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山鹿語類 / 士道・論養氣

孟子我善養浩然之氣と論ぜり。浩然の氣と云ものは、孟子も難言と述べられたるが故に、今以て如此と云に處なし。唯心は氣に因て或は動搖し、或は困苦するものなれば、此處を能く心得て、常に道義を以て是を養て、氣の不饑が如くならしむるにありと可知。此の氣を養ひ得るときは、至大至剛にして、能く万物の上に伸びて、物に屈する處あるべからざる也。心は氣に因るがゆへに、氣能靜なる時は心則靜也。氣動ずるときは心こゝに動ず。是心氣不兩樣を以て、更にへだゝる所なし。心は內にして、氣は外に動ずるものなれば、先づ氣を養ひ得るを修身存心の本とすべき也。

新字:孟子我善養浩然之気と論ぜり。浩然の気と云ものは、孟子も難言と述べられたるが故に、今以て如此と云に処なし。唯心は気に因て或は動揺し、或は困苦するものなれば、此処を能く心得て、常に道義を以て是を養て、気の不饑が如くならしむるにありと可知。此の気を養ひ得るときは、至大至剛にして、能く万物の上に伸びて、物に屈する処あるべからざる也。心は気に因るがゆへに、気能静なる時は心則静也。気動ずるときは心こゝに動ず。是心気不両様を以て、更にへだゝる所なし。心は内にして、気は外に動ずるものなれば、先づ気を養ひ得るを修身存心の本とすべき也。

書き下し

孟子我善養浩然之気と論ぜり。浩然の気と云ものは、孟子も難言と述べられたるが故に、今以て如此と云に処なし。唯心は気に因て或は動揺し、或は困苦するものなれば、此処を能く心得て、常に道義を以て是を養て、気の不饑が如くならしむるにありと可知。此の気を養ひ得るときは、至大至剛にして、能く万物の上に伸びて、物に屈する処あるべからざる也。心は気に因るがゆへに、気能静なる時は心則静也。気動ずるときは心こゝに動ず。是心気不両様を以て、更にへだゝる所なし。心は内にして、気は外に動ずるものなれば、先づ気を養ひ得るを修身存心の本とすべき也。

現代語訳

孟子は「わたしはよく浩然の気を養う」と論じた(『孟子』公孫丑上)。浩然の気というものは、孟子も言い表しがたいと述べられたので、いまこうだと言いようがない。ただ心は気によって動揺したり困り苦しんだりするものであるから、このところをよく心得て、常に道義によってこれを養い、気が飢えないようにすることにあると知るべきである。この気を養い得たときは、この上なく大きくこの上なく強く、よく万物の上に伸びて、物に屈するところがないはずである。心は気によるものであるから、気がよく静かであるときは心も静かである。気が動くときは心もそこで動く。これは心と気が別々でないからで、少しも隔たるところがない。心は内にあり、気は外に動くものであるから、まず気を養い得ることを身を修め心を保つ根本とすべきである。

解説

孟子の浩然の気は、孟子自身が「言い難し」とした概念である。素行はそれを無理に定義せず、心は気によって揺れ動くのだから、道義によって気を養い、飢えさせないようにせよと実際的に説く。心と気は一体で、気が静まれば心も静まる。だから修身の入口は心ではなく気を整えることにあるとする。気持ちを直接変えるのは難しいが、呼吸や姿勢、生活の調子を整えれば心も落ち着く、という現代の知恵とも響き合う議論である。

この章句が説くこと

士道養気浩然心気修身孟子

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