、分ヲ知ラザル奢者ナリ、先飢饉年ニハ、飯米ノ調代ヲ借リ、汝ノ親方ノ恵ニヨリ飢ニ及バズ、ソレヲ忘レ、身ノ分ヲ不知、
書き下し
答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
現代語訳
梅岩は答えました。「その一族の人たちの言い分は、みな決まりを知らないからです。道にかなって集めた金銀は天命です。天が与えた財を捨てず、天の命に背かず、倹約によって礼の根本を守っているのです。また道を行う者が他人から非難されるのは、世の常です。孟子は『気にすることはない。士は多くの口から憎まれるものだ。詩経に「心は憂えて沈み、つまらぬ者たちに恨まれる」とあるのは、孔子のことだ』と言いました。聖人の行いは小人の行いと違うので、大勢の口によって孔子も非難を受けられたのです。また美食を好まないのは、身の分限です。二汁五菜、七菜などという重い料理は庶民のすることではありません。お上から身分の品を分けて見れば、あなたの主人の料理は、もう少しぜいたくでもよいくらいです。それを一族の人たちが箸を付けるだけとは、分を知らない奢った者です。まず飢饉の年には飯米の代金を借り、あなたの主人の恵みで飢えずに済んだのに、それを忘れ、身の分をわきまえず、
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
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『大和俗訓』巻之四・心術下一天命は天のくだす所、人のうくる所なり。命は猶令のごとしとて、下知の意なり。天よりくだる故に天命といふ。天命に常あり変あり。善を行へば福あり、悪をすれば禍あるは常なり。善人に禍あり。悪人に福あるは変なり。人の吉凶、禍福、寿夭、富貴貧賤、万の幸不幸、皆天の命ずる所なり。人間の万事、天命にあらざる事なし。或は生れつきて定まり、或は時により不慮に命くだりて、偶然として福にあひ、わざはひにあふ。求めても命なければ得がたく、求めざれども命あれば得やすし。唯人の法を行ひて、天命をまつべし。善を行ひて福来るは常の理なれども、もし禍あるは、是また天命の変なれば、うれふべからず。およそ人天命を知りて、命にまかせ、うれひなき工夫をなすべし。天命を知らざれば、命のさだまりありて、福の求めがたく、禍の去りがたき事を知らず。利につき、害をさけんとし、人にへつらひ、神にへつらふは見ぐるし。愚なりといふべし。故に論語に、命を知らざれば以て君子たること無きなりといへり。
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
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