春秋左氏伝 / 昭公元年 言を以て物を知る
三月。甲辰。盟。楚公子圍設服離衛。叔孫穆子曰。楚公子美矣。君哉。鄭子皮曰。二執戈者前矣。蔡子家曰。蒲宮有前。不亦可乎。楚伯州犁曰。此行也。辭而假之寡君。鄭行人揮曰。假不反矣。伯州犁曰。子姑憂子皙之欲背誕也。子羽曰。當璧猶在。假而不反。子其無憂乎。齊國子曰。吾代二子愍矣。陳公子招曰。不憂何成。二子樂矣。衛齊子曰。苟或知之。雖憂何害。宋合左師曰。大國令。小國共。吾知共而已。晉樂王鮒曰。小旻之卒章善矣。吾從之。退會。子羽謂子皮曰。叔孫絞而婉。宋左師簡而禮。樂王鮒字而敬。子與子家持之。皆保世之主也。齊衛陳大夫。其不免乎。國子代人憂。子招樂憂。齊子雖憂弗害。夫弗及而憂。與可憂而樂。與憂而弗害。皆取憂之道也。憂必及之。大誓曰。民之所欲。天必從之。三大夫兆憂。能無至乎。言以知物。其是之謂矣。
新字:三月。甲辰。盟。楚公子囲設服離衛。叔孫穆子曰。楚公子美矣。君哉。鄭子皮曰。二執戈者前矣。蔡子家曰。蒲宮有前。不亦可乎。楚伯州犁曰。此行也。辞而仮之寡君。鄭行人揮曰。仮不反矣。伯州犁曰。子姑憂子皙之欲背誕也。子羽曰。当璧猶在。仮而不反。子其無憂乎。斉国子曰。吾代二子愍矣。陳公子招曰。不憂何成。二子楽矣。衛斉子曰。苟或知之。雖憂何害。宋合左師曰。大国令。小国共。吾知共而已。晋楽王鮒曰。小旻之卒章善矣。吾従之。退会。子羽謂子皮曰。叔孫絞而婉。宋左師簡而礼。楽王鮒字而敬。子与子家持之。皆保世之主也。斉衛陳大夫。其不免乎。国子代人憂。子招楽憂。斉子雖憂弗害。夫弗及而憂。与可憂而楽。与憂而弗害。皆取憂之道也。憂必及之。大誓曰。民之所欲。天必従之。三大夫兆憂。能無至乎。言以知物。其是之謂矣。
書き下し
三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
現代語訳
三月甲辰の日、盟約が結ばれた。楚の公子囲は君主の服装を整え、護衛を左右に並べていた。叔孫穆子(叔孫豹)は言った。「楚の公子は立派なものだ。まるで君主だな」。鄭の子皮は言った。「戈を持った護衛が二人、前に立っている(君主の儀仗である)」。蔡の子家(公孫帰生)は言った。「蒲宮(楚王の離宮)に住んでいるのだから、前に護衛を立てるのも構わないではないか」。楚の伯州犁は言った。「この度の旅では、令尹がわが君にお願いして、これらをお借りしてきたのです」。鄭の行人の揮(子羽)は言った。「借りたまま返さないでしょう」。伯州犁は言った。「あなたは、それより子皙(公孫黒)が背いてでたらめをしようとしていることでも心配なさい」。子羽は言った。「当璧(璧の上に拝して王位を約束された公子棄疾)がまだいます。借りて返さなくても、あなたには心配がないとでも言うのですか」。斉の国子(国弱)は言った。「私はお二人に代わって心配してしまう」。陳の公子招は言った。「心配しなければ何事も成らない。お二人はむしろ楽しんでいるのだ」。衛の斉子(斉悪)は言った。「もし誰かがそれを承知しているなら、心配したところで何の害があろう」。宋の合左師(向戌)は言った。「大国が命じれば、小国は従う。私は従うことを心得ているだけだ」。晋の楽王鮒は言った。「『小旻』の詩の最終章はよい。私はそれに従おう(慎重に口を慎む)」。会が終わって退出すると、子羽は子皮に言った。「叔孫は厳しくも婉曲で、宋の左師は簡潔で礼にかない、楽王鮒は自らを慈しんで慎み深い。あなたと子家は言葉が中庸を保っていました。みな代々家を保つ人たちです。斉・衛・陳の大夫たちは、禍を免れないでしょう。国子は自分に関係のないことで人に代わって心配し、子招は心配すべきことを楽しみ、斉子は心配ごとがあっても害はないと言いました。そもそも、自分に及ばないことを心配すること、心配すべきことを楽しむこと、心配ごとを害なしと侮ること、これらはみな憂いを招く道です。憂いはきっと彼らに及ぶでしょう。『大誓』に『民の望むことには、天は必ずそれに従う』とあります。三人の大夫は自ら憂いの兆しを示したのですから、憂いが来ないはずがありましょうか。言葉によって物事を知るというのは、まさにこのことです」。
解説
この章句が説くこと
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