慎思録 / 巻之一
子之燕居。申申如也。夭夭如也。葢欲學聖人者。須要從容和樂。是儒者平日之氣象。宜如此。心體本隱微。未著形迹。則不可執持矣。志是心之所之。氣體之充也。人心之動靜無不資氣。若暴其氣。則志亦難持。而心體亦爲之動。故曰。持其志。而勿暴其氣。此養氣之工夫。乃持志存心之道也。葢以養心爲主意。以和氣爲工夫。故養心之道。在養氣。養氣之方。以和平無暴爲勤。此日用常行之緊要。爲學者之急務。然而後之學者。不知以之爲緊要。故爲此工夫者極鮮矣。今之學者。平日之氣象言貌。都是暴其氣之事。且其接人也。一言忤旨。一事不合。則睚眦發怒。厲氣拂戾。凡言行以使氣爲尙者。不可爲儒者之氣象。明道之接人也。一團之和氣。如坐了春風之中。是無暴其氣之至也。大賢之氣象。學者所當爲則也。
新字:子之燕居。申申如也。夭夭如也。葢欲学聖人者。須要従容和楽。是儒者平日之気象。宜如此。心体本隠微。未著形迹。則不可執持矣。志是心之所之。気体之充也。人心之動静無不資気。若暴其気。則志亦難持。而心体亦為之動。故曰。持其志。而勿暴其気。此養気之工夫。乃持志存心之道也。葢以養心為主意。以和気為工夫。故養心之道。在養気。養気之方。以和平無暴為勤。此日用常行之緊要。為学者之急務。然而後之学者。不知以之為緊要。故為此工夫者極鮮矣。今之学者。平日之気象言貌。都是暴其気之事。且其接人也。一言忤旨。一事不合。則睚眦発怒。厲気払戻。凡言行以使気為尚者。不可為儒者之気象。明道之接人也。一団之和気。如坐了春風之中。是無暴其気之至也。大賢之気象。学者所当為則也。
書き下し
子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。蓋し聖人を学ばんと欲する者は、須らく従容和楽を要すべし。是れ儒者平日の気象、宜しく此くの如くなるべし。心体は本隠微にして、未だ形迹に著れざれば、則ち執持すべからず。志は是れ心の之く所、気は体の充なり。人心の動静、気に資らざること無し。若し其の気を暴へば、則ち志も亦持し難くして、心体も亦之が為に動く。故に曰く、其の志を持して、其の気を暴ふこと勿かれと。此れ気を養ふの工夫にして、乃ち志を持し心を存するの道なり。蓋し心を養ふを以て主意と為し、気を和らぐるを以て工夫と為す。故に心を養ふの道は、気を養ふに在り。気を養ふの方は、和平にして暴ふこと無きを以て勤めと為す。此れ日用常行の緊要にして、学者の急務為り。然り而して後の学者、之を以て緊要と為すことを知らず。故に此の工夫を為す者極めて鮮し。今の学者、平日の気象言貌、都て是れ其の気を暴ふの事なり。且つ其の人に接するや、一言旨に忤ひ、一事合はざれば、則ち睚眦して怒りを発し、厲気払戻す。凡そ言行、気を使ふを以て尚しと為す者は、儒者の気象と為すべからず。明道の人に接するや、一団の和気、春風の中に坐せるが如し。是れ其の気を暴ふこと無きの至りなり。大賢の気象は、学者の当に則と為すべき所なり。
現代語訳
孔子がくつろいでいるときは、のびのびとして和やかでした。聖人に学ぼうとする者は、ゆったりと和やかで楽しげであることが必要です。これが儒者の普段の姿であるべきです。心の本体はもともと奥深く見えにくく、まだ形に現れていないので、つかんで保つことはできません。志は心の向かうところであり、気は身体に満ちているものです。人の心の動きと静まりは、すべて気に頼っています。もし気を荒立てれば、志も保ちにくくなり、心の本体もそのために揺れ動きます。だから『孟子』に「志をしっかり保ち、気を荒立ててはならない」とあるのです。これが気を養う工夫であり、志を保ち心を存する道です。心を養うことを主眼とし、気を和らげることを工夫とします。ですから心を養う道は気を養うことにあり、気を養う方法は、和やかで荒立てないことに努めることです。これは日々の暮らしの要であり、学ぶ者の急務です。ところが後世の学ぶ者は、これを要だと知らないので、この工夫をする者はきわめて少ないのです。今の学ぶ者は、普段の様子も言葉も顔つきも、すべて気を荒立てることばかりです。しかも人と接するとき、一言が気に入らず、一つのことが合わないと、目をむいて怒り、荒い気で逆らいます。言動において気を張ることを尊ぶような者は、儒者の姿とは言えません。程明道が人に接するときは、全体が和やかな気に包まれ、春風の中に坐っているようでした。これが気を荒立てないことの極みです。大賢のこの姿こそ、学ぶ者が手本とすべきものです。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』大取其の愛を去りて天下利あらば、去る能わざらんや。昔の墻を知るは、今日の墻を知るに非ざるなり。貴きこと天子と為るも、其の人を利するは正夫より厚からず。二子、親に事うるに、或いは熟に遇い、或いは凶に遇う。其の親するや相い若し。彼の其の行いの益すに非ざるなり、加うるに非ざるなり。外執、能く吾が利を厚くする者無し。藉し臧や死して天下害あらば、吾れ特だ臧を養うこと萬倍するも、吾が臧を愛するや厚きを加えず。長き人の異と短き人の同とは、其の貌の同じき者なり、故に同じ。指の人と、首の人とは異なる。人の體は一貌なる者に非ざるなり、故に異なる。将劒と挺劒とは異なる。劒は形貌を以て命ずる者なり、其の形一ならず、故に異なる。楊木の木と、桃木の木とは同じ。諸そ量數を舉ぐるを以て命ぜざる者は、之を敗るも、盡く是なり。故に一人の指は、一人に非ざるなり。是れ一人の指は、乃ち是れ一人なり。方の一靣は、方に非ざるなり。方木の靣は、方木なり。
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