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講孟余話 / 告子下 第六章

孔子爲魯司寇云々、孟子自ラ斉ヲ去ルヲ以テ、孔子ノ魯ヲ去ルニ比ス、此意ヲ味フニ必ス由アラン、公孫丑下篇末章ニ、於崇、吾得見王、退而有去志、久於斉、非我志也、トアリ、其第十一章ニ、子爲長者慮、而不及子思、トアリ、其第十二章ニ、王庶幾改之、トアリ、此類ヲ合セ見ハ、大畧伺フヘシ、盖シ孟子初テ宣王ニ見テヨリ既ニ去志アリ、然トモ故ナクシテ去ルコトヲ欲セス、故ニ必時ヲ待テ後去ルナリ、或ハ一事ニ託シテ去ルナラン、待ツコトアリ託スルコトアリト云トモ、其本意ハ宣王賢ヲ尊フノ誠心ナク、王政ヲ行フノ実心ナキノ故ヲ以テナリ、豈他アランヤ

新字:孔子為魯司寇云々、孟子自ラ斉ヲ去ルヲ以テ、孔子ノ魯ヲ去ルニ比ス、此意ヲ味フニ必ス由アラン、公孫丑下篇末章ニ、於崇、吾得見王、退而有去志、久於斉、非我志也、トアリ、其第十一章ニ、子為長者慮、而不及子思、トアリ、其第十二章ニ、王庶幾改之、トアリ、此類ヲ合セ見ハ、大略伺フヘシ、盖シ孟子初テ宣王ニ見テヨリ既ニ去志アリ、然トモ故ナクシテ去ルコトヲ欲セス、故ニ必時ヲ待テ後去ルナリ、或ハ一事ニ託シテ去ルナラン、待ツコトアリ託スルコトアリト云トモ、其本意ハ宣王賢ヲ尊フノ誠心ナク、王政ヲ行フノ実心ナキノ故ヲ以テナリ、豈他アランヤ

書き下し

「孔子魯の司寇と為る」云々。孟子自ら斉を去るを以て、孔子の魯を去るに比す。此の意を味ふに必ず由あらん。公孫丑下篇末章に、「崇に於て、吾王を見ることを得、退きて去る志有り。斉に久しきは、我が志に非ざるなり」とあり。其の第十一章に、「子長者の為に慮りて、子思に及ばず」とあり。其の第十二章に、「王庶幾はくは之を改めん」とあり。此の類を合せ見ば、大略伺ふべし。蓋し孟子初めて宣王に見えてより既に去る志あり。然れども故なくして去ることを欲せず。故に必ず時を待ちて後去るなり。或は一事に託して去るならん。待つことあり託することありと云へども、其の本意は宣王賢を尊ぶの誠心なく、王政を行ふの実心なきの故を以てなり。豈に他あらんや。

現代語訳

「孔子は魯の司寇(司法長官)となった」云々。孟子は自分が斉を去ることを、孔子が魯を去ったことになぞらえている。この意味を味わえば、きっとわけがあるのだろう。公孫丑下篇末章に「崇の地で私は王に会うことができたが、退いてからは去る志があった。斉に長くとどまったのは、私の本意ではない」とある。その第十一章に「あなたは年長の私のためを思ってくれたが、子思のための配慮には及ばない」とある。その第十二章に「王が考えを改めてくれればと願った」とある。こうしたものを合わせて見れば、おおよそのところはうかがえる。思うに、孟子は初めて宣王に会ったときから、すでに去る志があった。しかし理由もなく去ることは望まなかった。だから必ず時を待ってから去ったのである。あるいは一つの事にかこつけて去ったのだろう。待つこともあり、かこつけることもあったとはいえ、その本意は、宣王に賢者を尊ぶ誠の心がなく、王道の政治を行う実の心がなかったからである。どうしてほかに理由があろうか。

解説

孟子は、孔子が魯を去るとき祭りの肉が届かないことを口実に冠もつけずに去ったのは、君の過ちを表立てず、かといって理由なく去ったとも見られないためだと説きました。松陰は孟子が自分の斉からの去就をこれに重ねていると見て、公孫丑下篇の記述を集めます。孟子は最初から去る気持ちがあったが、理由なく去らず時を待ち、何かにかこつけて去った。本当の理由は王に賢を尊び王政を行う誠がなかったからだ、と。組織を離れるときの節度と、本当の理由を見失わない心を考えさせます。

この章句が説くこと

去就節度孟子出処誠

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