和俗男子訓 / 巻二・恩・言葉・芸・備え、日ごろの心得
一人に恩をほどこし、恩をしらず、報をなさずと、そしるは、非なり、むくゐをのぞむ程ならば、かねてより、恩ほどこし、物をおくらざるがまされり、むくひんと思ふこゝろなき人は、いやし、とがは、かれにあつて、みづからに、あづからざるなり、一よろこびあるとき、憂あるときに、とばをつゝしむべし、おぼえずして、とばを過すなり、よろこびも、うれえも、程すぎぬれば、其時のごとくにはあらず、こゝにおいて、約にそむき、とばをたがへて、後悔するなり、古き歌に「うれしきもかなしきとも過ぬれば其時ほどは思はざりけり」とよめるごとし、一藝あるものは、おほくは癖あり、其癖をすてゝ、藝をとるべし、長きところを用ひずして、短きところをそしるは、藝を好まざればなり、たま〱藝ありて、癖なく、人品よきと、いはるゝものを、見るに、過半は、其藝下手なり、人と、藝と、兼備へたるは、稀なりといへり、一當分いらざる事なりとも、もしかゝる事もあらん時は、いかにすべきやと、思慮をめぐらし、わきまへがたきことをば、同志と共に、吟味して居るべし、かゝれば、事にのぞめるとき、うたがふこゝろなくして、やすらかなり、
新字:一人に恩をほどこし、恩をしらず、報をなさずと、そしるは、非なり、むくゐをのぞむ程ならば、かねてより、恩ほどこし、物をおくらざるがまされり、むくひんと思ふこゝろなき人は、いやし、とがは、かれにあつて、みづからに、あづからざるなり、一よろこびあるとき、憂あるときに、とばをつゝしむべし、おぼえずして、とばを過すなり、よろこびも、うれえも、程すぎぬれば、其時のごとくにはあらず、こゝにおいて、約にそむき、とばをたがへて、後悔するなり、古き歌に「うれしきもかなしきとも過ぬれば其時ほどは思はざりけり」とよめるごとし、一芸あるものは、おほくは癖あり、其癖をすてゝ、芸をとるべし、長きところを用ひずして、短きところをそしるは、芸を好まざればなり、たま〱芸ありて、癖なく、人品よきと、いはるゝものを、見るに、過半は、其芸下手なり、人と、芸と、兼備へたるは、稀なりといへり、一当分いらざる事なりとも、もしかゝる事もあらん時は、いかにすべきやと、思慮をめぐらし、わきまへがたきことをば、同志と共に、吟味して居るべし、かゝれば、事にのぞめるとき、うたがふこゝろなくして、やすらかなり、
書き下し
一人に恩をほどこし、恩をしらず、報をなさずと、そしるは、非なり、むくゐをのぞむ程ならば、かねてより、恩ほどこし、物をおくらざるがまされり、むくひんと思ふこゝろなき人は、いやし、とがは、かれにあつて、みづからに、あづからざるなり、一よろこびあるとき、憂あるときに、とばをつゝしむべし、おぼえずして、とばを過すなり、よろこびも、うれえも、程すぎぬれば、其時のごとくにはあらず、こゝにおいて、約にそむき、とばをたがへて、後悔するなり、古き歌に「うれしきもかなしきとも過ぬれば其時ほどは思はざりけり」とよめるごとし、一藝あるものは、おほくは癖あり、其癖をすてゝ、藝をとるべし、長きところを用ひずして、短きところをそしるは、藝を好まざればなり、たま〱藝ありて、癖なく、人品よきと、いはるゝものを、見るに、過半は、其藝下手なり、人と、藝と、兼備へたるは、稀なりといへり、一當分いらざる事なりとも、もしかゝる事もあらん時は、いかにすべきやと、思慮をめぐらし、わきまへがたきことをば、同志と共に、吟味して居るべし、かゝれば、事にのぞめるとき、うたがふこゝろなくして、やすらかなり、
現代語訳
人に恩を施して、恩を知らない、報いないと非難するのは間違いです。報いを望むくらいなら、あらかじめ恩を施し、物を贈っておくほうがまさっています。報いようと思う心のない人は卑しいものです。しかし、その咎は相手にあって、自分には関係がありません。また、喜びのあるとき、憂いのあるときには、言葉を慎みなさい。思わず言葉を過ごすものです。喜びも憂いも、程が過ぎてしまえば、そのときのようではなくなります。そこで、約束に背き、言葉を違えて、後悔することになります。古い歌に「うれしきもかなしきとも過ぬれば其時ほどは思はざりけり」と詠んでいるとおりです。また、芸のある者には、多くは癖があります。その癖を捨てて、芸を取るべきです。長所を用いずに、短所を非難するのは、芸を好まないからです。たまたま芸があって、癖がなく、人柄もよいと言われる者を見ると、過半はその芸が下手です。人と芸を兼ね備えた者は稀だといいます。また、さしあたって必要のないことでも、もしこんなことがあったらどうするかと思慮を巡らせ、判断しにくいことは、同志とともに吟味しておくべきです。そうすれば、事に臨んだとき、疑う心がなく、安らかでいられます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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言志四録・言志晩録 第二百六十六条 老人は尤も言を慎むべし老人の話は多く信を取る。尤も宜しく言を慎むべし。
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『酔古堂剣掃』集法・怒る時の言は多く體を失ふ喜ぶ時の言は多く信を失ひ、怒る時の言は多く體を失ふ。
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『酔古堂剣掃』集醒・口を開けば雌黃月旦の言を生ず口を開けば輒ち雌黃・月旦の言を生ず、吾れ微言の將に絕えんとするを恐る。 筆を捉れば便ち繽紛綺麗の飾に驚く、當に是れ妙處傳はらざるべし。
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『慎思録』巻之四言は心の声なり。外に発して聞くべし。心は身の主なり。中に在りて見るべからず。故に人に接する時、人は唯だ吾が言を聞きて、吾が心を見ず。然らば則ち外に発する者は、只だ言のみ。言豈に慎まざるべけんや。

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