うひ山ぶみ / 注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ
外の國の事に用ひんよりは、わがみづからの國の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが內の國の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて學問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奧を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、學問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を學ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、學問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、學問の本意にあらず、さて道を學ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の傳はれる、御國に生れ來つるは、
新字:外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
書き下し
外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
現代語訳
外の国の事に用いるよりは、自分自身の国の事に用いたいと思うのである。その優劣の議論などはしばらく差し置いて、まず他所の事にばかりかかずらって、自分の内の国の事を知らないでいるのは、残念なことではないだろうか。『志を高く大きにたてて』云々について。総じて学問は、初めからその志を高く大きく立てて、その奥を究め尽くさなければやめまいと、固く心に決めておくべきである。この志が弱くては学問は進みがたく、飽きて怠るものである。『主としてよるべきすぢは』云々について。道を学ぶことを主とすべき理由は、今さら言うにも及ばないことであるが、少し言うならば、まず人として、人の道とはどのようなものかということを知らずにいてよいはずがない。学問の志のない者は論の外である。かりそめにもその志がある者は、同じことなら道のために力を用いるべきである。ところが道の事をいい加減に差し置いて、ただ末の事にばかりかかずらっているのは、学問の本意ではない。さて道を学ぶについては、天地の間にわたって、ことに優れた真の道が伝わっている御国に生まれて来たのは、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四善く学ぶ者は、志倦まず、心盈たず。一善の聞かず、一理の知らざること、歉然として飲食の飽かざるが如し。此れ何に繇りて然るや。誠に道は限り無くして、事は尽くること無きを以てなり。君子の平居無事の時に当たりては、大率衆人と異なること無し。艱難多事に遇ひて、而る後に其の才器の蘊蓄する所、優れて且つ長ずることを見る。所謂盤根錯節に遇はざれば、以て利器を別つに足ること無きなり。
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。
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『慎思録』巻之一或ひと疑ふ、世間書を読むの人多し。往往身心に益無き者は、何ぞやと。曰く、学を為すは志を立つるに在り。苟も志無きの人は、広覧博聞すと雖も、己に益無し。然れども志なる者は己に由りて有する所にして、別人に管せず。須らく自己奮起すべし。故に皮日休云ふ、聖人は人に道を与ふれども、人に志を与ふること能はずと。夫れ六経四書の載する所の者は、聖人の道なり。六経四書の文字は、聖人の言なり。志有る者は、其の言を誦して其の道を求む。益有る所以なり。志無き者は、其の言を誦して其の道を忘る。益無き所以なり。凡そ学ぶ者は、躬行して之を心得することを貴ぶ。苟も聖人の道を求むるに志無くんば、則ち躬行心得すること能はず。然らば則ち博学強記し、日日経義を説くと雖も、奚ぞ其の身に益有るべけんや。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『囲炉夜話』第百四十則・只だ貧にして志有るを要す士既に學ぶを知るも、還た學びて恒無きを恐る。人は貧を患へず、只だ貧にして志有るを要す。
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