言志四録 / 言志耋録 第三百三十四条 人道は誠敬のみ
人道只是誠敬而已。生既全生。死乃安死。自敬而誠也。生死天來。順而受之。自誠而敬也。至夫較短長。說苦樂。則竟是男女親族之私情。於死者無此遺念耳。
新字:人道只是誠敬而已。生既全生。死乃安死。自敬而誠也。生死天来。順而受之。自誠而敬也。至夫較短長。説苦楽。則竟是男女親族之私情。於死者無此遺念耳。
書き下し
人道は只だ是れ誠敬のみ。生きては既に生を全うし、死しては乃ち死に安んず。敬よりして誠なり。生死は天より来る、順ひて之を受く。誠よりして敬なり。夫の短長を較べ、苦楽を説くに至りては、則ち竟に是れ男女親族の私情にして、死者に於ては此の遺念無きのみ。
現代語訳
人の道とは、ただ誠と敬とに尽きる。生きている間は生を全うし、死ぬときには死に安んじる。これは敬から誠に至るのである。生も死も天からやって来るものであり、それに従って受け入れる。これは誠から敬に至るのである。寿命の長い短いを比べたり、苦しみや楽しみを語ったりするのは、結局は遺された男女や親族の私情であって、死んだ本人にはそのような心残りはないのである。
解説
人の道を誠と敬の二字に集約し、それを生死の受けとめ方に結びつけた一条です。生を全うして死に安んずるのは、慎みの敬から真実の誠に至る道。生死を天から来るものとして素直に受けるのは、誠から敬に至る道だと、二つの方向から述べています。そして、寿命の長短や死に際の苦楽を論じるのは遺された者の私情であって、死者自身にはそうした未練はないと言い切ります。『言志耋録』の最後の数条は死生をめぐる思索で占められており、本条はその入り口です。誠実に生き切ることがそのまま死を安らかにするという考えは、日々の仕事への向き合い方を問い直す材料にもなるでしょう。
この章句が説くこと
誠敬死生人道天命
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