尉繚子 / 治本
所謂天子者,四焉:一曰神明,二曰垂光,三曰洪敘,四曰無敵。此天子之事也。野物不為犧牲,雜學不為通儒。今說者曰:「百里之海,不能飲一夫;三尺之泉,足止三軍渴。」臣謂欲生于無度,邪生於無禁。大上神化,其次因物,其下在于無奪民時,無損民財。
新字:所謂天子者,四焉:一曰神明,二曰垂光,三曰洪敘,四曰無敵。此天子之事也。野物不為犠牲,雑学不為通儒。今説者曰:「百里之海,不能飲一夫;三尺之泉,足止三軍渇。」臣謂欲生于無度,邪生於無禁。大上神化,其次因物,其下在于無奪民時,無損民財。
書き下し
所謂天子なる者は、四つあり。一に曰く神明、二に曰く垂光、三に曰く洪敘、四に曰く無敵。此れ天子の事なり。野物は犠牲と為さず、雑学は通儒と為さず。今説く者曰く、「百里の海も、一夫に飲ましむる能はず。三尺の泉も、三軍の渇を止むるに足る」と。臣謂へらく、欲は度無きに生じ、邪は禁無きに生ず。大上は神化し、其の次は物に因り、其の下は民の時を奪ふこと無く、民の財を損すること無きに在り。
現代語訳
いわゆる天子には四つの務めがある。第一は神明(神のように明らかな徳)、第二は垂光(その光を天下に及ぼすこと)、第三は洪敘(大いに秩序を整えること)、第四は無敵(天下に敵がいないこと)である。これが天子のなすべき事である。野の獣は祭りの犠牲にはしないし、雑多な学問をかじっただけの者は通儒(道に通じた学者)とはしない。今、論者はこう言う。「百里もある海でも、一人の男の渇きをいやすことはできない(塩水だからである)。三尺ほどの泉でも、三軍の渇きを止めるに足りる」。私が思うに、欲は節度がないところから生じ、邪悪は禁令がないところから生じる。最上の政治は民を神妙に感化することであり、その次は物事の自然に従うことであり、その下は民の農時を奪わず、民の財を損なわないことにある。
解説
関連する章句
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尉繚子・原官官なる者は、事の主る所、治を為すの本なり。制なる者は、職もて四民を分かつ、治の分なり。貴爵富禄必ず称ふは、尊卑の体なり。善を好み悪を罰し、比法を正すは、民を会計するの具なり。井地を均しくし、賦斂を節するは、取与の度なり。工人を程(はか)り、器用を備ふるは、匠工の功なり。地を分かち要を塞ぐは、怪を殄(た)ち淫を禁ずるの事なり。法を守り断を稽ふるは、臣下の節なり。法を明らかにし験を稽ふるは、主上の操なり。主守を明らかにし、軽重を等しくするは、臣主の権なり。賞賚を明らかにし、誅責を厳にするは、奸を止むるの術なり。開塞を審らかにし、一道を守るは、政を為すの要なり。下達し上通ずるは、至聡の聴なり。国の有無の数を知るは、其の仂(ろく)を用ふるなり。彼の弱きを知る者は、強の体なり。彼の動くを知る者は、静の決なり。官を文武に分かつは、惟れ王の二術なり。俎豆制を同じくするは、天子の会なり。遊説間諜自ら入る無きは、正議の術なり。諸侯に天子の礼を謹む有り、君民世を継ぐは、王の命を承くるなり。好むを更め常を易へ、王の明徳に違ふは、故に礼以て伐つを得るなり。官に事治無く、上に慶賞無く、民に獄訟無く、国に商賈無きは、何ぞ王の至りなるや。明挙上達するは、王の垂聴に在るなり。
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尉繚子・治本凡そ人を治むる者は何ぞや。曰く、五穀に非ざれば以て腹を充たすこと無く、絲麻に非ざれば以て形を蓋ふこと無し。故に腹を充たすに粒有り、形を蓋ふに縷有り。夫は芸耨に在り、妻は機杼に在り、民に二事無ければ、則ち儲蓄有り。夫に雕文刻鏤の事無く、女に繡飾纂組の作無し。木器は液し、金器は腥し、聖人は土に飲み、土に食ふ、故に埏埴して以て器と為し、天下に費無し。今や金木の性は寒えざるに、而も繡飾を衣せ、馬牛の性は草を食ひ水を飲むに、而も菽粟を給す。是れ治其の本を失ふなり、而して宜しく之が制を設くべきなり。春夏は夫南畝に出で、秋冬は女布帛を練れば、則ち民困しまず。今裋褐(じゅかつ)形を蔽はず、糟糠腹を充たさざるは、其の治を失へばなり。古は、土に肥磽無く、人に勤惰無し。古人は何をか得て、今人は何をか失ふや。耕すに畝を終へざる有り、織るに日に機を断つ有り、而して奈何ぞ饑寒する。蓋し古の治は行はれ、今の治は止めばなり。夫れ所謂治とは、民をして私無からしむるなり。民に私無ければ、則ち天下一家と為りて、私耕私織無く、其の寒を共に寒え、其の饑を共に饑う。