尉繚子 / 十二陵
不祥在於惡聞己過。
新字:不祥在於悪聞己過。
書き下し
不祥は己が過ちを聞くを悪むに在り。
現代語訳
不吉なことというのは、自分の過失を指摘されるのを嫌うことから生じる。
解説
耳の痛い指摘を遠ざけようとする態度こそ、実は一番の凶事の始まりだと説く。人は誰しも自分の失敗を認めたくないものだが、その拒絶反応が積み重なると、周囲は次第に本当のことを言わなくなる。仕事でも家庭でも、都合の悪い声を煙たがった時点で、改善の機会そのものが失われていく。過ちを聞く不快感より、聞けなくなる不幸のほうがずっと大きい。
この章句が説くこと
過失フィードバック謙聴
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