和俗男子訓 / 巻二・場の取り方と、戦いの心得
かずならずといひて、身を終るまで、己が高名を語らざりけり、是時と幸とを兼得ざる理をしればなり、(□言、場の先といふ事あり是は敵の前後に、まばらざる所を見て、場を取を云、○晝敵に對するには、日をうしろにして、敵を日にむかはしむべし、日にむかひては、まばゆくして、敵を見分ることなし、むかし神武天皇長髓彦とたゝかひ、軍利なかりしとき、我は是日神の子孫にして、日に向て、敵を征ば、これ天道に逆れりと、うれひ給ひしは、神道の一傳授なり、凡人をなぞらふべきにあらずといへども、日にむかふて、勝負することなかるべし、○月夜に敵に對するには、わが身は、月かげのくらき所に立て、敵を月のあきらかなる所に立しむべし、○夜敵と對するには、身をかゞめてすかしみれば、太刀すぢしるゝなり、○坂にて敵と對せば、敵を坂の上に居らしめ、わが身は坂下に立て、たゝかふやうにすべし、おびやかして、足を躓ぐべし、○田の畷、山の細道などの、せばくて、まほりどころなきには、敵にかゝらせて、勝つべし、かくのごとき事、書に載るに、たらずといへども、しばらく童蒙のために、記すのみ、)
新字:かずならずといひて、身を終るまで、己が高名を語らざりけり、是時と幸とを兼得ざる理をしればなり、(□言、場の先といふ事あり是は敵の前後に、まばらざる所を見て、場を取を云、○昼敵に対するには、日をうしろにして、敵を日にむかはしむべし、日にむかひては、まばゆくして、敵を見分ることなし、むかし神武天皇長髄彦とたゝかひ、軍利なかりしとき、我は是日神の子孫にして、日に向て、敵を征ば、これ天道に逆れりと、うれひ給ひしは、神道の一伝授なり、凡人をなぞらふべきにあらずといへども、日にむかふて、勝負することなかるべし、○月夜に敵に対するには、わが身は、月かげのくらき所に立て、敵を月のあきらかなる所に立しむべし、○夜敵と対するには、身をかゞめてすかしみれば、太刀すぢしるゝなり、○坂にて敵と対せば、敵を坂の上に居らしめ、わが身は坂下に立て、たゝかふやうにすべし、おびやかして、足を躓ぐべし、○田の畷、山の細道などの、せばくて、まほりどころなきには、敵にかゝらせて、勝つべし、かくのごとき事、書に載るに、たらずといへども、しばらく童蒙のために、記すのみ、)
書き下し
かずならずといひて、身を終るまで、己が高名を語らざりけり、是時と幸とを兼得ざる理をしればなり、(□言、場の先といふ事あり是は敵の前後に、まばらざる所を見て、場を取を云、○晝敵に對するには、日をうしろにして、敵を日にむかはしむべし、日にむかひては、まばゆくして、敵を見分ることなし、むかし神武天皇長髓彦とたゝかひ、軍利なかりしとき、我は是日神の子孫にして、日に向て、敵を征ば、これ天道に逆れりと、うれひ給ひしは、神道の一傳授なり、凡人をなぞらふべきにあらずといへども、日にむかふて、勝負することなかるべし、○月夜に敵に對するには、わが身は、月かげのくらき所に立て、敵を月のあきらかなる所に立しむべし、○夜敵と對するには、身をかゞめてすかしみれば、太刀すぢしるゝなり、○坂にて敵と對せば、敵を坂の上に居らしめ、わが身は坂下に立て、たゝかふやうにすべし、おびやかして、足を躓ぐべし、○田の畷、山の細道などの、せばくて、まほりどころなきには、敵にかゝらせて、勝つべし、かくのごとき事、書に載るに、たらずといへども、しばらく童蒙のために、記すのみ、)
現代語訳
数にも入らないと言って、死ぬまで自分の高名を語りませんでした。これは、時と幸いとを兼ね得られない道理を知っていたからです。((底本で判読できない字)言として、場の先ということがあります。これは敵の前後に間隔のない所を見て、場を取ることをいいます。◯昼、敵に対するには、日を背にして、敵を日に向かわせなさい。日に向かうと眩しくて、敵を見分けることができません。昔、神武天皇が長髄彦と戦い、戦況が不利だったとき、自分は日の神の子孫であって、日に向かって敵を討つのは天道に逆らうことだと憂えられたのは、神道の一つの伝授です。凡人がなぞらえるべきではありませんが、日に向かって勝負することはしないほうがよいでしょう。◯月夜に敵に対するには、自分の身は月影の暗い所に立って、敵を月の明るい所に立たせなさい。◯夜、敵と対するには、身をかがめて透かして見れば、太刀筋が分かります。◯坂で敵と対するときは、敵を坂の上に居らせ、自分は坂下に立って戦うようにしなさい。脅かして、足をつまずかせなさい。◯田の畷、山の細道などの、狭くて守りどころのない所では、敵に掛からせて勝ちなさい。このようなことは、書に載っていないけれども、しばらく童蒙のために記すだけです。)
解説
この章句が説くこと
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