弁名 / 誠
又如仁齋先生以無妄無僞爭其優劣。亦不知朱子意謂無虛妄已。其所謂春當溫而反寒。夏當熱而反冷。夏霜。冬雷。桃李華。五星逆行。日月失度之類。豈可爲虛妄乎。東坡所謂人無所不至。惟天不容僞。謂其不容人僞已。非謂天不僞也。嗚呼天豈可以僞不僞言乎。是其於今言猶未知之。況於古言乎。
新字:又如仁斎先生以無妄無偽争其優劣。亦不知朱子意謂無虚妄已。其所謂春当温而反寒。夏当熱而反冷。夏霜。冬雷。桃李華。五星逆行。日月失度之類。豈可為虚妄乎。東坡所謂人無所不至。惟天不容偽。謂其不容人偽已。非謂天不偽也。嗚呼天豈可以偽不偽言乎。是其於今言猶未知之。況於古言乎。
書き下し
又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
現代語訳
また仁斎先生が「無妄(でたらめがない)」と「無偽(偽りがない)」の優劣を争ったのも、朱子の意味は「虚妄がない」ということにすぎないのを知らないからである。仁斎のいう、春は暖かいはずが寒く、夏は暑いはずが冷え、夏に霜が降り、冬に雷が鳴り、(季節外れに)桃や李が咲き、五つの惑星が逆行し、日月が運行を外れるといったことが、どうして虚妄といえようか。蘇東坡の「人はどんなことでもしかねないが、天だけは偽りを受けつけない」というのは、天が人の偽りを受けつけないということであって、天が偽らないということではない。ああ、天をどうして偽る偽らないで語れようか。仁斎はこれでは今の言葉すらまだわかっていない。まして古い言葉はなおさらである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三邵子曰く、人の心は、即ち天地の神なり。人の自ら欺くは、天地を欺く所以なり。慎まざるべけんや、と。邵子の意は、人心も亦天地の神有りと為すを謂ふ。此れ詩の所謂上帝汝に臨むの意と較々異なる者は、天に在ると人に在るとの異なるを以てなり。其の実は天に在ると人に在ると両般無し。人心の神明は、即ち天神の我に在る者なり。天地の神と、人心の神明とは、本自ら一般なり。只体統と各具との分殊有るのみ。故に人の自ら欺くは、即ち天を欺くなり。豈に畏るべきの甚しきに非ずや。孟子曰く、其の心を存し其の性を養ふは、天に事ふる所以なり、と。蓋し吾が心性は、即ち是れ天の賦予する所にして、我に在るの天なり。我に在るの天を存養すると、上天に事ふるとは、二理無く二事無きなり。
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言志四録・言志耋録 第百六条 自ら欺かざるは天に事ふ自ら欺かざる、之を天に事ふと謂ふ。
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『弁名』誠檀弓に曰く、「伯高の喪に、孔氏の使者未だ至らず。冉子、束帛乗馬を摂りて之を将ふ。孔子曰く、異なるかな、徒らに我をして伯高に誠ならざらしむ」と。是れ伯高既に死す、死者は知無し、故に孔子不誠を悪むなり。又た曰く、「喪三日にして殯す。凡そ身に附くる者は、必ず誠に必ず信にして、之れ悔い有ること勿きのみ。三月にして葬る。凡そ棺に附くる者は、必ず誠に必ず信にして、之れ悔い有ること勿きのみ」と。是れ言ふこころは、凡そ我が中心より発して為さんと欲する所の者有れば、則ち之を為して復た顧慮すること無し、是れ誠なり。信は疑はざるを謂ふなり。凡そ心に安からざる所有る者は、則ち為さず、是れ信なり。皆死者を待つの道なり。郊特牲に曰く、「犢を用ふるは、誠を貴ぶなり」と。是れ天を祭ると、天子の諸侯に適くと、膳に皆犢を用ふ。犢は知無き者なり。天の徳は誠なり、故に之を用ふ。天子を尊びて天に比す、故に亦た之を用ふ。僅かに此の類のみ。
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『講孟余話』萬章上 第六章然るに漢儒以来、洪範春秋の説を附会し、五行天文種々の説を設けて世を眩惑し、又唐の六典には大瑞・上瑞・中瑞・下瑞の目を載するに至る。是れ所謂天を誣ふるの甚だしき者にして、余甚だ此の類を悪み、務めて是れを排斥す。而して此の説已に人心に漸漬し、遽かに破り難し。唐の柳宗元が天説、時令論、貞符等の諸篇、其の論極めて明透なり、余常に好んで称道す。今又孟子の此の章を得て根拠とす。「之れをして祭を主らしめて、百神之れを享く」。祭りて神の享くとは、我が誠心の徹するを云ふ。舜大麓に入れば烈風雷雨にも迷はずと、即ち此の事なり。又易に「震百里を驚かすも、匕鬯を喪はず」と云ふも同じことなり。天地鬼神素より物なし。然れども名山大川、宗廟社稷、皆人心の自然に崇敬する所、故に祭祀する者斉戒沐浴し、必ず誠に必ず敬なれば、自ら著明する物あり、是れ則ち百神の享くる所なり。故に神の享くるは心の誠あるなり。心已に誠なれば、以て事を治めて百姓を安んずべし。此の理を知らずして、神の享くるに至りて異端怪誕の説を附会することなかれ。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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