山鹿語類 / 士道・論養氣
養と云は、我天質の氣の過不及を考へはかつて、其過ぎたるを損し、其不及をそだて、事物の間にをいて動靜宜きに相かなふが如く可仕也。是日用之工夫也。人の一身五行を以て相成る。其きわまる處は水火の二義に落。水は血にして重く、火は氣にして輕し。是氣血の二を以て營衞として身躰全し。水は火に因てめぐり、火は水に因て或は消し或は激す。而して水は常に濕に付、火は常に燥くに付て、其本躰昇降差別あり。故に人の氣必ずあがりやすく、輕く動きやすし。此處を丁簡して、氣を養て其めぐる處を順和せしめ、其動く處を妄りならしめざれば、動靜處を得て、氣に虛妄なきを以て、心これがために妄動放心する事不可有也。
新字:養と云は、我天質の気の過不及を考へはかつて、其過ぎたるを損し、其不及をそだて、事物の間にをいて動静宜きに相かなふが如く可仕也。是日用之工夫也。人の一身五行を以て相成る。其きわまる処は水火の二義に落。水は血にして重く、火は気にして軽し。是気血の二を以て営衛として身体全し。水は火に因てめぐり、火は水に因て或は消し或は激す。而して水は常に湿に付、火は常に燥くに付て、其本体昇降差別あり。故に人の気必ずあがりやすく、軽く動きやすし。此処を丁簡して、気を養て其めぐる処を順和せしめ、其動く処を妄りならしめざれば、動静処を得て、気に虚妄なきを以て、心これがために妄動放心する事不可有也。
書き下し
養と云は、我天質の気の過不及を考へはかつて、其過ぎたるを損し、其不及をそだて、事物の間にをいて動静宜きに相かなふが如く可仕也。是日用之工夫也。人の一身五行を以て相成る。其きわまる処は水火の二義に落。水は血にして重く、火は気にして軽し。是気血の二を以て営衛として身体全し。水は火に因てめぐり、火は水に因て或は消し或は激す。而して水は常に湿に付、火は常に燥くに付て、其本体昇降差別あり。故に人の気必ずあがりやすく、軽く動きやすし。此処を丁簡して、気を養て其めぐる処を順和せしめ、其動く処を妄りならしめざれば、動静処を得て、気に虚妄なきを以て、心これがために妄動放心する事不可有也。
現代語訳
養うというのは、自分の生まれつきの気の過ぎたところと足りないところを考え量って、過ぎたところを減らし、足りないところを育て、物事の間において動くにも静かにするにもよく適うようにすることである。これが日々の工夫である。人の一身は五行によって成り立っている。その極まるところは水と火の二つに帰着する。水は血であって重く、火は気であって軽い。この気と血の二つを営衛(体をめぐり守るはたらき)として、体は全うされる。水は火によってめぐり、火は水によって消されたり激しくなったりする。そして水は常に湿ったものにつき、火は常に乾いたものについて、その本体には昇り降りの違いがある。だから人の気は必ず上がりやすく、軽く動きやすい。このところをよくわきまえて、気を養ってそのめぐるところを順調に和らげ、その動くところを妄りにさせなければ、動くにも静かにするにもその所を得て、気に虚妄がないので、心がそのために妄りに動いたり放心したりすることはないはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『山鹿語類』士道・論養氣師嘗曰。人の気質に天資あり。云心は天然と生れ付て其質宜しく、又其質暗あり。是を天姿と云也。されば虎は生れながら表をあらはし、凰凰は自然に五色の色取あり。驥は不習して千里をかけり、鶴は雛にして六翮をそなふ。白玉は不琢して光りあり。黄金は自ら瓦石より炳る。是各天然の質にして、聊造作する所なし。人又如此生れ付て其宜しき所あるもの也。然れども養ひ存する処あらざるの輩は、一方は明月白日の如くなれども、又一方に黒闇無差別の処出来るものなり。故に人々我得たる所を置て、其くらき所を養て、気禀を今日に変化せしめずしては、人の人たらざる也。
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『山鹿語類』士道・論養氣孟子我善養浩然之気と論ぜり。浩然の気と云ものは、孟子も難言と述べられたるが故に、今以て如此と云に処なし。唯心は気に因て或は動揺し、或は困苦するものなれば、此処を能く心得て、常に道義を以て是を養て、気の不饑が如くならしむるにありと可知。此の気を養ひ得るときは、至大至剛にして、能く万物の上に伸びて、物に屈する処あるべからざる也。心は気に因るがゆへに、気能静なる時は心則静也。気動ずるときは心こゝに動ず。是心気不両様を以て、更にへだゝる所なし。心は内にして、気は外に動ずるものなれば、先づ気を養ひ得るを修身存心の本とすべき也。
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『養生訓』巻第二・総論下一心はつねに従容と静かにせはしからず、和平なるべし。言語は殊に静かにしてすくなくし、無用の事いふべからず。是尤気を養ふ良法なり。一人の身は、気を以て生の源、命の主とす。故に養生をよくする人は、常に元気を惜みてへらさず、静にしては元気をたもち、動きては元気をめぐらす。たもつとめぐらすと二の者そなはらざれば、気を養ひがたし。動静其時を失はず、是気を養ふの道なり。一もし大風雨と雷甚しくば、天の威をおそれて、夜といへども必ず起き、衣服をあらためて坐すべし、臥すべからず。
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『養生訓』巻第二・総論下一天地の理、陽は一陰は二なり。水は多く火は少し。水はかわきがたく火は消えやすし。人は陽類にて少く、禽獣虫魚は陰類にて多し。此の故に、陽はすくなく、陰は多きこと自然の理なり。すくなきは貴く、多きはいやし。君子は陽類にて少く、小人は陰類にて多し。易道は陽を善として貴び、陰を悪としていやしみ、君子を貴び、小人をいやしむ。水は陰類なり。暑月はへるべくして、ますます多く生ず。寒月は增すべくして、かへつて涸れてすくなし。春夏は陽気盛なる故に水多く生ず。秋冬は陽気衰ふる故水すくなし。血はへれども死なず。気多くへれば忽死す。吐血金瘡産後など、陰血大に失する者は、血を補へば、陽気いよいよ尽きて死す。気を補へば、生命をたもちて、血も自生ず。
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『慎思録』巻之六人身の生理は、気を以て主と為す。気は是れ生命の本なり。故に心を養ふ者は、欲を寡くして其の気を暴すること無かるべし。生を養ふ者は、気を愛して耗すること無かるべし。静にしては以て其の気を保ち、動にしては以て其の気を行らす。動静其の時を失はざる、是れ気を養ひて以て生を養ふの道なり。
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『慎思録』巻之一心を平らかにし気を和らぐるは、是れ身を養ひ徳を養ふの工夫なり。気を養ひて暴ふこと無きの工夫は、温恭和順、従容として迫らず、声色を動かさざるに在り。気を養ふこと此くの如くなれば、以て其の楽しみを失はざるべし。温恭の二字、経伝多く之を言ふ。是れ善を為すの初めなり。苟も是くの如くならざれば、則ち善を為すこと能はず。人に接するの道、当に是くの如くなるべし。
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