和俗男子訓 / 巻二・時と幸いを兼ねられぬ武功
一蟄虫以春而啓戸、蟋蟀以秋而揚聲、時各有所乘、およそ、物は、時を得るの定期あり、人は時と幸とを、兼得ざれば、芦間にすだくむらとりの、思ひをなしながら、身を終るもの少からず、中頃、加藤清正の家人、木村又藏は度々の軍に、鑓をあはせ、首を得ること、數十級に及べり、しかれども、其武功を、己が口より出すことなし、ある人いはく、足下の武功は、森本儀太夫、飯田覺兵衞等にくらぶるに、七度まで超たり、しかるにかの二人は、其名天下にかくれなくして、秀吉公の御感にあづかれり、足下の武功は、知人稀にして、闇夜の錦、深山の花にひとしと、いひければ、又藏こたへていはく、是すなはち生得の幸と、不幸となり、たとえば、幸ある武士は、獵師の矢をはげたる前に、鹿來りて、射らるゝがごとし、勞せざれども、人しりてこれを褒む、森本飯田が類これなり、幸なき武士は、獵師の山谷をはしりめぐり、からふじて鹿を射とるがごとし、勞すといへども、人しらざれば褒ず、某がたぐひ是なり、粉骨をつくし、一命をなげうつて、分捕高名をとげしかども、名をあぐることを得ず、人のしらざる武功は、
新字:一蟄虫以春而啓戸、蟋蟀以秋而揚声、時各有所乗、およそ、物は、時を得るの定期あり、人は時と幸とを、兼得ざれば、芦間にすだくむらとりの、思ひをなしながら、身を終るもの少からず、中頃、加藤清正の家人、木村又蔵は度々の軍に、鑓をあはせ、首を得ること、数十級に及べり、しかれども、其武功を、己が口より出すことなし、ある人いはく、足下の武功は、森本儀太夫、飯田覚兵衛等にくらぶるに、七度まで超たり、しかるにかの二人は、其名天下にかくれなくして、秀吉公の御感にあづかれり、足下の武功は、知人稀にして、闇夜の錦、深山の花にひとしと、いひければ、又蔵こたへていはく、是すなはち生得の幸と、不幸となり、たとえば、幸ある武士は、猟師の矢をはげたる前に、鹿来りて、射らるゝがごとし、労せざれども、人しりてこれを褒む、森本飯田が類これなり、幸なき武士は、猟師の山谷をはしりめぐり、からふじて鹿を射とるがごとし、労すといへども、人しらざれば褒ず、某がたぐひ是なり、粉骨をつくし、一命をなげうつて、分捕高名をとげしかども、名をあぐることを得ず、人のしらざる武功は、
書き下し
一蟄虫以春而啓戸、蟋蟀以秋而揚聲、時各有所乘、およそ、物は、時を得るの定期あり、人は時と幸とを、兼得ざれば、芦間にすだくむらとりの、思ひをなしながら、身を終るもの少からず、中頃、加藤清正の家人、木村又藏は度々の軍に、鑓をあはせ、首を得ること、數十級に及べり、しかれども、其武功を、己が口より出すことなし、ある人いはく、足下の武功は、森本儀太夫、飯田覺兵衞等にくらぶるに、七度まで超たり、しかるにかの二人は、其名天下にかくれなくして、秀吉公の御感にあづかれり、足下の武功は、知人稀にして、闇夜の錦、深山の花にひとしと、いひければ、又藏こたへていはく、是すなはち生得の幸と、不幸となり、たとえば、幸ある武士は、獵師の矢をはげたる前に、鹿來りて、射らるゝがごとし、勞せざれども、人しりてこれを褒む、森本飯田が類これなり、幸なき武士は、獵師の山谷をはしりめぐり、からふじて鹿を射とるがごとし、勞すといへども、人しらざれば褒ず、某がたぐひ是なり、粉骨をつくし、一命をなげうつて、分捕高名をとげしかども、名をあぐることを得ず、人のしらざる武功は、
現代語訳
蟄虫は春になって戸を開き、蟋蟀は秋になって声を上げる、時にはそれぞれ乗じるところがあります。およそ物には、時を得る定めの時期があります。人は時と幸いとを兼ねて得なければ、芦の間に集まる群鳥のように、思いを抱えたまま身を終える者が少なくありません。中ごろ、加藤清正の家来の木村又蔵は、たびたびの戦で鑓を合わせ、首を取ること数十に及びました。しかし、その武功を自分の口から出すことはありませんでした。ある人が言うには、あなたの武功は、森本儀太夫、飯田覚兵衛らに比べて七度までまさっています。それなのに、あの二人は名が天下に知れ渡り、秀吉公の御感にあずかっています。あなたの武功は知る人が稀で、闇夜の錦、深山の花に等しい、と言うと、又蔵は答えて言いました。