山鹿語類 / 士道・辨義利
聖人君子の敎、生を嫌て死につき、害にはしりて利をさけ、勞して逸せざれと云には非ず。聖人君子の好み惡む處も亦凡人に不可異して、其間惑を辨ずるにあるのみ也。いかなるをか惑と云べきとならば、唯自の身を利して外を不顧、是を惑と云也。自身を利することを好むは、是又天下同情にして、聖人君子は輕重を能く辨ず。輕重と云は、君父兄師夫は我ために重し。臣子弟幼婦は我がために輕し。天下國家は身よりも重し。視聽言動は心より輕し。此輕重を詳に究理するときは、惑こゝに止むべし。
新字:聖人君子の教、生を嫌て死につき、害にはしりて利をさけ、労して逸せざれと云には非ず。聖人君子の好み悪む処も亦凡人に不可異して、其間惑を弁ずるにあるのみ也。いかなるをか惑と云べきとならば、唯自の身を利して外を不顧、是を惑と云也。自身を利することを好むは、是又天下同情にして、聖人君子は軽重を能く弁ず。軽重と云は、君父兄師夫は我ために重し。臣子弟幼婦は我がために軽し。天下国家は身よりも重し。視聴言動は心より軽し。此軽重を詳に究理するときは、惑こゝに止むべし。
書き下し
聖人君子の教、生を嫌て死につき、害にはしりて利をさけ、労して逸せざれと云には非ず。聖人君子の好み悪む処も亦凡人に不可異して、其間惑を弁ずるにあるのみ也。いかなるをか惑と云べきとならば、唯自の身を利して外を不顧、是を惑と云也。自身を利することを好むは、是又天下同情にして、聖人君子は軽重を能く弁ず。軽重と云は、君父兄師夫は我ために重し。臣子弟幼婦は我がために軽し。天下国家は身よりも重し。視聴言動は心より軽し。此軽重を詳に究理するときは、惑こゝに止むべし。
現代語訳
聖人君子の教えは、生を嫌って死に就き、害に走って利を避け、苦労して安逸するなと言うのではない。聖人君子が好み憎むところも凡人と異なるはずはなく、その間にある惑いを見分けることにあるだけである。どういうものを惑いと言うかといえば、ただ自分の身を利して外を顧みないこと、これを惑いと言う。自分の身を利することを好むのは、これもまた天下に共通の情であって、聖人君子は軽重をよく見分ける。軽重というのは、君・父・兄・師・夫は自分にとって重い。臣・子・弟・幼い者・妻は自分にとって軽い。天下国家は身よりも重い。見る聞く言う動くは心よりも軽い。この軽重を詳しく究めるときは、惑いはそこで止むはずである。
解説
この章句が説くこと
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『山鹿語類』士道・辨義利其故は生死の塲此一刹那にありと云ふとき、君のため又は人のため其外重きものゝために害あらんに於ては、速に死して不可顧。我重きものゝために害なきにをいては、能く保ち能く養て命を全くするに在ぬべし。利害労逸各然り。万事にをいて如此究事物之理、則義理の行長じて、利害による所則消滅す。而利害の間宜く立て、利まことに利あり、害まことに害ある也。是聖人君子人に教ゆるにしゆる所なく、唯自体認せしめて不得止のゆゑんを推して万事に用ゆるのみ也。此惑弁じがたきを知て、古人さま〳〵の教を立たり。大丈夫として己れが利害によつて、天性に耻ぢ恐るゝ処明白なる義を棄ん事は、甚可嘆也。されば小利を得て傲り、功をとげてほこり、財に臨んで求め、難を見て遁れ、争て勝つことを求め、わかつては多からんことを欲し、欲をたんぬせず、志を満しめんことを思ひ、楽を尽さんことをねがふ。如此無量の情欲出来する時、軽重を弁ずる事あらざるが故に、重き方を忘れて軽きを重んじ、ついに君臣父子兄弟師友夫婦の義かけて、其事をねがひのまゝに致して、そのあとに快からぬ処生ず。是義のかくる処は、天則にそむく処あれば也。
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『山鹿語類』士道・辨義利如此云ときは、以前の軽重の論も、人を尤むることになりぬべきに似たり。聖人の教は全く不然。世の人々皆守長が振舞の如くあらんには、君臣も不立、父子もわきまへなく、各其利を利として、誰か主人の苦労にかはり、父兄のいたはりに代るものあらん。左云ふ人も下人をもたざることもある不可。子なきこともあらじ。我下人は主人をすてゝ身をかまへよ、子は親をすてゝ自ら逞くせよと云ば、世間一時に禽獣夷狄に可落。人として禽獣夷狄に落入ば、天地こゝに倒覆すべし。是たとへ行へと云ても、内にはぢて不被行処の感通あるを以て也。聖人は不得止の天則のまゝに順て、道を道と立玉へり。情欲のまゝにいたさば、天下の間更に不可立をしれば也。生死の事にかぎらず、凡そ利害のまじはる処、各此思ひ入を味て、その宜を制すべき也。