故に如し子十人有るも一飯を加へず、子一人有るも一飯を損せざれば、焉んぞ喧呼耽酒して以て善類を敗る有らんや。民に軽佻有れば、則ち欲心興り、争奪の患起こる。横一夫に生ずれば、則ち民私に飯して儲食有り、私に用ひて儲財有り。民一たび禁を犯して、拘ふるに刑治を以てせば、烏くにか其の人の上たるに在らんや。善政は其の制を執り、民をして私無からしめ、下為る者敢へて私せざれば、則ち非を為す者無し。本に反り理に縁り、一道に出づれば、則ち欲心去り、争奪止み、囹圄空しく、野充ち粟多く、民を安んじ遠きを懐け、外に天下の難無く、内に暴乱の事無し、治の至りなり。蒼蒼の天は、其の極を知る莫し。帝王の君は、誰か能く法則とせん。往世は及ぶべからず、来世は待つべからず、己に求むる者なり。
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荀子・君子篇天子に妻無しとは、人に匹(ひつ)無きを告ぐるなり。四海の内に客禮(かくれい)無しとは、適(てき)無きを告ぐるなり。足能く行けども、相(たす)くる者を待ちて然る後に進み、口能く言えども、官人を待ちて然る後に詔(みことのり)す。視ずして見え、聽かずして聰(さと)く、言わずして信ぜられ、慮らずして知り、動かずして功あり。至備(しび)を告ぐるなり。天子なる者は、埶(せい)至って重く、形至って佚(いつ)にして、心至って愉しく、志(こころざし)詘(くっ)する所無く、形勞する所無く、尊きこと上(かみ)無し。詩に曰く、「普天(ふてん)の下、王土に非ざるは莫く、率土(そつど)の濱(ひん)、王臣に非ざるは莫し」と。此れ之(こ)れの謂いなり。
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呂氏春秋・恃君③非濱の東、夷・穢の鄉、大解・陵魚・其・鹿野・搖山・揚島・大人の居、多く君無し。揚・漢の南、百越の際,敝凱諸・夫風・餘靡の地、縛婁・陽禺・驩兜の國、多く君無し。氐・羌・呼唐・離水の西、僰人・野人、篇笮の川、舟人・送龍・突人の鄉、多く君無し。鴈門の北、鷹隼・所鷙・須窺の國、饕餮・窮奇の地、叔逆の所・儋耳の居、多く君無し。此れ四方の君無き者なり。其の民は麋鹿禽獸のごとく、少者、長を使い、長者、壯を畏れ、力有る者は賢り、暴傲なる者は尊ばれ、日夜相殘い、時として休息すること無く、以て其の類を盡くす。聖人深く此の患を見る。故に天下の長慮を為すに、天子を置くに如くは莫し、と。一國の長慮を為すに、君を置くに如くは莫し、と。君を置くは、以て君に阿るに非ざるなり。天子を置くは、以て天子に阿るに非ざるなり。官長を置くは、以て官長に阿るに非ざるなり。德衰え世亂れ、然る後天子、天下を利とし、國君、國を利とし、官長、官を利とす。此れ國の遞に興こり遞に廢する所以なり。亂難の時に作る所以なり。故に忠臣廉士、之を內にしては則ち其君の過ちを諫め、之を外にしては則ち人臣の義に死するなり。
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呂氏春秋・知度②至治の世には、其の民は空言虚辭を好まず,淫學流說を好まず、賢不肖各々其の質に反り、其の情を行い、其の素を雕らず、蒙厚純樸、以て其の上に事う。此くの若くなれば則ち工拙愚智勇懼、故を以て官を易むるを得可し。官を易むれば則ち各々其の任に當る。故に職有る者は其の職に安んじ、其の議を聽かず。職無き者は其の實を責め、以て其の辭を驗す。此の二者審らかなれば、則ち無用の言、朝に入らず。君、性命の情に服し、愛惡の心を去り,虚無を用て本と為し、以て有用の言を聽く、之を朝と謂う。凡そ朝なる者は、相與に理義を招くなり、相與に法則を植つるなり。上、性命の情に服せば、則ち理義の士至り、法則の用植ち、枉辟邪撓の人退き、貪得偽詐の曹遠ざかる。故に天下を治むるの要は、姦を除くに存し、姦を除くの要は、官を治むるに存し、官を治むるの要は、道を治むるに存し、道を治むるの要は、性命を知るに存す。故に子華子曰く、「厚くして博からず、敬みて一事を守り、性を正しくすることを是れ喜ぶ。群衆周せずして、務めて一能を成す。能を盡くすこと既に成れば、四夷乃ち平らぐ。唯だ彼の天符のみ、周せずして周す。此れ神農の長ぜし所以にして、堯・舜の章われし所以なり。」
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