春秋左氏伝 / 定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る
違之徵死。死無益於主。桓子曰。何後之有。而能以我適孟氏乎。對曰。不敢愛死。懼不免主。桓子曰。往也。孟氏選圉人之壯者三百人。以為公期築室於門外。林楚怒。馬及衢而騁。陽越射之不中。築者闔門。有自門間射陽越。殺之。陽虎劫公與武叔以伐孟氏。公斂處父。帥成人。自上東門入與陽氏戰于南門之內。弗勝。又戰于棘下。陽氏敗。陽氏說甲如公宮。取寶玉大弓以出。舍于五父之衢。寢而為食。其徒曰。追其將至。虎曰。魯人聞余出。喜於徵死。何暇追余。從者曰。嘻。速駕。公斂陽在。公斂陽請追之。孟孫弗許。陽欲殺桓子。孟孫懼而歸之。子言辨舍爵於季氏之廟而出。陽虎入于讙陽關以叛。鄭駟歂嗣子大叔為政。
新字:違之徴死。死無益於主。桓子曰。何後之有。而能以我適孟氏乎。対曰。不敢愛死。懼不免主。桓子曰。往也。孟氏選圉人之壮者三百人。以為公期築室於門外。林楚怒。馬及衢而騁。陽越射之不中。築者闔門。有自門間射陽越。殺之。陽虎劫公与武叔以伐孟氏。公斂処父。帥成人。自上東門入与陽氏戦于南門之内。弗勝。又戦于棘下。陽氏敗。陽氏説甲如公宮。取宝玉大弓以出。舎于五父之衢。寝而為食。其徒曰。追其将至。虎曰。魯人聞余出。喜於徴死。何暇追余。従者曰。嘻。速駕。公斂陽在。公斂陽請追之。孟孫弗許。陽欲殺桓子。孟孫懼而帰之。子言弁舎爵於季氏之廟而出。陽虎入于讙陽関以叛。鄭駟歂嗣子大叔為政。
書き下し
之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
現代語訳
陽虎に逆らえば死を招くことになります。死んでも主君のお役には立ちません」。桓子は言った。「遅すぎることなどあろうか。おまえは私を孟氏のところへ連れて行けるか」。林楚は答えた。「死を惜しむわけではありません。ただ主君をお救いできないのではと恐れるのです」。桓子は言った。「行け」。孟氏は馬丁のうち屈強な者三百人を選び、公期(孟氏の一族)のために家を建てるという名目で門の外で工事をさせていた。林楚は馬に鞭をあて、大通りに出ると全速で走らせた。陽越がこれを射たが当たらなかった。桓子が駆け込むと、工事をしていた者たちが門を閉ざした。門のすきまから陽越を射る者がいて、陽越は死んだ。陽虎は定公と武叔(叔孫州仇)を脅して連れ出し、孟氏を攻めた。公斂処父は成邑の人々を率いて上東門から入り、陽氏と南門の内側で戦ったが、勝てなかった。さらに棘下で戦い、陽氏は敗れた。陽氏(陽虎)は鎧を脱いで公宮に行き、宝玉と大弓(魯の国宝)を奪って出て、五父の衢に宿った。横になりながら食事を作らせた。仲間たちが言った。「追手がもうすぐ来ます」。陽虎は言った。「魯の人々は私が出て行ったと聞けば、死の脅しから解放されたと喜ぶだろう。私を追う暇などあるものか」。従者は言った。「ああ、早く車を出してください。公斂陽(公斂処父)がいるのですから」。公斂陽は陽虎を追いたいと願い出たが、孟孫は許さなかった。公斂陽はこの機に桓子を殺そうとした。孟孫は恐れて桓子を家に帰した。子言(季寤)は季氏の廟でひとつひとつ杯を供えてから出奔した。陽虎は讙と陽関に入って叛いた。鄭では駟歂が子大叔の後を継いで政治を執った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、三桓を去らんとす秋、晉の士鞅、成桓公に會して鄭を侵し、蟲牢を圍む。伊闕に報ゆるなり。遂に衛を侵す。九月、師、衛を侵す。晉の故なり。季寤・公鉏極・公山不狃、皆志を季氏に得ず。叔孫輒、叔孫氏に寵無し。叔仲志、志を魯に得ず。故に五人、陽虎に因る。陽虎、三桓を去り、季寤を以て季氏に更へ、叔孫輒を以て叔孫氏に更へ、己、孟氏に更らんと欲す。冬十月、先公を順祀して祈る。辛卯、僖公に禘す。壬辰、將に季氏を蒲圃に享して之を殺さんとす。都車を戒めて曰く、「癸巳に至れ」と。成の宰公斂處父、孟孫に告げて曰く、「季氏、都車を戒む。何の故ぞ」と。孟孫曰く、「吾聞かず」と。處父曰く、「然らば則ち亂なり。必ず子に及ばん。先づ諸に備へん」と。孟孫と壬辰を以て期と為す。陽虎、前驅す。林楚、桓子に御たり。虞人、鈹盾を以て之を夾む。陽越、殿す。將に蒲圃に如かんとす。桓子、咋かに林楚に謂ひて曰く、「而の先は皆季氏の良なり。爾、是を以て之を繼げ」と。對へて曰く、「臣、命を聞くこと後れたり。陽虎、政を為し、魯國、焉に服す。
-
『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。
-
尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
-
孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
-
葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
-
『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る