尉繚子 / 十二陵
孽在於屠戮,偏在於多私,
書き下し
孽(げつ)は屠戮に在り、偏は私多きに在り、
現代語訳
災いの種は殺戮にあり、偏りは私情が多いことにあり、
解説
十二陵篇の後半は、陥ってはならない弊を並べる。その中のこの二句は、災いの種は殺しすぎることにあり、判断の偏りは私情が多いことにあると言う。尉繚子は厳しい軍令と刑罰を説く書だが、ここでは殺戮そのものを災いの元として戒めている。刑は必要なときに必要なだけ行うもので、むやみな殺しは恨みを生み、後の災いとなる。また、将が私情に流されれば賞罰が偏り、人心は離れる。法家に近い賞罰観をもつ尉繚子が、その賞罰の公平を何より重んじていたことがわかる。組織でも、処分を乱発すれば恐怖はあっても信頼は失われ、好き嫌いで人を扱えば公正さが崩れる。厳しさと公平さは一組のものである。
関連する章句
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尉繚子・十二陵度(はか)らざるは民財を竭(つ)くすに在り、明らかならざるは間を受くるに在り、実ならざるは軽々しく発するに在り、固陋は賢を離るるに在り、禍は利を好むに在り、害は小人に親しむに在り、亡は守る所無きに在り、危は号令無きに在り。
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尉繚子・十二陵威は変ぜざるに在り、恵は時に因るに在り、機は事に応ずるに在り、戦ひは気を治むるに在り、攻めは意表に在り、守りは外飾に在り、過ち無きは度数に在り、
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尉繚子・將理夫れ能く一人に私無し、故に万物至りて之を制し、万物至りて之に命ず。君子は囚を五歩の外に救はず、鉤矢之を射ると雖も、追はざるなり。故に善く囚の情を審らかにすれば、箠楚(すいそ)を待たずして、囚の情畢(つ)くすべし。人の背を笞(むち)うち、人の脇を灼き、人の指を束ねて、囚の情を訊すれば、国士と雖も其の酷に勝へずして、自ら誣(し)ふる有らん。今世の諺に云ふ、「千金は死せず、百金は刑せられず」と。試みに臣の言を聴き、臣の術を行はば、堯・舜の智有りと雖も、一言を関(あづか)る能はず。万金有りと雖も、一銖を用ふる能はず。今夫れ獄を決するに、小圄は十数を下らず、中圄は百数を下らず、大圄は千数を下らず。十人は百人の事に聯(つら)なり、百人は千人の事に聯なり、千人は万人の事に聯なる。聯なる所の者は、親戚兄弟なり、其の次は婚姻なり、其の次は知識故人なり。是れ農は田業を離れざる無く、賈は肆宅を離れざる無く、士大夫は官府を離れざる無し。此くの如く良民を関聯するは、皆囚の情なり。兵法に曰く、「十万の師出づれば、日に千金を費やす」と。今良民十万にして、囹圄に聯なるも、上省みる能はず、臣以為へらく危しと。
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尉繚子・將理凡そ将は理官なり、万物の主なり、一人に私せず。
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尉繚子・兵教下人をして私語するを得ること無からしむ。諸そ罰して罰せざるを請ふ者は、死す。諸そ賞して賞せざるを請ふ者は、死す」と。国を伐つには必ず其の変に因る。之に財を示して、以て其の窮を観る。之に弊を示して、以て其の病を観る。上乖き下離る、此の若きの類は、是れ伐つの因なり。凡そ師を興すには、必ず内外の権を審らかにして、以て其の去を計る。兵に備闕有り、糧食に余・不足有り、出入する所の路を校べ、然る後に師を興して乱を伐てば、必ず能く之に入る。地大にして城小なる者は、必ず先づ其の地を収む。城大にして地窄き者は、必ず先づ其の城を攻む。地広くして人寡き者は、則ち其の阨を絶つ。地窄くして人衆き者は、則ち大堙を築きて以て之に臨む。
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尉繚子・十二陵不祥は己が過ちを聞くを悪むに在り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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