講孟余話 / 告子上 第八章
平旦之氣、夜氣不足以存、朱註ニ孟子夜氣之說、於学者極有力、宜熟玩而深省之也ト云ヘリ、余謂ラク夜氣ノ說ハ、即チ浩然之氣公孫丑上第二章、此條ト併セ考フヘシヲ養ノ手ヲ下ス工夫ナリ、凢ソ浩然ノ氣ヲ養ントナラハ、先ツ平旦ノ氣ノ清明ニシテ、未タ外物ノ欲ヲ交ヘサル所ヲ基本トシテ、漸々長養スヘシ、何トナレハ噪ク時ハ氣擾レテ昏濁スル故、靜ニシテ清明ナル所ヲ養フヘシトナリ、後儒靜坐等ノ工夫モ、是等ノ處ニ原ツキ、外物ニ蔽ハレサル所ノ本心ヲ認メ出シ長養セントナリ、然トモ余別ニ又一說アリ、靜処ニ於テ本心ヲ認ル、固ヨリ善シ、又動處ニ於テ本心ヲ認ムル、更ニ善シ、或ハ書ヲ読テ意中ノ人ニ遇ヒ、意中ノ事ヲ見ルカ、同志ノ人ヲ會シ、劇談豪論スルカ、或ハ風雪ヲ冐シ山野ヲ跋渉スルノ類、都テ吾カ心氣力ヲ発動セシメタル後ハ、必ス浩々勃々勇往銳進ノ勢禦クヘカラサル者アリ、此処ヨリ本心ヲ認メ、漸々長養スルモ、亦是一種ノ手段ナリ、實驗シテ其妙ヲ悟ルベシ、
新字:平旦之気、夜気不足以存、朱註ニ孟子夜気之説、於学者極有力、宜熟玩而深省之也ト云ヘリ、余謂ラク夜気ノ説ハ、即チ浩然之気公孫丑上第二章、此条ト併セ考フヘシヲ養ノ手ヲ下ス工夫ナリ、凢ソ浩然ノ気ヲ養ントナラハ、先ツ平旦ノ気ノ清明ニシテ、未タ外物ノ欲ヲ交ヘサル所ヲ基本トシテ、漸々長養スヘシ、何トナレハ噪ク時ハ気擾レテ昏濁スル故、静ニシテ清明ナル所ヲ養フヘシトナリ、後儒静坐等ノ工夫モ、是等ノ処ニ原ツキ、外物ニ蔽ハレサル所ノ本心ヲ認メ出シ長養セントナリ、然トモ余別ニ又一説アリ、静処ニ於テ本心ヲ認ル、固ヨリ善シ、又動処ニ於テ本心ヲ認ムル、更ニ善シ、或ハ書ヲ読テ意中ノ人ニ遇ヒ、意中ノ事ヲ見ルカ、同志ノ人ヲ会シ、劇談豪論スルカ、或ハ風雪ヲ冐シ山野ヲ跋渉スルノ類、都テ吾カ心気力ヲ発動セシメタル後ハ、必ス浩々勃々勇往鋭進ノ勢禦クヘカラサル者アリ、此処ヨリ本心ヲ認メ、漸々長養スルモ、亦是一種ノ手段ナリ、実験シテ其妙ヲ悟ルベシ、
書き下し
「平旦の気」、「夜気以て存するに足らず」。朱註に「孟子の夜気の説、学者に於て極めて力有り、宜しく熟玩して深く之を省みるべし」と云へり。余謂へらく、夜気の説は、即ち浩然の気(公孫丑上第二章、此の条と併せ考ふべし)を養ふの手を下す工夫なり。凡そ浩然の気を養はんとならば、先づ平旦の気の清明にして、未だ外物の欲を交へざる所を基本として、漸々長養すべし。何となれば、噪がしき時は気擾れて昏濁する故、静かにして清明なる所を養ふべしとなり。後儒の静坐等の工夫も、是等の処に原づき、外物に蔽はれざる所の本心を認め出し長養せんとなり。然れども余別に又一説あり。静処に於て本心を認むる、固より善し。又動処に於て本心を認むる、更に善し。或は書を読みて意中の人に遇ひ、意中の事を見るか、同志の人を会し、劇談豪論するか、或は風雪を冒し山野を跋渉するの類、都べて吾が心気力を発動せしめたる後は、必ず浩々勃々勇往鋭進の勢ひ禦ぐべからざる者あり。此の処より本心を認め、漸々長養するも、亦是れ一種の手段なり。実験して其の妙を悟るべし。
現代語訳
「夜明けの清らかな気」、「夜の間に回復する気も、良心を保つのに足りなくなる」。朱子の注に「孟子の夜気の説は、学ぶ者にとって極めて力がある。よく味わって深く省みるべきである」とある。私が思うに、夜気の説は、浩然の気(公孫丑上篇第二章。この条とあわせて考えるとよい)を養うための手の下し方である。およそ浩然の気を養おうとするなら、まず夜明けの気が清く澄んで、まだ外の物への欲がまじっていないところを基本として、少しずつ育てていくべきである。なぜなら、騒がしいときは気が乱れて濁るので、静かで清く澄んだところを養えということである。後の儒者の静坐などの工夫も、こうしたところにもとづき、外の物に覆われていない本心を見出して育てようとするものである。しかし私には別にもう一つの説がある。静かなところで本心を見出すのはもとより良い。だが動いているところで本心を見出すのは、さらに良い。書を読んで心にかなう人に出会い、心にかなう事を見たり、同志の人と集まって激しく議論したり、あるいは風雪をついて山野を歩き回ったりする類で、自分の心と気力を奮い立たせた後には、必ず広々と勢いよく、勇んで突き進む、止めようのない勢いがある。そこから本心を見出し、少しずつ育てていくのも、また一つの方法である。実際に試してその妙を悟るべきである。
解説
この章句が説くこと
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