山鹿語類 / 士道・志於道
師曰。人既に我職分を究明するに及んでは、其職分をつとむるに道なくんばあるべからざれば、こゝに於て道といふものに志出來るべき事也。たとへば京へ行べきと思ふに及んでは、其道をしらざれば不可能行。不知してしいて行ば皆邪路に可入也。士の身を修め、君につかへ、父に孝行し、兄弟夫婦朋友に相交て、其快く相和するごとくに致さんことを知は、其道を尋て其用をしるに在べき也。而して道あらんやと志出來は、我より先だつて志あつて能く行ひ得たらん人を求め、是に案內を賴んで、その引導に任せつべし。其師たる人の行跡所違あるか、言は似て其事物に應ずる處不明には、速に去て勿從。邪師の敎に久しくそまるときは、不覺其人に荷擔あつて、誠の道に彌とをざかるべし。
新字:師曰。人既に我職分を究明するに及んでは、其職分をつとむるに道なくんばあるべからざれば、こゝに於て道といふものに志出来るべき事也。たとへば京へ行べきと思ふに及んでは、其道をしらざれば不可能行。不知してしいて行ば皆邪路に可入也。士の身を修め、君につかへ、父に孝行し、兄弟夫婦朋友に相交て、其快く相和するごとくに致さんことを知は、其道を尋て其用をしるに在べき也。而して道あらんやと志出来は、我より先だつて志あつて能く行ひ得たらん人を求め、是に案内を頼んで、その引導に任せつべし。其師たる人の行跡所違あるか、言は似て其事物に応ずる処不明には、速に去て勿従。邪師の教に久しくそまるときは、不覚其人に荷担あつて、誠の道に弥とをざかるべし。
書き下し
師曰。人既に我職分を究明するに及んでは、其職分をつとむるに道なくんばあるべからざれば、こゝに於て道といふものに志出来るべき事也。たとへば京へ行べきと思ふに及んでは、其道をしらざれば不可能行。不知してしいて行ば皆邪路に可入也。士の身を修め、君につかへ、父に孝行し、兄弟夫婦朋友に相交て、其快く相和するごとくに致さんことを知は、其道を尋て其用をしるに在べき也。而して道あらんやと志出来は、我より先だつて志あつて能く行ひ得たらん人を求め、是に案内を頼んで、その引導に任せつべし。其師たる人の行跡所違あるか、言は似て其事物に応ずる処不明には、速に去て勿従。邪師の教に久しくそまるときは、不覚其人に荷担あつて、誠の道に弥とをざかるべし。
現代語訳
先生はこう言われた。人がすでに自分の職分を究め明らかにしたなら、その職分を勤めるには道がなくてはならないので、ここで道というものへの志が生まれてくるはずである。たとえば京へ行こうと思い立っても、その道を知らなければ行くことはできない。知らずに強いて行けば、みな邪な道に入ってしまう。士が身を修め、主君に仕え、父に孝行し、兄弟・夫婦・朋友と交わって、互いに快く和するようにすることを知るには、その道を尋ねてその用い方を知ることにある。そして道があるのかと志が起こったなら、自分より先に志を持ってよく行い得た人を求め、その人に案内を頼んで、その導きに任せるのがよい。その師である人の行いに違うところがあったり、言うことはもっともらしくても、実際の物事に応じるところがはっきりしなかったりするなら、速やかに去って従ってはならない。邪な師の教えに長く染まると、知らず知らずその人に肩入れしてしまい、まことの道からいよいよ遠ざかるだろう。
解説
この章句が説くこと
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尚書・旅獒志は道を以て寧んじ、言は道を以て接す。
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『慎思録』巻之一学は将に以て道を知らんとするなり。聖人詢詢として教へを垂る、至れり尽くせりと謂ふべし。学者をして道を知らしめんと欲するなり。後世学者益多くして、道を知ること能はざる者は、何ぞや。蓋し学者は須らく志を立つるを以て本と為すべし。其の志す所の者は何ぞや。道を知るを以て志と為すなり。学者博聞広覧すと雖も、然れども道を知るに志無くして、徒らに章句を以て勤めと為す者は、其の失三つ有り。曰く、詞章に溺る、訓詁に泥む、記誦に止まる。此の三者の習ひは、終身書を読むと雖も、然れども道を知ること能はず。労して功無しと謂ふべきなり。且つ道を求むるに志有りて、三失無しと雖も、然れども道を知ること能はざる者は、其の失亦四つ有り。苟も聖学に専一ならざれば、則ち志他岐に分かる。故に迷ひて道を知ること能はず。其の失一なり。之を博学せざれば、則ち孤陋寡聞にして、道を知ること能はず。其の失二なり。思ひを致すこと精詳ならざれば、則ち粗略にして道を知ること能はず。其の失三なり。曲士の教へに束ねらるるが如きは、則ち学を為すこと専一なりと雖も、然れども拘泥して道を知ること能はず。其の失四なり。須らく斯の数の失無くして、以て道を知るの工夫と為すべし。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一道を知る事至りてかたし。よのつねの俗学の習にては、身を終るまでつとめ学びても道を知りがたし。まづ学を好むに誠の志ありて、明師良友にしたがひ、古の学のすぢを尋ねもとめ、心を用ふること久しくば、其功あるべし。利口にして我が才にほこり、好んで我が智をたのみ用ふる人は、道に遠き生れつきなり。身ををはるまで、此道を知る事かたかるべし。唯生れつき質実にして飾なく、其心しづかに、義理にさとへりくだりて自ら是とせざる人あらば、これ道にちかき生質なり。かかる人、志専一にしてよく学ばば、此道をやうやく晩年にして知るべし。
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『慎思録』巻之一或ひと疑ふ、世間書を読むの人多し。往往身心に益無き者は、何ぞやと。曰く、学を為すは志を立つるに在り。苟も志無きの人は、広覧博聞すと雖も、己に益無し。然れども志なる者は己に由りて有する所にして、別人に管せず。須らく自己奮起すべし。故に皮日休云ふ、聖人は人に道を与ふれども、人に志を与ふること能はずと。夫れ六経四書の載する所の者は、聖人の道なり。六経四書の文字は、聖人の言なり。志有る者は、其の言を誦して其の道を求む。益有る所以なり。志無き者は、其の言を誦して其の道を忘る。益無き所以なり。凡そ学ぶ者は、躬行して之を心得することを貴ぶ。苟も聖人の道を求むるに志無くんば、則ち躬行心得すること能はず。然らば則ち博学強記し、日日経義を説くと雖も、奚ぞ其の身に益有るべけんや。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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