墨子 / 備城門
城下里中家人,各葆亦左右前後,如城上。城小人衆,葆離鄉老弱國中及也大城。㓂至,度必攻,主人先削城編,唯勿燒冦在城下,時換吏卒署,而毋換亦養,養毋得上城。宼在城下,牧諸盆罋,耕積之城下,百步一積,積五百。城門内不得有室,為周官桓吏,四尺為倪。行棧内閈,二關一堞。除城場外,去池百步,墻垣樹木小大盡壊代除去之。寇所從來若昵道、傒近,若城塲,皆為扈樓。立竹箭天中。守堂下為大樓,髙臨城,堂下周散,道中應客,客待見,時召三老左葆官中者,與計事得為之奈何子墨子曰問穴士之守。邪備穴者城内為髙樓以謹此十四者具,則民亦不疑上矣,然後城可守。十四者無一,則雖善者不能守矣。
新字:城下里中家人,各葆亦左右前後,如城上。城小人衆,葆離鄉老弱国中及也大城。㓂至,度必攻,主人先削城編,唯勿焼寇在城下,時換吏卒署,而毋換亦養,養毋得上城。宼在城下,牧諸盆罋,耕積之城下,百歩一積,積五百。城門内不得有室,為周官桓吏,四尺為倪。行棧内閈,二関一堞。除城場外,去池百歩,墻垣樹木小大尽壊代除去之。寇所従来若昵道、傒近,若城塲,皆為扈楼。立竹箭天中。守堂下為大楼,高臨城,堂下周散,道中応客,客待見,時召三老左葆官中者,与計事得為之奈何子墨子曰問穴士之守。邪備穴者城内為高楼以謹此十四者具,則民亦不疑上矣,然後城可守。十四者無一,則雖善者不能守矣。
書き下し
城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
現代語訳
城下の村の家々も、それぞれ左右前後を守り固めること、城壁の上と同じにする。城が小さく人が多ければ、村の老人と子どもを分けて、国の中や大きな城に移す。敵が来たら必ず攻めてくると考え、主人はまず城の外側の設備を削る。ただし焼いてはならない。敵が城下にいるときは、ときどき役人と兵の持ち場を替える。ただし炊事係は替えない。炊事係は城壁に上がってはならない。敵が城下にいるときは、あちこちの甕を集め、城下に耕して積む。百歩ごとに一つの積み置き場、一か所五百。城門の内側に部屋があってはならない。役人を置き、四尺を目印とする。移動用の棚の内側の閉じ、二つの関に一つの狭間。城の外の場を片づけ、堀から百歩の範囲は、垣も樹木も大小すべて壊し取り除く。敵が来る道筋、近道や間道、城の広場には、すべて物見の楼を作る。竹の矢を中央に立てる。守将の館の下に大きな楼を作り、高く城を見下ろす。館の下には道を巡らせ、道の途中で客に応対する。客は面会を待つ。ときどき長老や側近や役所の者を呼んで、共に事を計る。これをどうするか。墨子が言った。坑道の専門家の守りを問え。あわせて坑道に備える者は、城内に高い楼を作る。この十四のことを慎んで備えれば、民は上を疑わない。そうしてはじめて城は守れる。十四のうち一つでも欠ければ、優れた者でも守れない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。