これはすなわち生まれつきの幸いと不幸です。たとえば、幸いのある武士は、猟師が矢をつがえた前に鹿が来て射られるようなもので、苦労しなくても、人が知ってこれをほめます。森本・飯田の類がこれです。幸いのない武士は、猟師が山や谷を走り回って、やっと鹿を射とるようなもので、苦労しても人が知らなければほめられません。私の類がこれです。骨身を惜しまず、一命を投げうって、分捕りの高名を遂げたけれども、名を上げることができません。人の知らない武功は、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之五・言語一人をほめ毀ること、つつしんで過不及なかるべし。人の小悪を大悪に言ひなし、小過を大過に言ひなし、虚なることを実に言ひなすは、讒言なり。又左程なきことを、甚しく人をほめ過すも、正直の道にあらず。へつらひて其人に私するなり。誉めそしること、かるがるしくすべからず。たとへば権量を以て、物の軽重をはかるが如くなるべし。一毫もかろくし重くして、過不及あるべからず。誉むべからざる人をほめ、毀るべからざる人をそしり、或はほめ過し、そしり過すは、ともに不智なり。論語に子貢曰、君子は一言以て智とし、一言以て不智とす。言慎まずんばあるべからずといへり。よき人は、許可をつつしむとて、人をみだりにゆるしほめず。されども、小善をもすてず、一芸をも用ふるは、君子のする所なり。
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尉繚子・兵教上民をして国門の限を背にし、死生の分を決せしめ、之に死して疑はざるを教ふる者は、以有るなり。守る者をして必ず固く、戦ふ者をして必ず闘ひ、奸謀作らず、姦民語らず、令行はれて変無く、兵行はれて猜無く、軽き者は霆の若く、敵に奮ふこと驚くが若くせしむ。功を挙げ徳を別つこと、明らかなること白黒の如く、
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『甲陽軍鑑』品第四十爰におひて高坂弾正いはく、人をほむるも、そしるも我位ほどさたする時は被官といへども、よき者へは悪大将心ざし及ばさる故、めもさながらとゞかぬなり、惣別よき大将は三万·四万の人数をつれても五千の敵に気遣給ふ事、主の小人数にて大軍を引請、どこぞのつがひに切てとらんと思ふたる大身のむかしより、いかほど大きく成給ひて後までも気遣なさるゝ事、我意地にあてがひてかくの分なり、
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『配所残筆』配所殘筆(13)如此高ぶりたる事申候と可有之候、然處因州公御事は、御老年と申、御學問之義只今の御大名には無之候、其上紀伊守殿但馬守殿御家に諸家之名高者大勢被召抱、高知之者共罷在候、如斯者共之咄被爲聞、殊更兵學之儀兼而被仰聞候間、拙者躰御噂批判可仕候樣無之候、松浦公御事は因州公より少々御年下に被成御座候、御自分の御文學者無御座候へ共、晝夜書物等被聞召、文武之諸藝儒佛之御勤御怠不被成候、其上當代之古老衆每度御招請被成、御當家上方衆之近代之物語大分被成御存候、近年御家中に諸歷々方高知にて被差置、尤能者共御使立被成候、依て中根宋閑石谷士入常に被申候者、御家中之作法人の御使立被成候樣、若年には珍敷武將にて可有之由、度々被申候を、石谷市郎右衞門殿並拙者抔も承候事に候、然共此御兩公樣御事は、御自分より初御家中御領內迄之御作法御仕置無殘所候樣乍恐奉存候、然に一兩度者時の御挨拶と奉存候、度々被仰聞候事に御座候へば、拙者存念は立候て安堵仕候、拙者事御存被成御方々樣者、御分限不被成御座候、御存無之御方者、無途方者に可被思召候間、拙者事は當分永之浪人と覺悟候故、諸事逼塞仕罷在候所存に御座候由、其節申上候、
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」

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