孔子家語 / 六本
孔子曰:「舟非水,不行;水入舟,則沒。君非民,不治;民犯上,則傾。是故君子不可不嚴也,小人不可不整一也。」
新字:孔子曰:「舟非水,不行;水入舟,則没。君非民,不治;民犯上,則傾。是故君子不可不厳也,小人不可不整一也。」
書き下し
孔子曰わく、「舟は水に非ざれば、行かず。水舟に入れば、則ち没す。君は民に非ざれば、治まらず。民上を犯せば、則ち傾く。是の故に君子は厳ならざる可からざるなり、小人は整一ならざる可からざるなり。」
現代語訳
孔子は言った。「舟は水がなければ進まないが、水が舟の中に入り込めば沈んでしまう。君主は民がいなければ国を治めることができないが、民が上の者に逆らえば国は傾いてしまう。だから、君子(為政者)は厳格でなければならず、小人(民)は秩序立って一つにまとまっていなければならない。」
解説
舟と水の関係を、君主と民の関係の比喩として用いた短い教えです。舟は水があってはじめて進むことができますが、水が制御を失って舟の中に入り込めば、その舟自体を沈めてしまいます。同じように、君主は民があってはじめて国を治めることができますが、民が秩序を失って上の者に逆らえば、国そのものが傾いてしまいます。ここから孔子は、為政者は民を統治するにあたって厳格な規律を保つ必要があり、民の側も秩序立ってまとまっている必要があると結論づけています。支える存在と支えられる存在が、互いに適切な節度を保ってこそ全体が安定するという、統治の要諦を簡潔に示した一節です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
舟水の譬え君主民統治節度
関連する章句
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一民を司どる人は、民の父母なれば、民をあはれむ心を本とすべし。民の心を以て心として、民の好む事を好みてほどこし、民のきらふ事をきらひてほどこさず、父母の子を思ふが如くする故、是を民の父母と云ふ。民の上に立つ人は、民をやしなふ職分を天より授け給ふ事を知りて、天道にしたがひ、民をくるしましむべからず。我一人の楽をきはめんとて、おほくの人を苦むるは、天道の御心にそむけり。天道おそるべし。すべて人は高きもひききも同じ人なれば、民の楽み苦みも、我と同じ。我が心を以て民の心をおしはかるに違はず。民のうれひ苦みを思ひはかりて、憐むべし。不仁なる人は、民をあはれまずして、民を愛すれば奢りて上をあなどるとて、民をあはれまず。
-
『君子訓』巻之下一人を讒言する人は、人の小さき過をかざりて、大に言ひなすものなり。或は過なき人をもあやまりありと云ひ、君たる人能く察せずして其言を信ずるは、迷の甚しきなり。讒を聞きて善人を退くるは、其善人の災のみならず、万民の災なり。鄒の穆公といふ君、下に命じて鳧と雁とを飼ふに、米を飼はず、唯粃を以て餌となす。或時食に粃なし。民に買へば、折節粃少くして、米の価より高し。依て其司米をはましめんといふ。君用ひずして曰く、汝小利を知りて大損を知らず。百姓朝夕寒暑を厭はずして稲を作り出すは、鳥獣の為に非ず。且米は人の上食なり。何ぞ是を以て鳥を養はんや。蔵の米を出して、価高くとも臣の粃を買ひて鳥に飼ふべし、蔵の米を臣に与ふるは、則我が倉に在ると同じと言へり。
-
『五常訓』巻之三・仁之下常に心を用ひて、天意にしたがひ、民をあはれみ、困苦をすくひ、政をおこし、仁をほどこさば、其功大にして、天道のむくいも亦限りなかるべし。富貴の人、多くは陰徳の行ふべきことを知らず、勢に乗じて、下の苦をかへり見ず、人のつひえを厭はず、わが身ひとつの栄花をきはむれば、陰徳なくして、天地のいかり、人民のうらみ積て、後はわざはひ出来、子孫にもむくふものなり。天道は、まことに畏るべきかな。又陰徳をば行はずして、鬼神にへつらひ祈りて、福をもとめ、禍をのがれんとして、無益のことをなし、民をくるしめて、財をつひやす。是をたのんで、禍を免れんとせば、天地神明の御心にそむきて、かへりて禍あり。仏家にて、是を業福と云ふ。
-
『五常訓』巻之五・信是子貢にこたへ給へる意なるべし。又司馬温公の曰、信者人君の大宝なり。国は民に保ち、民は信にたもつ。信にあらざれば、民をつかふ事なく、民にあらざれば、国を守る事なし。故に古の王者は、四海を欺かずと云へり。夫国は民を以てたもつ。民したがはざれば、国ありても保ちがたし。民は信を以てたもつ。上より民を欺きいつはりて、信なければ、民上を信ぜずして、思ひつかず。民の心をたもちがたし。
-
『五常訓』巻之二・仁之上是己をおす恕なり。又一には、仁を人に施すの道、我が心を以て人の心をおしはかるに、人も我も同じ心なれば、我が好む事は、人も亦必、好むものなり。我が心にきらふ事は、人も亦必きらふもの也。かくの如我が心を以て人の心にくらぶるは、つゆ違ふ事なし。不仁無礼を、人の我に施すは、我がきらふ所也。是を以て人の心をおしはかるに、人もまた不仁無礼をきらふ故に、人に不仁無礼を施さず。是恕なり。民を治むる道を以ていはば、わが身もし下にありて、困窮し饑ゑ寒え、妻を売り子を売りて、親子はなれ、兄弟妻子離散するにいたらば、我が甚きらふ事なるべし。其心を以て、民の心をおしはかるに、我がきらふ如く、民も亦きらふべき事を知りて、民の饑ゑず寒えず、困窮せず、妻子を売らざるやうに、あはれみて施すべし。
-
『君子訓』巻之下一或明君の言にいふ、神の罰君の罰、誠に畏るべし。然れども我が臣下の罰百姓の罰、尤恐るべし。如何となれば、神の罰はいのりて免るべし。君の罰はわびごとを以て遁るべし。唯民と臣との心を失ひて背かれぬれば、其災遁るべきやうなし。