倭忠経 / 證應章第十六・独りを慎み、天の鏡にごまかしはきかない
己が心におゐて。片時もやすらかに。樂しむ事なし。是明らかなる。天罰にあらずや。故に。忠の道を行ふ者は。ながくそのよき事を守り。又道に背不忠を行ふ者は。我とみづから。罰をまねぐ。是天鑑明らかなるためし也。夫みちを知る者は。天道の私なく。善に福し。惡に禍する事を。たしかに知るゆへ。天命をおそれて。いかなる内證の人知らぬ幽獨の中に居るとても。一念の天に知らるゝ事をわきまへ。もし惡念起れば。打てをとして。氣ざさしめず。是を獨をつゝしむと云へり。又おろかなる人は。天理をしらぬゆへに。すこしも天命をおそれず。さし當る利欲にまよひ。己が墮慢にひきおとされて。人前にては。忠を行ふふりを見せても。他人の知らざる所にては。さま〴〵の惡念をおこし。主人をあざむき。他人をたぶらかすと云へ共。天道の鏡にうつされ。終に身を亡ぼし。わざはひ門葉におよぶ。其時いかほど。後悔す共甲斐あるまじ。書經にも。善道を行ふ人には。天より百の悅をくだし。不善を行ふ人には。百の禍を天より下すと云へり。又禍福無門。人自召之と云て。天の心におゐて。たれが門へは。福を下し。かれが門へは。
新字:己が心におゐて。片時もやすらかに。楽しむ事なし。是明らかなる。天罰にあらずや。故に。忠の道を行ふ者は。ながくそのよき事を守り。又道に背不忠を行ふ者は。我とみづから。罰をまねぐ。是天鑑明らかなるためし也。夫みちを知る者は。天道の私なく。善に福し。悪に禍する事を。たしかに知るゆへ。天命をおそれて。いかなる内証の人知らぬ幽独の中に居るとても。一念の天に知らるゝ事をわきまへ。もし悪念起れば。打てをとして。気ざさしめず。是を独をつゝしむと云へり。又おろかなる人は。天理をしらぬゆへに。すこしも天命をおそれず。さし当る利欲にまよひ。己が堕慢にひきおとされて。人前にては。忠を行ふふりを見せても。他人の知らざる所にては。さま〴〵の悪念をおこし。主人をあざむき。他人をたぶらかすと云へ共。天道の鏡にうつされ。終に身を亡ぼし。わざはひ門葉におよぶ。其時いかほど。後悔す共甲斐あるまじ。書経にも。善道を行ふ人には。天より百の悦をくだし。不善を行ふ人には。百の禍を天より下すと云へり。又禍福無門。人自召之と云て。天の心におゐて。たれが門へは。福を下し。かれが門へは。
書き下し
己が心におゐて。片時もやすらかに。樂しむ事なし。是明らかなる。天罰にあらずや。故に。忠の道を行ふ者は。ながくそのよき事を守り。又道に背不忠を行ふ者は。我とみづから。罰をまねぐ。是天鑑明らかなるためし也。夫みちを知る者は。天道の私なく。善に福し。惡に禍する事を。たしかに知るゆへ。天命をおそれて。いかなる内證の人知らぬ幽獨の中に居るとても。一念の天に知らるゝ事をわきまへ。もし惡念起れば。打てをとして。氣ざさしめず。是を獨をつゝしむと云へり。又おろかなる人は。天理をしらぬゆへに。すこしも天命をおそれず。さし當る利欲にまよひ。己が墮慢にひきおとされて。人前にては。忠を行ふふりを見せても。他人の知らざる所にては。さま〴〵の惡念をおこし。主人をあざむき。他人をたぶらかすと云へ共。天道の鏡にうつされ。終に身を亡ぼし。わざはひ門葉におよぶ。其時いかほど。後悔す共甲斐あるまじ。書經にも。善道を行ふ人には。天より百の悅をくだし。不善を行ふ人には。百の禍を天より下すと云へり。又禍福無門。人自召之と云て。天の心におゐて。たれが門へは。福を下し。かれが門へは。
現代語訳
自分の心において、片時も安らかに楽しむことがありません。これは明らかな天罰ではありませんか。ですから、忠の道を行う者は、長くその良いことを守り、また道に背き不忠を行う者は、自分から罰を招きます。これは天鑑が明らかである例です。そもそも道を知る者は、天道には私がなく、善に福し悪に禍することを確かに知っているので、天命を畏れ、どのような内証の人の知らない幽独の中に居ても、一念が天に知られることをわきまえ、もし悪念が起これば、打ち落として兆さないようにします。これを独りを慎むといいます。また、愚かな人は、天理を知らないので、少しも天命を畏れず、さしあたっての利欲に迷い、自分の怠慢に引きずられて、人前では忠を行うふりを見せても、他人の知らないところでは、さまざまな悪念を起こし、主人を欺き、他人をたぶらかしますが、天道の鏡に映されて、ついには身を滅ぼし、災いが一族に及びます。その時にどれほど後悔しても、甲斐はありません。書経にも、善道を行う人には、天から百の喜びを下し、不善を行う人には、百の禍を天から下すとあります。また、禍福に門無し、人自ら之を召く、といって、天の心において、誰の門には福を下し、あの人の門には禍を下す、と決まったことはなく、福にあうのも禍にあうのも、その人々が招くものだといいます。
解説
この章句が説くこと
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