和俗男子訓 / 巻一・天・国・人の堅固と人堅固の基
一同書曰、天堅固、國堅固、人堅固といふこと有、是鼎の三足のごとし、ひとつかけてはたち難し、就中人堅固をもつて基とす、人堅固ならざれば、天も國も、堅固ならず、兵道の大事は、方圓にもあらず、軍器にもあらず、たゞよく人を知てなづけはごくむにあり、以舊記にのする所の、國家の治亂を見るに、內まつたくして、外やぶるゝはなく、內やぶれて、外まつたきはなし、これによつておもへば、人堅固をもつて、基とするの謂、また宜ならずや、俗間の鄙歌にも、「人は城人は石壁人は屛なさけは見かた讐は大敵」とよめり、昔肥後芦北國造阿利斯登が子達卒日羅が、敏達天皇に答へ申言曰、天皇の天下をおさめ給はんには、
新字:一同書曰、天堅固、国堅固、人堅固といふこと有、是鼎の三足のごとし、ひとつかけてはたち難し、就中人堅固をもつて基とす、人堅固ならざれば、天も国も、堅固ならず、兵道の大事は、方円にもあらず、軍器にもあらず、たゞよく人を知てなづけはごくむにあり、以旧記にのする所の、国家の治乱を見るに、内まつたくして、外やぶるゝはなく、内やぶれて、外まつたきはなし、これによつておもへば、人堅固をもつて、基とするの謂、また宜ならずや、俗間の鄙歌にも、「人は城人は石壁人は屛なさけは見かた讐は大敵」とよめり、昔肥後芦北国造阿利斯登が子達卒日羅が、敏達天皇に答へ申言曰、天皇の天下をおさめ給はんには、
書き下し
一同書曰、天堅固、國堅固、人堅固といふこと有、是鼎の三足のごとし、ひとつかけてはたち難し、就中人堅固をもつて基とす、人堅固ならざれば、天も國も、堅固ならず、兵道の大事は、方圓にもあらず、軍器にもあらず、たゞよく人を知てなづけはごくむにあり、以舊記にのする所の、國家の治亂を見るに、內まつたくして、外やぶるゝはなく、內やぶれて、外まつたきはなし、これによつておもへば、人堅固をもつて、基とするの謂、また宜ならずや、俗間の鄙歌にも、「人は城人は石壁人は屛なさけは見かた讐は大敵」とよめり、昔肥後芦北國造阿利斯登が子達卒日羅が、敏達天皇に答へ申言曰、天皇の天下をおさめ給はんには、
現代語訳
同じ書に言うには、天堅固、国堅固、人堅固ということがあります。これは鼎の三本の足のようなもので、一つ欠けても立ちません。とりわけ人堅固を基とします。人が堅固でなければ、天も国も堅固ではないのです。兵道の大事は、方円の陣形にあるのでもなく、軍の道具にあるのでもなく、ただ人をよく知って、手なずけ育てることにあります。古い記録に載せる国家の治乱を見ると、内が全くて外が破れた例はなく、内が破れて外が全かった例はありません。これによって思えば、人堅固を基とする理由は、もっともではないでしょうか。世間の鄙びた歌にも、「人は城人は石壁人は屏なさけは見かた讐は大敵」と詠んでいます。昔、肥後の芦北の国造阿利斯登の子で達率の日羅が、敏達天皇にお答えして申し上げるには、天皇が天下を治められるには、(次の章句へ続く)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『管子』權脩人情二ならず、故に民情は得て御す可きなり。其の好惡する所を審らかにすれば、則ち其の長短知る可きなり。其の交游を觀れば、則ち其の賢不肖察す可きなり。二者失わざれば、則ち民能得て官とす可きなり。地の守りは城に在り、城の守りは兵に在り、兵の守りは人に在り、人の守りは粟に在り、故に地辟けざれば則ち城固からず。身有りて治まらざれば、奚ぞ人を待たん。人有りて治まらざれば、奚ぞ家を待たん。家有りて治まらざれば、奚ぞ鄉を待たん。鄉有りて治まらざれば、奚ぞ國を待たん。國有りて治まらざれば、奚ぞ天下を待たん。天下は國の本なり、國は鄉の本なり、鄉は家の本なり、家は人の本なり、人は身の本なり、身は治の本なり。
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『講孟余話』公孫丑下 首章「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」。此の義明白、復た論を待たず。今試みに是れを例言せん。夫れ人和を得て初めて地利用ふべし、天時用ふべし。故に国家の務めを論ずる時は、先づ人和を務むべし。人和已に得ば城高くすべし、池深くすべし、兵革堅利にすべし、米粟多くすべし、其の戦に臨みては天時も択ぶべし。是れを一身に譬ふるに、胸中固より忠孝の念を存する、是れ人和の如し。忠孝の念あらば文学も修むべし、武芸も講ずべし、武器も畜ふべし、是れ天時・地利の如し。故に忠孝の念なき者をして、文武を講修し、武器を畜へしめば、却つて害となり、其の身を全うすること能はざるの基なり。是れ人和を得ずして、地利・天時を恃むが如し。理は一なり。一身一家より国天下に通じ、皆別理あることなし。宜しく先後緩急の在る所を察すべし。先と云ひ急と云ふは、忠孝の念なり、人和なり。後と云ひ緩と云ふは、文学・武芸・武器等なり、天時・地利なり。
