導師導古典を学びたいすべての人に

山鹿語類 / 士道・辨義利

如此云ときは、以前の輕重の論も、人を尤むることになりぬべきに似たり。聖人の敎は全く不然。世の人々皆守長が振舞の如くあらんには、君臣も不立、父子もわきまへなく、各其利を利として、誰か主人の苦勞にかはり、父兄のいたはりに代るものあらん。左云ふ人も下人をもたざることもある不可。子なきこともあらじ。我下人は主人をすてゝ身をかまへよ、子は親をすてゝ自ら逞くせよと云ば、世間一時に禽獸夷狄に可落。人として禽獸夷狄に落入ば、天地こゝに倒覆すべし。是たとへ行へと云ても、內にはぢて不被行處の感通あるを以て也。聖人は不得止の天則のまゝに順て、道を道と立玉へり。情欲のまゝにいたさば、天下の間更に不可立をしれば也。生死の事にかぎらず、凡そ利害のまじはる處、各此思ひ入を味て、その宜を制すべき也。

新字:如此云ときは、以前の軽重の論も、人を尤むることになりぬべきに似たり。聖人の教は全く不然。世の人々皆守長が振舞の如くあらんには、君臣も不立、父子もわきまへなく、各其利を利として、誰か主人の苦労にかはり、父兄のいたはりに代るものあらん。左云ふ人も下人をもたざることもある不可。子なきこともあらじ。我下人は主人をすてゝ身をかまへよ、子は親をすてゝ自ら逞くせよと云ば、世間一時に禽獣夷狄に可落。人として禽獣夷狄に落入ば、天地こゝに倒覆すべし。是たとへ行へと云ても、内にはぢて不被行処の感通あるを以て也。聖人は不得止の天則のまゝに順て、道を道と立玉へり。情欲のまゝにいたさば、天下の間更に不可立をしれば也。生死の事にかぎらず、凡そ利害のまじはる処、各此思ひ入を味て、その宜を制すべき也。

書き下し

如此云ときは、以前の軽重の論も、人を尤むることになりぬべきに似たり。聖人の教は全く不然。世の人々皆守長が振舞の如くあらんには、君臣も不立、父子もわきまへなく、各其利を利として、誰か主人の苦労にかはり、父兄のいたはりに代るものあらん。左云ふ人も下人をもたざることもある不可。子なきこともあらじ。我下人は主人をすてゝ身をかまへよ、子は親をすてゝ自ら逞くせよと云ば、世間一時に禽獣夷狄に可落。人として禽獣夷狄に落入ば、天地こゝに倒覆すべし。是たとへ行へと云ても、内にはぢて不被行処の感通あるを以て也。聖人は不得止の天則のまゝに順て、道を道と立玉へり。情欲のまゝにいたさば、天下の間更に不可立をしれば也。生死の事にかぎらず、凡そ利害のまじはる処、各此思ひ入を味て、その宜を制すべき也。

現代語訳

このように言うと、先の軽重の論も人を咎めることになってしまいそうに見える。聖人の教えはまったくそうではない。世の人々がみな守長の振る舞いのようであったら、君臣も成り立たず、父子のわきまえもなく、各自が自分の利だけを利として、誰が主人の苦労に代わり、父兄のいたわりに代わる者があろうか。そう言う人も、下人を持たないこともありえない。子がないこともあるまい。自分の下人は主人を捨てて身を守れ、子は親を捨てて自分だけたくましく生きよと言えば、世の中は一時に禽獣や夷狄に落ちるだろう。人として禽獣夷狄に落ち込めば、天地はここに覆るはずである。これはたとえ行えと言っても、内に恥じて行えないところの感じ通じるものがあるからである。聖人はやむをえない天の法則のままに従って、道を道として立てられた。情欲のままにすれば、天下の間にまったく立ち行かないことを知っておられたからである。生死のことに限らず、およそ利害の交わるところでは、それぞれこの思い入れを味わって、その宜しさを裁断すべきである。

解説

守長の弁護論に対し、素行は、世の全員が守長のように振る舞えば君臣も父子も成り立たないと答える。弁護する人にも下人や子がいるはずで、自分の下人や子に主を捨てよ親を捨てよと言えるか、と問い返すのである。言えないのは、内に恥じる感覚が人に通じているからで、聖人はその不得已の天則に従って道を立てたとする。自分がされたら困ることを基準に考えさせる論法は、損得の議論を超えて組織の信頼がどこから生まれるかを教えてくれる。

この章句が説くこと

士道義利人倫天則恥忠孝

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る