春秋左氏伝 / 哀公八年 季姫の寵、二邑を返す
夏。五月。齊鮑牧帥師伐我。取讙及闡。或譖胡姬於齊侯。曰。安孺子之黨也。六月。齊侯殺胡姬。齊侯使如吳請師。將以伐我。乃歸邾子。邾子又無道。吳子使大宰子餘討之。囚諸樓臺栫之以棘。使諸大夫奉大子革以為政。秋。及齊平。九月。臧賓如如齊蒞盟。齊閭丘明來蒞盟。且逆季姬以歸。嬖。鮑牧又謂群公子曰。使女有馬千乘乎。公子愬之。公謂鮑子。或譖子。子姑居於潞以察之。若有之。則分室以行。若無之。則反子之所。出門。使以三分之一行。半道。使以二乘。及潞。麇之以入。遂殺之。冬。十二月。齊人歸讙及闡。季姬嬖故也。
新字:夏。五月。斉鮑牧帥師伐我。取讙及闡。或譖胡姫於斉侯。曰。安孺子之党也。六月。斉侯殺胡姫。斉侯使如呉請師。将以伐我。乃帰邾子。邾子又無道。呉子使大宰子余討之。囚諸楼台栫之以棘。使諸大夫奉大子革以為政。秋。及斉平。九月。臧賓如如斉莅盟。斉閭丘明来莅盟。且逆季姫以帰。嬖。鮑牧又謂群公子曰。使女有馬千乗乎。公子愬之。公謂鮑子。或譖子。子姑居於潞以察之。若有之。則分室以行。若無之。則反子之所。出門。使以三分之一行。半道。使以二乗。及潞。麇之以入。遂殺之。冬。十二月。斉人帰讙及闡。季姫嬖故也。
書き下し
夏五月、齊の鮑牧師を帥ゐて我を伐ち、讙及び闡を取る。或ひと胡姬を齊侯に譖して曰く、「安孺子の黨なり」と。六月、齊侯胡姬を殺す。齊侯吳に如きて師を請はしめ、將に以て我を伐たんとす。乃ち邾子を歸す。邾子又無道なり。吳子大宰子餘をして之を討たしめ、諸を樓臺に囚へ、之に栫(かこ)ふに棘を以てす。諸大夫をして大子革を奉じて以て政を為さしむ。秋、齊と平ぐ。九月、臧賓如齊に如きて盟に蒞む。齊の閭丘明來りて盟に蒞み、且つ季姬を逆へて以て歸る。嬖せらる。鮑牧又群公子に謂ひて曰く、「女(なんぢ)をして馬千乘有らしめんか」と。公子之を愬(うった)ふ。公鮑子に謂ふ、「或ひと子を譖す。子姑く潞に居りて以て之を察せよ。若し之有らば、則ち室を分ちて以て行け。若し之無くば、則ち子の所に反らん」と。門を出づるに、三分の一を以て行かしむ。半道にして、二乘を以てせしむ。潞に及び、之を麇(しば)りて以て入り、遂に之を殺す。冬十二月、齊人讙及び闡を歸す。季姬嬖せらるるが故なり。
現代語訳
夏五月、斉の鮑牧が軍を率いて我が国を伐ち、讙と闡を取った。ある人が胡姫(先君景公の妾)を斉侯(悼公)に讒言して言った。「安孺子(景公の後継に立てられ、のちに殺された荼)の一派です」。六月、斉侯は胡姫を殺した。斉侯は呉に使者を送って援軍を求め、それで我が国を伐とうとした。(呉の機嫌を取る必要が生じたので)魯は捕らえていた邾子(隠公益)を帰国させた。ところが邾子はまたも無道であった。呉子(夫差)は太宰の子余に命じて彼を討たせ、楼台に幽閉して、周囲を茨で囲ませた。そして邾の諸大夫に太子革を奉じて政治を行わせた。秋、魯は斉と和睦した。九月、臧賓如が斉に行って盟約に臨み、斉からは閭丘明が来て盟約に臨み、あわせて季姫を迎えて帰った。季姫は悼公に寵愛された。鮑牧はまた公子たちに言った。「そなたたちに馬千乗(一国の主の身分)を持たせてやろうか」。公子たちはこれを悼公に訴えた。悼公は鮑子(鮑牧)に言った。「そなたを讒言する者がいる。しばらく潞に住んで、事の真偽を見届けよ。もし事実なら、家産を分けて国を出て行け。事実でなければ、元の地位に戻そう」。鮑牧が門を出るときには家財の三分の一を持って行かせ、途中まで来ると車二乗だけにさせた。潞に着くと、縛り上げて連れ戻し、ついに殺した。冬十二月、斉は讙と闡を魯に返した。季姫が寵愛されたためである。
解説
この章句が説くこと
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