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『和俗男子訓』・巻一・三治の教えと奇正の理一軍書に、三治といふ事あり、三治とは、一ッには、大將道を好み、二ッには、任にあたれる人をあつめて、諫をきゝ、三ッには、君臣のあいだ、近くして、下の情よく上に通じ、民に心をつくるをいふ、以上の三ッを、備ふるときは、身おさまり、家おさまり、國おさまる、此故に、三治といふ、天智天皇御製に「秋の田のかりほのいほのとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ」とあり、是民に御心をつけ給ひしなり、一同書曰、戰の利は、奇正のふたつに出ず、奇は陰なり正は陽なり、奇は隱なり正は顯なり、世にあらゆると、皆奇正の二ッにかぎれり、隱顯は、天地の常なり、天に日月あり、人に心氣あり、時に寒暑あり、陰陽虛實を曉す時は、外に勝負の理なし、兵法にては、陰陽を奇正となづく、奇を躰にすれば、正は用なり、正を躰にすれば、奇は用なり、陰陽虛實の理を、よく辨知るの工夫有べし、
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『学論抄録』・天地人の三つの険と国を守る都城の備え武学の如きは、則ち一世寥々として聞くこと無し。呼、日出づる神武の国にして、豈に一大欠事に非ずや。是を以て自ら揣らず、屑々として力を尽くすのみ。夫れ武備は国家の固めなり。固めを為すには則ち必ず険に拠る。険や、天有り地有り人有り。三者一を闕かば則ち不可なり。孟子曰く、天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず、と。蓋し単に人の和を執りて、天時地利を置きて問はざるに非ず。姑く時君の為に此の彼より重きを論ずるのみ。易に曰く、天険は升るべからざるなり、地険は山川丘陵なり、王公険を設けて以て其の国を守る、険の時用大なるかな、と。吾れ諸れを師に聞く、曰く、升るべからざるは無形の険なり、山川丘陵は有形の険なり。無形なる者は道なり、有形なる者は器なり。器は道を載せて以て固く其の国を守る。是れ人の険なり。道と器とは一物にして、上下を以て階級と為すべからず。猶ほ字義は字の上に在りと云ふがごとし、と。三険已に全くせば、則ち豈に身を喪ひ国を亡ぼすの患ひ有らんや。顧みるに天理人和を言へば、文学已に備はれり。但だ近日儒生武を廃す、故に地利は置きて論ぜず、豈に以て三才一貫の道と為すに足らんや。按ずるに、古より帝王天下を平定すれば、必ず都会を建てて以て四方の極と為し、形勝に拠り、便利を択ぶ。正に久安長治の計を為す所以なり。是の故に武王天下を得て、豊鎬に都し、成王其の志を継ぎ、即ち洛に宅するの挙有り。我が国神武の創業や、皇都を恢廓し、規摹大壮、史の載する所昭々たり。是れ知る、地険の設、都城の制は、国を守るの先務なるを。明人謂へらく、開闢以来、民の為に虐を為す者三大変あり。一に曰く禽獣、二に曰く洪水、三に曰く夷狄。古の聖賢王伯、心思を労し、筋力を竭くして以て之を図り、而して其の究は皆築防に帰す、と。又た曰く、天造地設、疆を分かち境を画し、各々界限有り。凡そ其の界限の処には、必ず天然の険有り。其の足らざる者は、人力因りて之に城く。此れ自然の勢なり。亦た理の当然なり、と。其の説は以て国家の急を慮る者と謂ふべき有り。
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三略・上略夫れ国を為むるの道は、賢と民とを恃む。賢を信ずること腹心の如く、民を使うこと四肢の如くならば、則ち策に遺ちる無し。適く所は肢体の相い随い、骨節の相い救うが如し。天道自然にして、其の巧みなること間無し。
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『講孟余話』盡心上 第四十二章然れども細かに論ずれば、徒らに是れのみに非ず。一身若し道を離れば、耳目手足少しも用に立たず、其の為す所繆戻にして、君子より視る時は、狂人と少しも異なることなし。若し挙げて是れを一国に置き天下に置く時は、一国天下皆狂国狂天下となる。狂国狂天下を以て外夷の外道邪魔を防がんとせば、誠に危きことなり。故に人々道の身を離れぬ様に、狂人とならぬ様に心掛くべし。且つ守城の一事を以て云ふに、主将たる者道已に身を離るる時は、将吏も士卒も、金城湯池も、器械糧餉も、一つとして用に立たざるなり。公孫丑下篇首章に、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と云へり。而して人和の本は、又主将たる者道身一体なる所にあるなり。

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