孔子家語 / 六本
孔子在齊,舍於外館,景公造焉。賓主之辭既接,而左右白曰:「周使適至,言先王廟災。」景公覆問災何王之廟也。孔子曰:「此必厘王之廟。」公曰:「何以知之?」孔子曰:「《詩》云:『皇皇上天,其命不忒。天之以善,必報其德。』禍亦如之。夫厘王變文武之制,而作玄黃華麗之飾;宮室崇峻,輿馬奢侈;而弗可振也。故天殃所宜加其廟焉,以是占之為然。」公曰:「天何不殃其身,而加罰其廟也?」孔子曰:「蓋以文、武故也。若殃其身,則文武之嗣,無乃殄平。故當殃其廟,以彰其過。」俄頃,左右報曰:「所災者,厘王廟也。」景公驚起,再拜曰:「善哉!聖人之智,過人遠矣。」
新字:孔子在斉,舎於外館,景公造焉。賓主之辞既接,而左右白曰:「周使適至,言先王廟災。」景公覆問災何王之廟也。孔子曰:「此必厘王之廟。」公曰:「何以知之?」孔子曰:「《詩》云:『皇皇上天,其命不忒。天之以善,必報其徳。』禍亦如之。夫厘王変文武之制,而作玄黄華麗之飾;宮室崇峻,輿馬奢侈;而弗可振也。故天殃所宜加其廟焉,以是占之為然。」公曰:「天何不殃其身,而加罰其廟也?」孔子曰:「蓋以文、武故也。若殃其身,則文武之嗣,無乃殄平。故当殃其廟,以彰其過。」俄頃,左右報曰:「所災者,厘王廟也。」景公驚起,再拝曰:「善哉!聖人之智,過人遠矣。」
書き下し
孔子斉に在り、外館に舎る。景公造く。賓主の辞既に接するや、左右白して曰わく、「周の使い適に至り、先王の廟災すと言う。」景公覆た災は何れの王の廟なるかを問う。孔子曰わく、「此れ必ず厘王の廟ならん。」公曰わく、「何を以て之れを知るや。」孔子曰わく、「詩に云う、『皇皇たる上天、其の命忒わず。天の善を以てするや、必ず其の徳に報ゆ。』禍も亦た之れの如し。夫れ厘王は文武の制を変じ、玄黄華麗の飾りを作り、宮室崇峻に、輿馬奢侈にして、振るう可からず。故に天殃宜しく其の廟に加うべし、是を以て之れを占なうに然りと為す。」公曰わく、「天何ぞ其の身を殃せずして、其の廟に罰を加うるや。」孔子曰わく、「蓋し文武を以ての故なり。若し其の身を殃せば、則ち文武の嗣、乃ち殄びんとするに無からんや。故に当に其の廟を殃すべく、以て其の過ちを彰らかにす。」俄頃にして、左右報じて曰わく、「災する所は、厘王の廟なり。」景公驚き起ちて、再拝して曰わく、「善いかな、聖人の智、人に過ぐること遠し。」
現代語訳
孔子が斉に滞在し、迎賓館に宿泊していたとき、景公が訪ねてきた。挨拶を交わしていると、側近が「周の使者がちょうど到着し、先王の廟が火災に遭ったと伝えている」と告げた。景公は重ねて、どの王の廟が焼けたのかと尋ねた。孔子は「これはきっと厘王の廟でしょう」と答えた。景公が「なぜそれが分かるのか」と問うと、孔子は言った。「詩経に『輝かしい天の命は誤ることがない。天は善行に対して必ずその徳に報いる』とあります。禍もまた同じ理屈です。厘王は文王・武王の制度を変え、けばけばしい飾りを作り、宮殿を高く聳えさせ、車馬を贅沢にして、その乱れを立て直すことができませんでした。ですから天罰はその廟に及ぶのがふさわしく、これによって占うとそうなるのです。」景公が「天はなぜ本人ではなく廟に罰を下すのか」と問うと、孔子は答えた。「それは文王・武王のゆえです。もし本人に禍が及べば、文王・武王の血筋が絶えてしまいかねません。だからその廟に禍を及ぼし、その過ちを明らかにするのです。」まもなく側近が「火災に遭ったのは厘王の廟でした」と報告してきた。景公は驚いて立ち上がり、再拝して「素晴らしい。聖人の知恵は人よりはるかに優れている」と言った。
解説

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『初学訓』巻之一一天につかへておこたらずとは、人となる者、只朝夕天道の眼前にありて遠からざることを思ひ、つねに天道を畏れ敬ひてあなどらず、かりにも天道をそむき無道のことをなすべからず。天道にしたがひてそむかず、わが身をへりくだりて、人をあなどりほこらず、欲をこらへてほしいままにせず、天地の生みていつくしみ給ふ人倫をあつくあはれみて、あなどらずそこなはず。天地の、人のためにつくり出し給ふ五穀と万のたからを、わが一人の欲のためにみだりにつひやさず。次に、鳥獣虫魚の生ける物をみだりにころさず、草木をも時ならずしてみだりに伐らず。是皆天地のうみ出しやしなひて、いつくしみ給ふ物なれば、これをあはれみ養ふは、天地の御心に従ひて背かざるわざなり。
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『初学訓』巻之三一天道は、人の善に福し、悪に禍し給ふ。是人のしわざの善悪によりて、天より、福と禍とを報い給へる理なり。是は、天道の常理なり、疑ふべからず。又人の生質によりて、富貴、貧賤、禍福、寿夭あり。或は、時によりて不意に吉凶あり。皆是、陰陽の変化にして、人の生れつきにより、気を禀くること厚薄あり。厚き気をうけたる人は富貴にして福あり。薄き気をうけたる人は、貧賤にして禍あり。又、長き気をうけたるは寿く、短き気をうけたるは夭し。天の陰陽の気をうけて如斯なれば、すべて天命といふ。
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『慎思録』巻之四陽過ぐれば則ち大旱と為り、陰過ぐれば則ち霪雨と為る。或いは大風洪水、山崩れ川決し、海溢れ地震ひ、疾疫蟲蝗、種種の災害は、皆是れ陰陽闔闢の大過不及なり。是れ天道は無心にして、陰陽に変有る所以なり。天道の至理は、本自ら善にして悪無し。之を善と謂ふ者は生生覆育の謂なり。然れども陰陽の変易は、雑糅して究まり無く、動静常無し。是を以て災害時有りて生ず。是れ天理の正に非ずと雖も、然れども是れも亦た天理の中に無きこと能はざる者にして、自然の理なり。故に程子曰く、善悪皆天理なり、と。又曰く、善は固より性なり。然れども悪も亦た之を性と謂はざるべからず、と。深く此の意を得たりと謂ふべし。
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『呻吟語』内篇・問學・胸中獨り得たる中正の道理學問の大要は、須らく天道・人情・物理・世故を把りて識得すること透徹し、卻って胸中獨り得たる中正底の道理を以て之を消息すべし。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『初学訓』巻之一一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かかる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の徳を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獣をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、悪これより大なるはなし。悪を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。即時にわざはひあると、後に禍来るとのかはりあれども、悪をなして禍なきの理なし。又天地の御心に従ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く来らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の教明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。