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『山鹿語類』士道・辨義利師嘗曰。大丈夫存心の工夫、唯在弁義利之間而已。君子小人の差別、王道覇者之異論、すべて義と利との間に有之也。いかなるをか義と云はんとならば、内に省りみて有所羞畏、処事而後自慊、是を義といふべし。いかなるをか利と云はんとならば、内縦欲而外従其安逸、これを利と云べし。古今の間、学者道に入の始末、唯義利の弁を詳にするにあるべき也。其ゆへに利は人の甚所好にして、人々皆所陥溺也。されば生死について云ば、生を好み死をにくみ、利害について云ば、利にはしりて害をさけ、労逸について云ときは、労を嫌て逸に付、飲食居宅衣服の用、視聴言動の間、凡そ七情の発する処、各此情なくんばあるべからず。
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『山鹿語類』士道附錄・先生子弟警戒凡そ君子小人の機を明らかにすべし。君子は天地の大道に因りて、少しも己の利害に喩らず。小人は成敗利鈍を以て、其の才を衒ひ、其の知を売る。才知の及ぶ所は同じと雖も、其の根ざす所は天壌の如し。毫釐の差、千里の謬り、唯だ義利の弁に在るなり。玆の誠を慎思すれば、則ち智其れ判然たり。爾子弟戒めよや。四支の安佚を求むること勿れ。耳目の視聴を慢ること勿れ。無用の事を談ずること勿れ。衆人の毀誉を必とすること勿れ。知を慢りて己を利すること勿れ。倹に過ぎ奢を究むること勿れ。専ら楽を好みて業を荒らすこと勿れ。戒めよや子弟。
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『山鹿語類』士道・辨義利而して大丈夫今日所言所行、甚理に中るがごとしと云ども、聊さきにあてゝ為る所あるときは、是則利心也。あてゝすると云は、今日の言行は此ためになる処ありと利をふくめ致すは、是財宝名色の利にあらずとも、則ち伯術に落て、聖人の教にたがふべし。たとへば我行跡をたしなむは、人に能くいはれんと思ふは名欲也。人の能く云ためにあらず。唯家中の手本となりて、下々の作法行儀を糾明し、家をとゝのふるの為なりと云、是則利也。勿論家をとゝのへんとならば、身を修むるにありと云へども、家の為めに身を修むると心え行はんはあやまり也。天性我身はをさむべきのことわりあり。我身をさまりて家とゝのはずとも、少も其処に心とゞむべからず。人としては此道を修むるゆゑんの身也。外にみる処なし。是王道の大にして万物にさはること非ざることわざなり。董仲舒曰。仁人者正其誼不謀其利、明其道不計其功と云は、今云処にも近からんや。朱子曰。正義未嘗不利、明道豈必無功、但不先以功利為心耳と云へり。身をさまれば、家斉は定れることにして、家斉をあてゝせんとならば、是其功をあつる也。聖学の究理にあらざる也。
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『山鹿語類』士道・剛操能く義利の分を弁じて、安んじてこれを行は君子也。君子は世に不易得。勉強して其惑を去ること学者の困で知る処也。学者大丈夫に至らんことを思はん輩は、常に剛操を守て、好悪にをいて心の存亡を詳にし、万物の下に不屈が如く可心得也。古人生質に因て自然に剛操の徒ありといへども、是又一方に秀て一方にくらし。学人古人の生質に秀でたる処あるを、今日身上に取用て、弥其究理をきはめ、能事物の間に推し移るが如く可仕也。士として大丈夫のきたいに不練得、学も亦碌々たる小書生の志のみ也。何ぞ天下の大器識たらん。尤可味也。
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