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弁名 / 理氣人欲

浩然之氣。始見孟子。其所謂氣者。非天地之氣矣。又非若宋儒所謂理氣之氣矣。乃勇氣之氣也。如史傳所謂使氣恃氣負氣云者也。本主說大人言之。家語載曾子之行曰。見大人浩浩。是其所祖述已。古之君子禮樂以成其德。自然不隕穫於貧賤。不充詘於富貴。故不待養浩然之氣焉。觀孟子集義所生。則其時禮樂既壞。故有養浩然之氣之說也。孟子方戰國之世。後車數十乘。從者數百人。傳食於諸侯。攘臂張膽。以與百家爭衡。故浩然之氣亦言其所自得者。乃所以爲孟子也。學者察諸。

新字:浩然之気。始見孟子。其所謂気者。非天地之気矣。又非若宋儒所謂理気之気矣。乃勇気之気也。如史伝所謂使気恃気負気云者也。本主説大人言之。家語載曽子之行曰。見大人浩浩。是其所祖述已。古之君子礼楽以成其徳。自然不隕穫於貧賤。不充詘於富貴。故不待養浩然之気焉。観孟子集義所生。則其時礼楽既壊。故有養浩然之気之説也。孟子方戦国之世。後車数十乗。従者数百人。伝食於諸侯。攘臂張胆。以与百家争衡。故浩然之気亦言其所自得者。乃所以為孟子也。学者察諸。

書き下し

浩然の気は、始めて孟子に見ゆ。其の所謂気は、天地の気に非ず、又た宋儒の所謂理気の気の若きに非ず、乃ち勇気の気なり。史伝の所謂気を使ふ、気を恃む、気を負ふと云ふ者の如きなり。本と大人に説くを主として之を言ふ。家語に曾子の行を載せて曰く、「大人を見ては浩浩たり」と。是れ其の祖述する所のみ。古の君子は礼楽以て其の徳を成し、自然に貧賤に隕穫せず、富貴に充詘せず。故に浩然の気を養ふを待たず。孟子の集義の生ずる所を観れば、則ち其の時礼楽既に壊る。故に浩然の気を養ふの説有るなり。孟子戦国の世に方りて、後車数十乗、従者数百人、諸侯に伝食し、臂を攘ひ胆を張り、以て百家と衡を争ふ。故に浩然の気も亦た其の自得する所の者を言ふ。乃ち孟子為る所以なり。学者諸を察せよ。

現代語訳

浩然の気は、孟子に初めて見える。その気とは、天地の気ではなく、また宋儒のいう理気の気でもない。勇気の気である。歴史書にいう「気を使う」「気を恃む」「気を負う」というような気である。もともと大人物に意見を説くときのことを主として言ったものである。『孔子家語』は曾子の行いを記して「大人物に会っても堂々としている」と言う。孟子はこれを受け継いだのである。古の君子は礼楽によって徳を成していたので、自然に、貧しく賤しくても気落ちせず、富み貴くなっても浮かれることがなかった。だから浩然の気を養う必要はなかった。孟子が「義を集めて生じる」と言うのを見れば、その時すでに礼楽が壊れていたのである。だから浩然の気を養うという説があるのだ。孟子は戦国の世に、後ろに車数十台、従者数百人を連れて諸侯のもとを渡り歩いて養われ、腕まくりし胆をふくらませて諸子百家と張り合った。だから浩然の気も、孟子自身が体得したものを言ったのである。それこそが孟子の孟子たるゆえんである。学ぶ者はよく見極めよ。

解説

「浩然の気」は宋学で天地に満ちる正気と結びつけられ、修養の目標とされた。徂徠はこれを、権力者の前でも臆さない勇気のことだと平明に読む。礼楽で徳を成した古の君子は、自然に貧富に動じなかったので、わざわざ気を養う必要はなかった。礼楽が崩れた戦国の世に、諸侯と渡り合った孟子だからこそ、この説を立てたのだという。思想を著者の置かれた時代と立場から読む見方である。上司や顧客に臆さず意見を言う胆力も、確かな型と実力の裏づけがあってこそ自然に備わる。

この章句が説くこと

気勇気浩然孟子礼楽君子

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