言志四録 / 言志録 第四十条 愛悪は藻鑑を累はす
愛惡念頭。最累藻鑑。
新字:愛悪念頭。最累藻鑑。
書き下し
愛悪の念頭は、最も藻鑑を累はす。
現代語訳
好きだ嫌いだという思いが、人物を見分ける眼(藻鑑)を最も曇らせる。
解説
藻鑑とは、人物の品定めや鑑識眼のことです。人を見る目を最も狂わせるのは、その人を好きか嫌いかという感情だと一斎は言います。好きな人の欠点は見えず、嫌いな人の長所は見えない。前の条で初見の判断が多く誤らないと述べたのは、まだ好悪の情が生じていないからでもあります。『大学』に「好みて其の悪を知り、悪みて其の美を知る者は、天下に鮮し」とあるのと同じ洞察です。人事評価や登用の場面で、自分の判断に好き嫌いが紛れ込んでいないか。気の合う部下を過大に、合わない部下を過小に見ていないかを点検する材料になる一条です。
この章句が説くこと
人を見る目好悪公平人事評価私情
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