山鹿語類 / 士道・辨義利
師嘗曰。大丈夫存心の工夫、唯在辨義利之間而已。君子小人の差別、王道覇者之異論、すべて義と利との間に有之也。いかなるをか義と云はんとならば、內に省りみて有所羞畏、處事而後自慊、是を義といふべし。いかなるをか利と云はんとならば、內縱欲而外從其安逸、これを利と云べし。古今の間、學者道に入の始末、唯義利の辨を詳にするにあるべき也。其ゆへに利は人の甚所好にして、人々皆所陷溺也。されば生死について云ば、生を好み死をにくみ、利害について云ば、利にはしりて害をさけ、勞逸について云ときは、勞を嫌て逸に付、飮食居宅衣服の用、視聽言動の間、凡そ七情の發する處、各此情なくんばあるべからず。
新字:師嘗曰。大丈夫存心の工夫、唯在弁義利之間而已。君子小人の差別、王道覇者之異論、すべて義と利との間に有之也。いかなるをか義と云はんとならば、内に省りみて有所羞畏、処事而後自慊、是を義といふべし。いかなるをか利と云はんとならば、内縦欲而外従其安逸、これを利と云べし。古今の間、学者道に入の始末、唯義利の弁を詳にするにあるべき也。其ゆへに利は人の甚所好にして、人々皆所陥溺也。されば生死について云ば、生を好み死をにくみ、利害について云ば、利にはしりて害をさけ、労逸について云ときは、労を嫌て逸に付、飲食居宅衣服の用、視聴言動の間、凡そ七情の発する処、各此情なくんばあるべからず。
書き下し
師嘗曰。大丈夫存心の工夫、唯在弁義利之間而已。君子小人の差別、王道覇者之異論、すべて義と利との間に有之也。いかなるをか義と云はんとならば、内に省りみて有所羞畏、処事而後自慊、是を義といふべし。いかなるをか利と云はんとならば、内縦欲而外従其安逸、これを利と云べし。古今の間、学者道に入の始末、唯義利の弁を詳にするにあるべき也。其ゆへに利は人の甚所好にして、人々皆所陥溺也。されば生死について云ば、生を好み死をにくみ、利害について云ば、利にはしりて害をさけ、労逸について云ときは、労を嫌て逸に付、飲食居宅衣服の用、視聴言動の間、凡そ七情の発する処、各此情なくんばあるべからず。
現代語訳
先生はかつてこう言われた。大丈夫が心を保つ工夫は、ただ義と利の間を見分けることにあるだけである。君子と小人の違い、王道と覇者の異なる論も、すべて義と利の間にある。どういうものを義と言うかといえば、内に省みて恥じ畏れるところがあり、事を処理したのちに自ら心に満ち足りる、これを義と言うべきである。どういうものを利と言うかといえば、内に欲をほしいままにし、外にその安逸に従う、これを利と言うべきである。昔から今まで、学ぶ者が道に入る始めから終わりまでは、ただ義利の弁を詳しくすることにあるのである。なぜなら利は人がはなはだ好むもので、人々がみな溺れるところだからである。たとえば生死について言えば、生を好み死を憎み、利害について言えば、利に走って害を避け、労逸について言えば、労を嫌って逸に就く。飲食・住まい・衣服の用、見る・聞く・言う・動くの間、およそ七情(喜怒哀懼愛悪欲)の発するところには、それぞれこの情がないことはありえない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
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論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち之を君子と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る君子なる者は、言は忠信にして心に徳とせず、仁義身に在りて色に伐(ほこ)らず、思慮明通にして辞は争わず。故に猶然として将に及ぶべきが如き者は、君子なり、と。
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