倭忠経 / 忠經解題・忠の字の意味と忠經という書名
忠經忠と云字のこゝろは。許氏が說文に敬なり。又伊川の程子は。忠信を忠とすと云へり。是に依て。是を見れば。直に本心の誠なり。敬なりと云るも。本心の常住明らかなる處なり。是を或は。仁と云ひ。誠といふ。其名は異なれども。その實は一つなり。唯用る所に依て。替る成べし。父子の間にしては。孝と名付。兄弟の間にては弟。朋友に交ては。信と云。然る時は。千變萬化。みな一忠より。出ずと云事なし。經と云は。凡聖人の辭を。ならべて。經といふ。經はつねとよみて。萬代迄。かはらぬ敎ぞと。云ふ心なり。其ををして。經と稱するは。忠の理を。說たる書なればなり。歴代の聖賢。受用のみちも。忠なり。又其敎をなす處も忠なり。此忠を尊て。經と名付て。孝經に。準擬するものなり。
新字:忠経忠と云字のこゝろは。許氏が説文に敬なり。又伊川の程子は。忠信を忠とすと云へり。是に依て。是を見れば。直に本心の誠なり。敬なりと云るも。本心の常住明らかなる処なり。是を或は。仁と云ひ。誠といふ。其名は異なれども。その実は一つなり。唯用る所に依て。替る成べし。父子の間にしては。孝と名付。兄弟の間にては弟。朋友に交ては。信と云。然る時は。千変万化。みな一忠より。出ずと云事なし。経と云は。凡聖人の辞を。ならべて。経といふ。経はつねとよみて。万代迄。かはらぬ教ぞと。云ふ心なり。其ををして。経と称するは。忠の理を。説たる書なればなり。歴代の聖賢。受用のみちも。忠なり。又其教をなす処も忠なり。此忠を尊て。経と名付て。孝経に。準擬するものなり。
書き下し
忠經忠と云字のこゝろは。許氏が說文に敬なり。又伊川の程子は。忠信を忠とすと云へり。是に依て。是を見れば。直に本心の誠なり。敬なりと云るも。本心の常住明らかなる處なり。是を或は。仁と云ひ。誠といふ。其名は異なれども。その實は一つなり。唯用る所に依て。替る成べし。父子の間にしては。孝と名付。兄弟の間にては弟。朋友に交ては。信と云。然る時は。千變萬化。みな一忠より。出ずと云事なし。經と云は。凡聖人の辭を。ならべて。經といふ。經はつねとよみて。萬代迄。かはらぬ敎ぞと。云ふ心なり。其ををして。經と稱するは。忠の理を。說たる書なればなり。歴代の聖賢。受用のみちも。忠なり。又其敎をなす處も忠なり。此忠を尊て。經と名付て。孝經に。準擬するものなり。
現代語訳
「忠」という字の意味について、許慎の『説文解字』は「敬」であるとし、また伊川の程子は「忠信を忠とする」と言っています。これらによってみると、忠とは、そのまま本心の誠であり、敬であるといいます。これは本心がいつも明らかであるところを指しています。これを仁といい、誠というなど、名前は違っても、その実質は一つです。ただ用いる場面によって呼び名が替わるのでしょう。父子の間では孝と名づけ、兄弟の間では弟(兄に従う心)といい、朋友と交わるときは信といいます。そうだとすれば、千変万化するすべては、みな一つの忠から出ていないものはありません。「経」とは、おおむね聖人の言葉を並べたものをいいます。経は「つね」と読み、万代までも変わらない教えだという意味です。これを経と称するのは、忠の理を説いた書だからです。歴代の聖人賢人が身につけて用いた道も忠であり、その教えを行うことも忠です。この忠を尊んで経と名づけ、『孝経』に準じたものとするのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志耋録 第三百三十四条 人道は誠敬のみ人道は只だ是れ誠敬のみ。生きては既に生を全うし、死しては乃ち死に安んず。敬よりして誠なり。生死は天より来る、順ひて之を受く。誠よりして敬なり。夫の短長を較べ、苦楽を説くに至りては、則ち竟に是れ男女親族の私情にして、死者に於ては此の遺念無きのみ。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
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『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一およそ人の一念の不善も、かならず天に通ずる理あり。天は高きに居て、ひききに聞くといへり。上天を欺くべからず。おそるべし。人をあざむけば、つひに其、偽あらはる。内に誠あれば、必外にあらはるといへり。下人をあざむくべからず。恥づべし。天を欺き、人をあざむくは、共に我が心を欺くによれり。我が心に不善と知りながら、これを行ふ、是自欺なり。我が心あざむくべからず。およそ、天と人と我が心と、皆あざむくべからず。唯一すぢに誠あるべし。ここを以て、君子の心は、つねに青天白日の如くなり。小人の心は、常に陰暗くしてはかりがたし。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
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言志四録・言志耋録 第百十条 一誠なれば陰陽の別無し己の陰事は、宜しく人の之を説くに任すべし。人の陰事は、我は則ち説くべからず。我の為す所、只だ是れ一誠ならば、則ち実に陰陽の別無きのみ。

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