山鹿語類 / 士道・風度
大丈夫婉にやさしく臘たけたらんは、柔弱に溺れて風度と云にはあらず。少しもつたなくいやしき質あらず、水精の瓶に秋水をたくはへ、白玉の盃に氷をのせたらん如く、聊もかくれたる處なき風情、是を大丈夫の風度といふべき也。是內にへつらふ處なく、外に屈すべき物なく、何くに行といへども、其氣常に萬物の上に伸びて、鳶飛て天にいたり、魚躍て淵に入り、月の梧桐にきたり、風の楊柳をさゝふに不殊。如此の風度を養ひ得ずしては、一塵にも不染の如ならんや。尤可愼也。
新字:大丈夫婉にやさしく臘たけたらんは、柔弱に溺れて風度と云にはあらず。少しもつたなくいやしき質あらず、水精の瓶に秋水をたくはへ、白玉の盃に氷をのせたらん如く、聊もかくれたる処なき風情、是を大丈夫の風度といふべき也。是内にへつらふ処なく、外に屈すべき物なく、何くに行といへども、其気常に万物の上に伸びて、鳶飛て天にいたり、魚躍て淵に入り、月の梧桐にきたり、風の楊柳をさゝふに不殊。如此の風度を養ひ得ずしては、一塵にも不染の如ならんや。尤可慎也。
書き下し
大丈夫婉にやさしく臘たけたらんは、柔弱に溺れて風度と云にはあらず。少しもつたなくいやしき質あらず、水精の瓶に秋水をたくはへ、白玉の盃に氷をのせたらん如く、聊もかくれたる処なき風情、是を大丈夫の風度といふべき也。是内にへつらふ処なく、外に屈すべき物なく、何くに行といへども、其気常に万物の上に伸びて、鳶飛て天にいたり、魚躍て淵に入り、月の梧桐にきたり、風の楊柳をさゝふに不殊。如此の風度を養ひ得ずしては、一塵にも不染の如ならんや。尤可慎也。
現代語訳
大丈夫がしなやかで優しく、ろうたけて(気品高く)あるというのは、柔弱に溺れることを風度と言うのではない。少しもつたなく卑しい質がなく、水晶の瓶に秋の澄んだ水を蓄え、白玉の盃に氷を載せたように、少しも隠れたところのない風情、これを大丈夫の風度と言うべきである。これは内にへつらうところがなく、外に屈すべき物がなく、どこへ行こうとも、その気が常に万物の上に伸びて、鳶が飛んで天に至り、魚が躍って淵に入り、月が梧桐に来たり、風が楊柳をそよがせるのと変わらない。このような風度を養い得なければ、塵一つにも染まらないようでいられようか。もっとも慎むべきことである。
解説
この章句が説くこと
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