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和俗男子訓 / 巻一・民を養う日羅の奏上と武を忘れた大内義隆

まづ黎民をまもりやしなひ給へ、何ぞ速に兵をおこさんや、願くは、列臣百姓を饒富すると、三年にして、食を足、使民をよろこばしめば、水火をさけずして、難をうれへむ、其とき、船をおほくつくり、海ごとにつらねおきて、蕃客に見せて、おそれしめ、使をつかはして、百濟王をよび、王もし來らずば、王子をよび、來らば、すなはち、とゞめ置て、領伏のこゝろを生ぜしめ、後に罪を問給ふべしと、奏聞すとあり、是人堅固を得るのことばなり、(肥後芦北郡久多瓦木に、達卒日羅が遺跡あり、古は百濟歸と記せり、近年久多瓦木に改む、日羅が葬地に、地藏堂を建置たり、是俗説に、日羅勝軍地藏に現じたりと云にもとづくか、笑べし、)一士として、武をわするゝは、魚の水にはなるゝがごとし、武をわするゝにいたつては、身を全くすることかたし、中ごろ、周防の領主大內義隆は、かくれなき大名なりしかども、武藝を好まず、剩へ鎧太刀をもつて笛鼓にかへ、晝夜亂舞にたづさはれり、戸羽が笛日乘が皷など稱する、天下無雙の役者、其家より出たり、心ある者は、武家の恥辱、これなりとそしりしが、程なく家亡びたり、是武をわすれしが故なり、

新字:まづ黎民をまもりやしなひ給へ、何ぞ速に兵をおこさんや、願くは、列臣百姓を饒富すると、三年にして、食を足、使民をよろこばしめば、水火をさけずして、難をうれへむ、其とき、船をおほくつくり、海ごとにつらねおきて、蕃客に見せて、おそれしめ、使をつかはして、百済王をよび、王もし来らずば、王子をよび、来らば、すなはち、とゞめ置て、領伏のこゝろを生ぜしめ、後に罪を問給ふべしと、奏聞すとあり、是人堅固を得るのことばなり、(肥後芦北郡久多瓦木に、達卒日羅が遺跡あり、古は百済帰と記せり、近年久多瓦木に改む、日羅が葬地に、地蔵堂を建置たり、是俗説に、日羅勝軍地蔵に現じたりと云にもとづくか、笑べし、)一士として、武をわするゝは、魚の水にはなるゝがごとし、武をわするゝにいたつては、身を全くすることかたし、中ごろ、周防の領主大内義隆は、かくれなき大名なりしかども、武芸を好まず、剰へ鎧太刀をもつて笛鼓にかへ、昼夜乱舞にたづさはれり、戸羽が笛日乗が鼓など称する、天下無双の役者、其家より出たり、心ある者は、武家の恥辱、これなりとそしりしが、程なく家亡びたり、是武をわすれしが故なり、

書き下し

まづ黎民をまもりやしなひ給へ、何ぞ速に兵をおこさんや、願くは、列臣百姓を饒富すると、三年にして、食を足、使民をよろこばしめば、水火をさけずして、難をうれへむ、其とき、船をおほくつくり、海ごとにつらねおきて、蕃客に見せて、おそれしめ、使をつかはして、百濟王をよび、王もし來らずば、王子をよび、來らば、すなはち、とゞめ置て、領伏のこゝろを生ぜしめ、後に罪を問給ふべしと、奏聞すとあり、是人堅固を得るのことばなり、(肥後芦北郡久多瓦木に、達卒日羅が遺跡あり、古は百濟歸と記せり、近年久多瓦木に改む、日羅が葬地に、地藏堂を建置たり、是俗説に、日羅勝軍地藏に現じたりと云にもとづくか、笑べし、)一士として、武をわするゝは、魚の水にはなるゝがごとし、武をわするゝにいたつては、身を全くすることかたし、中ごろ、周防の領主大內義隆は、かくれなき大名なりしかども、武藝を好まず、剩へ鎧太刀をもつて笛鼓にかへ、晝夜亂舞にたづさはれり、戸羽が笛日乘が皷など稱する、天下無雙の役者、其家より出たり、心ある者は、武家の恥辱、これなりとそしりしが、程なく家亡びたり、是武をわすれしが故なり、

現代語訳

まず民を守り養ってください。どうして急いで兵を起こすのですか。願わくは、多くの臣下と百姓を豊かにし、三年で食を満ち足らせ、民を用いることを喜ばせれば、水火を避けず難に当たってくれるでしょう。そのとき、船を多く造って海ごとに並べ置き、外国の使者に見せて恐れさせ、使いを遣わして百済王を呼び、王がもし来なければ王子を呼び、来たなら留め置いて服従の心を生じさせ、その後に罪を問うのがよいでしょう、と奏上した、とあります。これは人堅固を得る言葉です。(肥後の芦北郡久多瓦木に、達率日羅の遺跡があります。昔は百済帰と記しました。近年久多瓦木に改めました。日羅の葬地に地蔵堂を建ててあります。これは、俗説に日羅が勝軍地蔵として現れたというのによるのでしょうか。笑うべきことです。)士として武を忘れるのは、魚が水を離れるようなものです。武を忘れるに至っては、身を全うすることが難しくなります。中ごろ、周防の領主大内義隆は、知らぬ者のない大名でしたが、武芸を好まず、そのうえ鎧や太刀を笛や鼓に替え、昼夜乱舞にふけりました。戸羽の笛、日乗の鼓などと称される天下無双の役者が、その家から出ました。心ある者は、武家の恥辱はこれだと非難しましたが、間もなく家は滅びました。これは武を忘れたためです。

解説

前半は、まず民を養い豊かにし、備えが整ってから事を起こすべきだという日羅の奏上を伝えています。後半は、武を忘れた大内義隆の家が滅びたことを戒めとする記述で、原文は義隆の趣味と滅亡を因果として結んでいますが、滅亡の要因はほかにも考えられるため、ここでは原文の主張として読みます。現代の管理職にとっては、人を豊かに育てる土台づくりを急がず進めること、そして本業の基本動作や危機への備えを娯楽や余技に置き換えないことが教訓になります。

この章句が説くこと

『和俗男子訓』井沢蟠竜日羅大内義隆養民武を忘れる

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